
オスマントルコによって、いやスルタン・マホメット2世によって、コンスタンティノープルは陥落して、アヤソフィアはイスラム教のモスクに改装されます。
そして「奇跡の建築」と言われたその姿は、その後のイスラム教のモスク建築の基となりました。アヤソフィアを模したモスクが多く建てられるようになったので、現代の僕たちにとってはあれがモスクの形であって、あの形が元々「キリスト教会」のフォルムだったということ自体に違和感を感じてしまうわけです。
モスクとしてのアヤソフィアの歴史は、コンスタンティノープルがオスマントルコの支配下となって「イスタンブル」と改名された頃に始まります。
◾️十字から月へ
ドーム頂の十字架はイスラム教のシンボル「三日月」に挿げ替えられます。

◾️光を灯す場所の追加
モスクとしての必要な機能が加えられます。
イスラム教徒に礼拝を呼びかけるミナレット(アラビア語、光を灯す場所という意味)の追加。ミナレットは現在は4本ありますが、モスク化当初は2本がまず建設されます。そのあと時代を経てミナレットは増築・改築され現在のように4本となります。よく見ると、4本それぞれ違った特徴を持っているのがわかります。

また、イスラム教の神学校などの附属施設がアヤソフィアの周辺に建設されました。
◾️キリスト教の封印
内部の見事なキリスト教のモザイクは漆喰で覆われ、あちこちにアラビア語のカリグラフィが加えられた。柱となる部分には巨大な円盤状のカリグラフィーが掲げられ、堂内のあちこち至る所にイスラムの装飾が加えられました。

◾️イスラム教のシンボルの追加
この芸術性が高い「カリグラフィ」が堂内のあちこちに散りばめられます。

窓のステンドグラスはイスラム教のものがはめ込まれる。

イスラム教世界で一番神聖な建物メッカにある「カアバ神殿」を表すタイルがアヤソフィアのある大理石の壁に埋め込まれています。

アヤソフィアの後陣の下、もとキリスト教の祭壇のあたりにあるのが「ミフラーブ」と呼ばれる、モスクには必ずあるメッカの方角を示すものです。アヤソフィアの建物の軸からわずかにずれた位置にあるのですが、これはアヤソフィアはもともと教会として建てられたため、正確に東西南北に向いているのに対して、モスクのミフラーブはメッカの方向を示すので、モスクがある場所によってその方角が変わります。イスタンブルからメッカの方角は真東よりもちょっと南より。そのため建物の軸線からちょっとずれたところにミフラーブがおかれることになるのです。
これもアヤソフィアならではの特徴でしょうか。

こちらはミンバルと呼ばれるモスクの「説教壇」。毎週金曜日に行われるイスラム教の礼拝で、イマーム(イスラム教の指導者)が説教を行う場所。ただし説教はミンバルの一番上ではなく、階段の途中で行われるそうです。一番高いところに上がれるのはイスラム教の預言者ムハマンドのみ、現在ミンバルの最上段に上がれる人はいない。

下の写真はミンバルの階段に施された装飾。イスラムのカリグラフィや装飾は西欧のものとはまるで異なる趣のものなのですが、見事です。この場所に限らず、アヤソフィアに後から加えられたイスラムの美術は幾何学的で緻密で繊細、西欧の美術とは一線を画すものです。スペインではガウディ初め多くの建築家がイスラム美術を取り入れ、「ムデハル様式」という建築様式が流行ることになるのです。このスタイルはいわゆるモデルニスモ(アールヌーボー)とは対照的な世界であり、イスラム美術を取り入れたくなる気持ちがよくわかります。

◾️奇跡のドームの守護者
ドーム天井に描かれたキリストの天井画は1609年までの約150年もの間そのままにされたと言いますが、のちにコーランの光の章の一節が書かれたカリグラフィに変わります。

またドーム下の四隅には、旧約聖書に登場する「六枚の翼の天使(セラフィム)」が描かれています。セラフィムは最も神に近い存在とされ、元々ドーム天井に描かれていた「パンテクラトール(全能のキリスト)」像とドームを支える四隅のペンデンティブに描かれた天使たちの構図は、ともに天上界を形作ると同時にアヤソフィアのこの建物自体を守護しているという意味が込められています。
モスクとなったあと150年もの間、天井のキリスト像が残され、天使たちの顔は金属の蓋や漆喰で覆われながらも、姿は現在に至るまでほぼそのまま残されているのは、この奇跡の建物を守っていると考えたからかもしれません。
◾️アヤソフィアの奇跡
マホメット2世はコンスタンティノープル陥落後、アヤソフィアをそのままモスクとして利用することを決めます。それは、「東方キリスト教の総本山」をモスクに変えることによるキリスト教世界に対する精神的ダメージを与えるための最初から決められた戦略だったかもしれない。一方でもしかすると、実際にその内部に足を踏み入れたときにその建築としての価値を認識してそのまま使うことを決めたのかもしれない。マホメット2世はマケドニアのアレクサンダー大王やローマのユリウス・カエサルの所業を熱心に学んでいたといい、そこから「征服=破壊ではない」「敵であっても優れたものは吸収していく」ことを学んでいたと思われる。その後、トルコ各地に建てられたモスクの形がアヤソフィアを手本にしていることを思うと、後者が正解に近いのかもしれません。
いずれにしても、アヤソフィアはモスクとして構造的にはほぼそのまま利用されることとなったおかげで破壊を免れ現在までその形を残している。歴史的に起きた事柄から考えたらこのこと自体もまた奇跡かもしれません。
◾️博物館から再びモスクへ
1934年、アヤソフィア誕生から1402年後、アヤソフィアはトルコが共和国になってから「博物館」として一般に公開されました。
このおかげでアヤソフィアは歴史的調査が行われ、漆喰が剥がされ、たくさんのイコンが復活されたりして、多くの発見があり、イスラム教のモスクとキリスト教会が混在した世界でも珍しい建物として、博物館として公開されてきたので、僕もアヤソフィアの赤裸々な姿を窺い知ることができたわけです。
そして最近また、アヤソフィアのあり方について大きな方針転換がありました。
2020年にトルコ共和国政府によって、アヤソフィアは再びモスクとして利用することが決定されました。これにより、イスラム教徒の祈りのために大理石の床一面に絨毯がひかれ、復活したイコンには祈りの場所から見えづらくなるように目隠しの布がかけられました。イスラムの祈りの時間は一般公開は中止、そんな運用が始まったそうです。
90年以上続いた博物館としての役割を終え、再びモスクとして復活したアヤソフィア。誕生以来1500年もの間、歴史の荒波に「たゆたえども沈まず」に生き延びてきたアヤソフィアは懐深く、もしその建物自体に意思があるとしたら「どっちでもいいよ、好きにしな」と言っていると思われる。