cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

アヤソフィア4 キリスト教会として

教会として誕生したアヤソフィア。

オスマントルコによってコンスタンティノープルが陥落した後、イスラム教のモスクに改装されたため、元々「キリスト教会」だったということ自体に違和感を感じてしまいます。

アヤソフィアがモスクとなってから約400年、現在でもあちこちにキリスト教会の名残を見つけることができます。

 

◾️イコン

その名残を最も伝えてくれるものがイコンです。金をバックにしたイエスキリストや聖母マリア、さまざまな聖人達の姿がモザイク画で残されています。これらはオスマントルコの征服後、モスクとなった時には全て漆喰で覆われ隠されました。でもそれが逆に良質の保存となり、破壊や劣化を免れ現在に至るまで見ることができるのです。

聖母子

最も象徴的なイコンは、かつて祭壇のあった場所の上、教会で言う後陣の上の半ドームにあります。「聖母子」の見事なモザイクはイコノクラスム直後の867年の作と言われています。皇帝と教会が和解してイコノクラスムが終わりを告げ「正当な信仰の回復を祝う記念碑」として描かれたと言います。

そんな背景もあって本堂全体を見渡せるような場所で、詣でるものを見守るように描かれたこのモザイクはとても神々しいのです。

デイシス

僕は時間の関係上この2階のギャラリーを見ることができませんでしたが、ここにビザンチン美術の最高傑作と言われるイコンが残されています。

「デイシス(祈願)」です。

*2階ギャラリーの様子(ハギアソフィア A Turizm Yayinlari出版より)

「デイシス(祈願)」は1261年以降に製作された作品です。時代背景は、1204年第4次十字軍により奪われたコンスタンティノープルの街を約60年ぶりに奪還したことを記念して製作されたもの。

やや険しい表情のイエスキリストに対して、その左には聖母マリア、右には洗礼者ヨハネが、コンスタンティノープルを破壊して占領した罪深い人類の許しを請う姿が描かれています。

モスクに切り替わる時にこのイコンも漆喰で覆われてしまいます。その後近代になってその漆喰が剥がされイコンがあらわになったのですが、漆喰と一緒に多くの部分が失われてしまいました。幸いこのイコンが表す重要な部分はしっかりと残されて、このイコンの質や描かれた意義はしっかりと受け継がれています。

 

◾️奪われた十字架

1496年オスマントルコによってモスクに改修されると、キリスト教を象徴するものはアヤソフィアから拭い去られることになります。ただ完全に消し去られてはいないので、今でもその名残を辿ることができます。

例えば扉の装飾

皇帝の門は、皇帝と神をつなぐ場所として、当時皇帝や高位の聖職者しか通ることを許されなかった最も神聖な入り口でした。高さ7mもの巨大な扉は、「ノアの方舟に使われた木材」を青銅で覆って装飾を加えた構造をしていると言われています。

アヤフィアのモスク化に伴い、十字架があった場所は十字の横の一本が剥ぎ取られました。

「車寄せの門」の青銅製の大扉は、アレクサンドリアから運ばれたと言われ、細かい装飾が見事な紀元前2世紀ごろに作られたもの。アヤソフィアに運ばれ、十字架が付け加えられたと思われます。そしてモスク化する際に十字架が外され、その跡がのこります。また精巧な装飾の中に、ちょっとそぐわない円形のモノグラムは9世紀に彫り加えられたものです。こちらは掘り込まれているため消されず残っています。

 

例えば天井画

このアーチ天井のフレスコ画にも十字架が消された後が見られます。

こんな風にアヤソフィアのキリスト教はイスラム教に覆われていきました。

 

アヤソフィアに残るキリスト教会の名残は、痛々しくもあり、またた逞ましくも見えます。そして、これらの名残からは、時代や宗教を超えて様々なものを受け入れてきた建築としてのアヤソフィアの懐の大きさが感じずにはいられません。

 

 

1453年5月28日コンスタンティノープル陥落前夜、多くのビザンチン(東ローマ)市民がここアヤソフィアに集い、一晩中祈りをささげたといいます。

翌5月29日、今まで何度も敵の攻撃を跳ね返してきた「この街」コンスタンティノープルはついに陥落します。ここで祈りを捧げていた人々は捉えられ殺されるか奴隷にされてしまった。

征服者となったオスマントルコのスルタン(宰相)・マホメット2世は、数日後誰もいなくなったアヤソフィアの堂内に立ち、すぐさまアヤソフィアをモスクとすることに決め、アヤソフィアの破壊、略奪を一切禁じたと言います。

奇跡と呼ばれた「アヤソフィア」にマホメット2世の感性が同調したということかもしれません。そのおかげでアヤソフィアは後世まで残されることになった。このことは幸運だったし、これもまた奇跡だったかもしれません。

 

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com