
1870年に伝説だった「トロイア」の街を発見したことで、世界にその名がとどろいたハインリッヒ・シュリーマン。しかし、シュリーマンのトロイ発掘に関しては、いろいろとよくない話が聞こえてくる。特にここトルコ、あるいは考古学の世界では「悪者」として扱われているようだ。現地で買ったトロイの本でも、随所に「シュリーマンの宝探しのお陰で・・・」とか「シュリーマンが掘りまくったため・・」といった具合に彼の偏った発掘行為による遺跡の破壊について軽蔑と嘆きの表現が現れる。

◾️トロイ掘り起こし
もともとここヒッサルリクの丘が伝説のトロイである可能性に目をつけたのはシュリーマンではありませんでした。1865年当時、チャナッカレで領事をしていたイギリス人のカルヴァールトがこのヒサルリクの丘とトロイの関連に気づいて試しに発掘をしてみたところ、古代ローマ(第Ⅸ市)やギリシア(第Ⅷ市)の遺跡が現れ、さらにその下の層にも都市の遺跡があることまで発見したのでした。しかしカルヴァールトは発掘資金が調達できず、しかたなく当時は実業家として成功し、金は持っていたシュリーマンにこの発掘の続きの話を持ちかけたのでした。1870年、カルヴァールトから選手交代でシュリーマンが発掘を進めていくと、陶器や青銅製の遺物を多数出土したのだけど、黄金の財宝にしか興味のなかったシュリーマンはさらにどんどん掘り進め(=多くの遺跡を破壊して)、第Ⅱ市遺跡の壁付近で、ついに黄金の財宝を見つけてしまった。

*シュリーマンが黄金の財宝を見つけたのがこの付近
シュリーマンは考古学的な検証はすっ飛ばし、これらはイーリアスのトロイで王だったプリアモスの財宝だとして大々的に発表してしまった。そして中でもとても繊細な金細工で作られた頭飾りはじめアクセサリーの数々は「ヘレネのアクセサリー」と称して、シュリーマンの妻にアクセサリーをつけた写真を発表したのでした。ただこれが当時ものすごく評判になったとか。

*「ヘレネのアクセサリ」を身に纏ったシュリーマン夫人
シュリーマンは1874年にこの大発見の様子を「トロイアとその遺跡」という自伝本を出版し、伝説のトロイが実在したことを広く世間に知らしめたのでした。こうして「伝説のトロイを発見したのはシュリーマン」として世間に知れ渡ったのでした。僕もずっとトロイはシュリーマンが発見したものだと思っていた。
◾️シュリーマンは考古学者ではなかった。
トロイ発掘当時、シュリーマンは考古学とは全く無縁の実業家でした。いくつかの事業に成功し財を成した後、カルヴァールトに依頼されて生涯初めての発掘作業をトロイで行うこととなったのでした。カルヴァールトからここがトロイの可能性が高いことを聞いたシュリーマンは、イーリアスに登場する「ホメロスのトロイ」にのみ猛烈に興味を示し、伝説のトロイア探しを始めたわけです。ヒッサルリクの丘の遺跡を発見してからも、「ホメロスのトロイ」以外の遺跡には興味なく、それ以外の遺跡部分に対しては発掘ではなく、ひたすら「破壊」してしまった。おかげで9つもの異なる街が折り重なる珍しくも貴重な遺跡史料の大半を無にしてしまった訳で、このことは考古学上の大きな損失であることは疑いようがなく、考古学界での評判はすこぶる良くない。
また世間的に特にトルコでのシュリーマンの印象が良くないのは、未熟で偏った発掘によるものだけでなく、シュリーマン個人の倫理観が大きな理由となっているようです。ヒサルリクの丘を発掘するにあたっては、当時オスマントルコ帝国との約束により、出土品は勝手にトルコ国外に持ち出してはならないことになっていました。ところがシュリーマンは発掘した財宝を故国ドイツに持ち帰ってしまった。まだ持ち帰るだけなら百歩譲ってよかったかもしれないが、ドイツからさらにそれらをイギリスの大英博物館やアメリカへ売りさばこうとしていたことが明るみになったのでした。結局は純粋な「古代への興味」よりも「宝探しと金儲け」が目的だったと思わせる行動に世間はとても残念に思っただろうし、当時のトルコの、トロイ周辺の人々、また考古学界の人々がシュリーマンに対して大きな失望と軽蔑の念を抱いたのも仕方なしと思える。
◾️シュリーマンの功
なんだか「罪」の要素がたくさんのシュリーマンですが、それをひっくり返すほどの功があってのことであるのも事実です。
資金難のカルヴァールトの後を引き継いで、ハデで大規模な発掘をしたことによって、ホメロスのトロイを見つけることができたたこと。そしてその遥か昔からこの場所には都市があったこと、それだけこの場所は優れた地勢であったことが示された。またそれを本にして世界中に広めたことは数少ないもののとても大きな「功」といえるだろう。もしシュリーマンの発掘がなかったら、今でもトロイは伝説と御伽話のままだったかもしれないし、この場所にトロイの遺跡がなかったら、このヒサルリクののどかな農村に大きな木馬が立つこともなかったし、多くの人が訪れることはなかっただろう。
◾️シュリーマンという虚像
シュリーマンは第1発見者ではないにもかかわらず、考古学界の栄誉をほぼ一人じめの状態だった。見る人が見れば棚ボタ横取りの栄誉であるわけで、それに嫉妬、あるいはよく思わない同業者、関係者も多かっただろう。黄金をオスマントルコから勝手に持ち出したのも、当時の状況から出土した貴重な遺物を守るためだったかもしれない。それらを売り捌こうとしたという話は、最終的にドイツ国民に寄贈していることから、誰かの嫉妬による風評かもしれない。シュリーマン自身、虚栄心がとても強い人物だったことは想像に難しくない。一方で、「ヘレネのアクセサリ」を妻に付けさせて写真を公開してしまうという幼稚さというか純粋さが垣間見られ、それが隙となってあれこれ尾鰭はひれつけて悪評を流布された可能性もあるような気もする。
◾️シュリーマンの真実
事実だけを並べれば、カルヴァールトから伝説トロイの可能性を秘めた場所の発掘を持ちかけられ、シュリーマンも「イーリアスのトロイ」が実在する可能性に、その情熱が一気に頂点に達してしまった。考古学や発掘は素人だったがゆえに、ただ一直線に「ホメロスのトロイ」を目指した結果、たくさんの貴重な遺跡を破壊してしまったが、ホメロスのトロイと思われる遺跡に到達して世界に伝説が史実であることを示すことができた。そこで見つかった「プリアモスの黄金」は、遺物保護のため、良かれと思いトルコ政府に無断で国外に持ち出すが、私服を肥やすことなく、それらはドイツ国民に寄贈した。シュリーマンとは世間で言われるほどの悪い人物ではないかもしれない。
シュリーマンはトロイの発掘の後、ギリシアのミケーネの調査で、再び黄金の遺物「アガメムノンのマスク(通称)」を発掘している。よほど強運の持ち主か、エーゲ海の神々に選ばれた人物なのかもしれません。

僕の個人的な思いとしては、もし発掘したのが彼ではなく、いわゆるちゃんとした考古学者だったら、トロイの遺跡はもっとたくさんのことを語ってくれたかもしれない、それが残念でならない。
シュリーマンをめぐっては色々とどろどろした人間模様が見え隠れするのだけど、トロイの遺跡を訪れる時はそんなことは一切考える必要はありません。ヒサルリクの田園にポツンと存在する3500年に渡る遺跡を前に、ただ想像力を開放するだけで良いのです。