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旅行の記憶と何気ない日常を

イーリアスとオデュッセイアの狭間

伝説と言われたトロイア戦争の舞台となったのはBC1300〜1200年頃にあった考古学上トロイア第Ⅵ市(ともⅦ市とも言われる)。つまり6番目のトロイアの街で伝説が繰り広げられたといわれています。

古代ギリシアの詩人ホメロスが書き残した2大叙事詩「イーリアス」と「オデュッセイア」はともにトロイアの街と深い関わりがあり、トロイアの街はそのふたつの叙事詩の狭間にあるのです。

ホメロスが刻まれたかつてのギリシア50ドラクマコイン

そもそもホメロスが活躍した頃のギリシアでは、トロイは「イリオン」と呼ばれていました。まだホメロスが生まれる前、トロイア滅亡後300年ほどの間放置されて廃墟となっていたトロイの街をギリシア人が聖地として復活させ、イリオンと名付けられた。イリオンは当時の巡礼地のような場所だったと考えられています。もしかすると伝説のトロイとして観光地の色が濃かったかもしれません。

おそらくホメロスが生きた当時のギリシア人にとっては「伝説の街トロイ」は、かつてギリシア連合軍が10年戦っても落せなかった難攻不落の都市として敬意を持って認知されていたでしょう。そして現地を訪れたであろうホメロスの想像力を大いに掻き立て、その結果生まれた物語が「イーリアス」と「オデュッセイア」であるのはおそらく間違いないだろう。

ともに叙事詩であり、神々と人間が混在する架空世界の創作物語。トロイ第Ⅵ市が繋ぐ二つの物語を辿ってみます。

 

◾️イーリアス

このトロイア戦争の最後の年、10年目のさらにそのほんの数週間を描いたのが、ホメロスの叙事詩「イーリアス」。トロイア戦争終盤の場面を描いているものの、トロイの木馬に関する記述はなく、トロイア戦争の結末も語らずに終わっている。イーリアスはトロイア戦争の記録ではなく、トロイア戦争を舞台にした「人間の感情の渦」を描いた作品。

 

ギリシアの英雄で神と人のハーフであるアキレウスの様々な怒りを軸に物語は進みます。

その怒りは、トロイの英雄ヘクトールが無二の親友パトロクロスを討ち取ったことで頂点を迎え、一騎打ちでヘクトールを討ち取り仇撃ちを果たした後もその怒りが暴走します。ヘクトールの亡骸をトロイ軍の前で数日に渡り馬車で引き摺り回す、神々すら眉をひそめる奇行を重ね、そのまま亡骸を持ち去ってしまった。

しかしある夜、トロイの王プリアモスが密かにアキレウスの元に現れた。護衛もつけず、武器も持たず、質素な身なりで、プリアモスは王ではなく息子ヘクトールの父親としてアキレウスの元に現れたのでした。そして息子を亡くした父としてアキレウスに対して息子の亡骸を返して欲しいと涙ながらに懇願したのです。

「丸腰のプリアモスがアキレウスに息子の亡骸の返却を懇願する」場面(AIとの合作)

息子を亡くした父親として現れ語ったプリアモスの姿に自分の父を重ね合わせ、アキレウスは心打たれる。この時アキレウス自身が縛られていた「怒り」は瓦解し、ヘクトールの亡骸をその父に返すのでした。そしてイーリアスの物語は無事に父の元に帰ったヘクトールの葬儀で終わる。

イーリアスでは他にも複雑な人間の感情が描かれます。

ギリシア総大将アガメムノンは総大将として圧倒的英雄アキレウスへの嫉妬を抱え、アキレウスから一騎打ちを要請されたトロイの英雄ヘクトールは、勝てる見込みのない相手との戦いに挑まなければならない恐怖と名誉との間で葛藤する。

イーリアスはトロイア戦争を舞台に描いているけど、これは戦争の記録ではなく「人間」を描いた作品。だからトロイ戦争の結末などは関係ないので記述されない。その感情の揺れや変化は現代でも同じ状況が存在する。だから3000年近くの間世界で読まれ、時空を超えた名著として現代の日本の本屋さんにも並ぶ作品となっているのです。

 

◾️狭間にあるトロイ

歴史(伝説)上はこの出来事の後、トロイの木馬作戦が実行されトロイは陥落、ギリシア軍が勝利します。その作戦の最中、英雄アキレウスはアキレス腱を射抜かれて死んでしまうのですが、アキレウスの武勇と名声はその後3000年の時を超えて世界に響き渡るのです。

また10年続いたトロイア戦争はトロイの滅亡という形で終結。ギリシア連合軍は解散となり、それぞれの故郷に向けて帰還の途につきます。

 

◾️オデュッセイア

トロイの木馬作戦を考えたギリシア連合軍の英雄の一人「知将」オデュッセウス。オデュッセウスはギリシア西部のイオニア海に浮かぶ小さな島、とても質素な島イタケの王で、トロイ戦争のために総大将アガメムノンの招集に応え出陣します。

