cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

イスタンブル小話 テオドシウス2世の城壁にて

塩野七生著「コンスタンティノープルの陥落」。 ローマ帝国の最後の都の陥落に立ち会った人々の記録をもとに臨場感たっぷりに描かれた、東ローマ帝国(またの名をビザンチン帝国)の終焉の物語。「あの街」へ行く前にこの1冊を読んでおくと、コンスタンティノープル、いやイスタンブルの景色もずいぶん違って見えると思います。実際に僕はイスタンブルに出かける前に何度か読み直し、今回の東ローマの終焉0〜5を綴るにあたっても随分と参考にさせていただきました。

そのおかげで長閑なボスポラス海峡クルーズではルメリヒサル、アナドルヒサルに挟まれた場所で両岸からの砲撃に背筋に悪寒が走り500年前の商船の乗組員の恐怖を感じたし、ガラタの塔ではジェノバ人の痕跡を感じてあの5/29に至るまでの気持ちを追体験して、アヤソフィアに初めて入った時は、広い堂内を歩いてマホメッド2世が初めて足を踏み入れた時の気持ちや、戦利品として大理石を剥がそうとするオスマントルコの一人の兵士の様子が目に浮かんだり、、、僕はコンスタンティノープル(イスタンブル)の街を目に見えない景色を感じて過ごしていました。

中でも僕がもっとも想像力をかき立てられたのがこの「テオドシウス2世の城壁」でした。

イスタンブルで滞在したホテルからすぐ近くだったこともあって、イスタンブル滞在中は毎朝ここへ散歩に出かけました。 今では廃墟と化した城壁の上に立つと、まるで1453年5月29日当時の様子が目に浮かぶようでした。

テオドシウス2世の城壁、当時世界に響き渡った評判は「決して破ることのできない城壁」。高さ9mと23mの2重の壁と幅20mの壕を組み合わせ、総厚60mにもなる防護システムはマルマラ海から金閣湾までイスタンブルの旧市街の西の陸側をすっぽり覆い、外敵からローマ最後の都を守ってきました。

1453年のコンスタンティノープル攻防戦では、オスマントルコは海と陸と両側からコンスタンティノープルを攻めてきました。その中で、もっとも凄惨な戦いが繰り広げられたのはこのテオドシウス2世の城壁周辺でした。

この場所から東ローマの兵士、ジェノバ軍の兵士が見たのはどんな景色だったろうか?

大地を埋め尽くす10万人のトルコ軍。迫りくる歩兵の大群、その後ろには抜刀姿で仁王立ちの泣く子も黙るイエニチ ェリ軍団。半月刀を抜刀しているのは敵を威圧しているのではない。戦いに怯えて逃げてもどってくる自軍のトルコ兵士を斬りつけるため。 そして、東ローマ軍にとどめを刺すタイミングを見計らっている。

断続的に打ち込まれる大砲の砲弾の中、東ローマの兵士は戦っても戦っても迫ってくる大量のトルコ兵の隙間からイエニチェリ軍団を見た。 城壁に守られているとはいえ、圧倒的に少数の東ローマ軍。たとえ、この目の前のトルコ兵士を防いだとしても、体力は限界。イエニチェリは自分たちが崩れるのを待っている。無敵のイエニチェリが動き出したら自分たちの運命は尽きるのかもしれない。東ローマ側についた兵士たちは、そんな絶望感を背後に感じながら、この城壁の上に立ち戦い続けた。

 

今この城壁に立って城壁の続く先を見ると、はるか向こうの方まで城壁がつづいている。これが金角湾とマルマラ海をつないでいるのだと思うと、よくぞこれほどのモノを張り巡らせたものだと感心してしまう。そして最も高い城壁の上を歩いていると、押し寄せるトルコ兵の地響きと大砲の音が聞こえてくる、そんな気がします。そして街の外側に目をやると、今はすぐ前を高速道路が走っているのだけど、そのずっと向こうの方までトルコ兵の大群で埋め尽 くされた様子が見える、ような気がします。

当時の戦闘によって崩れたのかも知れない城壁を進むと、当時の東ローマの兵たちの戦慄が感じられるようでした。破られることのない城壁は、今から500年ほど前の僕の誕生日にオスマントルコ軍によって破られ、「あの街」はオスマントルコの手に堕ちた。それは2000年以上続いた古代ローマの歴史が終わった日でもある。

現在は城壁に沿って高速道路が走り、遠くまで見渡せるイスタンブルの景色はイスラムのモスクとミナレットがたくさん見える。かつてのキリスト教の街「コンスタンティノープル」、今目に映るのは、「イスラムの街」イスタンブルなのだけど、この場所は僕の想像力を激しく刺激して、あるいは当時の東ローマ軍の兵士の魂がコンスタンティノープルがなくなるあの日当時の様子を生々しく感じ取らせてくれた、そんな気がしました。

 

 

 

 

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