オデュッセイアはこのオデュッセウスを主人公にした、トロイ戦争終結後の故郷への帰還の物語。面白いのは他のみんなすんなり帰国できたのに対して、オデュッセウスとイタケの兵士たちはなかなか故郷に帰り着くことができない。普通に帰れば1〜2週間で帰り着けるはずなのに神々の意地悪と悪戯によって結局10年もかかって帰還することになってしまった。オデュッセイアではその冒険行が綴られる。

 

巨人キュプクロスに幽閉され、

魔女キルケに仲間を豚にされ、

冥界に迷い込み、

半人半鳥の怪物セイレーンの美しい破滅の歌を乗り越え、
美しい女神カリュプソに誘惑され、

こんな風に10年の歳月が過ぎて行ったのでした。

 

僕はこの10年のオデュッセウスの冒険行は神々の意地悪やいたずらではなく、オデュッセウスの意志であったと思っています(叙事詩の出来事ではありますが)。実際のオデュッセウスもきっと自ら知の探究とその後の人生を決めるために、わざと遠回りしてたくさんの経験と知見をえたのではないかと。そのことが伝承されホメロスがそれを知ってオデュッセイアの冒険物語を書き上げたのではないかと考えるわけです。

物語の中で、オデュッセウスはトロイからイタケにすぐに帰らずに、せっかくだから自分がまだ知らない場所やものを見ながら少し遠回りをしようとした。その中で色々な目に遭いながら、自分の人生を見直し本当に大切なことは何かを考え、確かめながら過ごした時間だったのではないかと。

それを特に意識する、とても印象的な二つの場面が、「冥界での出来事」と「女神カリュプソとの出会い」です。

<冥界での出来事>

死者の国である冥界では、かつて共に戦って戦死していった仲間たちやアキレウスに出会います。冥界でアキレウスはオデュッセウスにこう語る。

「死者の王でいるより、生きて貧しい農夫でいたい」

冥界でアキレウスと語るオデュッセウス(AIとの合作)

鬼神の如く戦い、誰よりも栄誉を手にして死んでいったアキレウスが、冥界で自分の人生を振り返ったのか、プリアモスとの会話で生きることの価値を見出したのか、とにかくアキレウスは冥界でオデュッセウスにこう語った。これを聞いたオデュッセウスは混乱したのではないかと思う。太く短く生きて何より名声や栄誉を第一に考え死んでいったと思っていたあのアキレウスが、貧しくても栄誉と無縁であっても生を選びたいと語ったのだから。オデュッセウスはトロイア戦役のあと、おそらく短くても栄誉に浸る人生と、貧しかったとしても平穏に生きる人生に揺れていたと思う。その気にさえなれば、冒険行の途中でどこか地勢の優れた場所で仲間たちとトロイア戦争の英雄の一人として新しい都市国家を作ることだってできただろう。でもこの冥界でのアキレウスとのやりとりで何か答えに近づいたのかもしれません。

<女神カリュプソ>

もうひとつは、美しい女神カリュプソとの出来事。

オデュッセウスはゼウスの怒りに触れ雷で船を破壊され、怪物たちの海域を漂ってのち、カリュプソが住むオーギュギア島に漂着します。カリュプソはオデュッセウス助け深く愛するようになり「共に暮らせば不死を与える」と告げます。美しいカリュプソと共に永遠に暮らし、歳を取らずに、苦しむことなく、神に近い存在として永遠に生きることを約束したのでした。この申し出に対して、オデュッセウスは、オデュッセウスとして生きることを選ぶのですが、カリュプソは何とか心変わりをさせようとオデュッセウスを引き留め続けます。5年とも7年とも言われる歳月を過ごし最後は、神ゼウスの命によって、オデュッセウスは解放されるのでした。

「永遠の命と神に等しい栄誉」を与えられることにオデュッセウスの心も大きく動かされたと思われる。でもオデュッセウスはオデュッセウスという一人の人間として生き、質素で貧しくも故郷のイタケで家族や仲間と共に生きて、オデュッセウスとして死ぬことを選んだわけです。

 

20年ぶりに故郷イタケに到着するオデュッセウス(AIとの合作)

トロイ戦争で10年、その後帰還に10年を要したオデュッセウス一行は、20年もの間故郷を離れ、そしてようやく故郷に辿り着く。オデュッセウスの妻ペネロペもオデュッセウスに負けない知略をもって、オデュッセウスのいない20年間を乗り切った。オデュッセウスは妻ペネロペにも助けられて故郷で家族や仲間たちと新たな人生を歩み始めることになるのでした。

 

トロイを挟んだ二つの叙事詩は、実はホメロスの前半生と後半生とも言われていて、イーリアスは若い頃に書いた名誉と怒りの物語であり、オデュッセイアは後半生で「自分が何ものとして、どう生きるか」を確かめていく物語だったと言われている(諸説あり)。本当のところその時間軸や叙述がどうだったのかは分かりようがない。でも、ホメロスはアキレウスとオデュッセウスという二人の英雄の対照的な人生をトロイを挟んで対峙させて、人間の人生のあり方について語っているように思えます。そこで展開される人間の感情や心情は現代社会においても全く同じようなことが起こり得て、その教科書のような存在となっている。だから3000年もの間多くの人に読まれ続けているのでだと思うのです。

 

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