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ペルガモンのアクロポリス

ペルガモンの起源は諸説ありますが、中でも紀元前1200年頃にあのトロイア戦争の後、アキレウスの息子の一人が作ったとされる説(というか伝説)が一番興味をそそられます。ここが古代地中海世界の代表的な都市に発展したのは、アレクサンダー大王の部下たちがこの地に残り街を発展させたことと、同ような生い立ちであるエジプトのアレクサンドリアと競い合って高め合って行ったことによる。ここペルガモンは地中海世界でも有数の学芸都市として、またアスクレピオンを擁する医療都市として栄えた輝かしい王国でした。

そんなペルガモン王国の中心アクロポリス。現代のベルガマの街のどこからでも見ることができる高い丘の上にその遺跡があります。今は廃墟となっていても、ここに立つとかつてのペルガモン王国の栄華を十分過ぎるほど感じ取ることができるのです。

*ペルガモンのアクロポリスへの入場券

◾️ペルガモンのアクロポリス

もともと「小高い丘」を示すアクロポリスという言葉ですが、ペルガモンのアクロポリスは「かなり高い丘」の上にあり、ベルガマの街のどこにいても眺めることができる。

下の写真の奥に見える、アスクレピオンの参道の向こうのあの丘の上にペルガモンのアクロポリスはあります。

 

市民は上の写真の右手の緩やかな斜面を行き、下のアクロポリスの見取り図の下側からアクロポリスに入場することになります。

最初にゼウス神殿(の廃墟)に迎えられた僕たちは、ゼウスの大祭壇へと進むのです。

◾️ゼウスの大祭壇

紀元前2世紀に建てられたゼウスの大祭壇は、当時の王エウメネス2世がガラティア人(ガリア系民族)の侵入に対して勝利したことを記念して建てられたものでした。エウメネス2世によってペルガモン王国の最盛期を迎えます。ペルガモンの象徴として存在したこの祭壇には、四方にイオニア式円柱が並ぶ列柱廊に囲まれ、基壇部分にはオリンポスの神々と巨人族の戦いの様子を約100mに及ぶ見事なレリーフが施されていました。

この巨人族の戦い(ギガントマキア)のレリーフはヘレニズム彫刻の最高傑作の一つと言われています。この貴重なレリーフは、トロイで発見されたプリアモスの財宝と同じく19世紀にドイツ発掘隊によりベルリンへ持ち去られ、今でもベルリンのペルガモン博物館に展示されている。

今ではその基壇だけが残っているだけ。基壇部の中央に茂る一本の木がとても印象的。かつて大勢の人々が詣でたその場所に今では素朴な木が立っている。

その向こう側のアクロポリスの下に広がるペルガモン(現ベルガマ)の街の様子はきっとそんなには変わってないでしょう。

 

 

◾️アテナの聖域

かつてはイオニア式の列柱廊に囲まれた四角い広場に、アテナ神殿が建てられていたというこの場所ですが、今では列柱廊の名残を残すのみ。わずかなに残る基壇と排水のための水路が当時のおもかげを残します。

女神アテナの領域として作られたここは、ペルガモン市民がアテナが司る、知恵、政治、学問、国家守護を祈る場所でした。

◾️ペルガモン図書館

アテナの聖域の北側の列柱廊のすぐ隣には古代三大図書館の一つ、ペルガモン図書館がありました。当時地中海世界でアレクサンドリア図書館に次ぐ規模の図書館として知られ、蔵書は20万巻と言われています(諸説あり)。ここでは本の保管のほか、研究や教育、さらに写本作成が行われていたと言います。

現在は石積みが残るのみ、後世の復元で間違った石積みがされた可能性があるとも言われていて必ずしも、この図書館があった当時の状態と異なっているようです。そうだとしてもこの場所にはかつて20万巻の本が置かれた大図書館であったことには変わりありません。

 

◾️トライアヌス神殿

共和政ローマが地中海に勢力を拡大していくと、やがてペルガモン王国もローマに吸収されることになります。紀元前133年にペルガモン王国はローマの属州となるのでした。そして紀元後2世紀に当時の皇帝ハドリアヌスが、先帝トラヤヌスを祀る神殿とし建てたのがこのトライアヌス神殿。列柱廊に囲まれた広場の中央に、丘の斜面、ペルガモンの街に、さらには地中海にファサードを向けるように神殿は建っています。

丘の斜面を整地して丘の先端に突き出すようなテラスを作り、そこに神殿が建てられています。現代のアクロポリスの遺跡では基壇を支えるアーチ構造を見ることができる。

正面に円柱が6本、側面は10本の円柱が並ぶコリント式円柱が並ぶ美しいギリシア式の神殿として建てられていました。

僕がここを訪れた当時は丘側のファサードのごく一部と円柱が数本を残すのみという状態でした。世界遺産となった今は復元が進んでいるかもしれませんね。コリント式の円柱は装飾が細かく、円柱に刻まれる縦溝(Fluting)も深いので2000年の時間を経た時の傷み方というのが顕著に見えるのでちょっと痛々しい。

細部の彫刻は現代でも一部ではあるけど、見ることができます。魔除けのために施されたメデューサの首が並んていますね。三角破風にあったであろう彫刻群はおそらく、ドイツに持ち去られたのでしょう。

 


円柱部分を失ったところは、その柱頭だけ、円柱の土台だけが置かれ、ここに立派なコリント式円柱があったことを主張しています。

 

このトライアヌス神殿のすぐ近くにこんな彫像が建っていました。碑文も説明もなくポツリと展示されたこの彫像。頭も腕も足も失ってはいるのですが、マントをまとった軍装はおそらく皇帝トライアヌスのものではないかと思われます。これも世界遺産となった現在であれば、しっかりと表示があるかもしれません。

ペルガモンのアクロポリスはこのトライアヌスの神殿とその北側にある王宮が終端になります。

◾️最も誇らしい場所

もう一度アテナの聖域に戻り、左手に聖域を右手に図書館跡を眺めながらこの列柱廊を進んでいくと、

そこには、大劇場があるのです。

この丘の急斜面を利用して作られた劇場は紀元前2世紀、ペルガモン王国の最盛期に建設され、古代ローマの時代に改築されました。くらくらするような急斜面に観客席を設けた1万人収容の大劇場です。 当時のペルガモンの人口が約2万人というから、人口の半数を収容してしまう劇場でした。そして、この急斜面の観客席からは劇場の舞台と共に、ペルガモンの街と遠く地中海という雄大な景色を見渡すができた。おそらくペルガモン市民のほとんどがこの劇場を利用したんだと思います。

背後には自分たちの精神の支柱であるアテナの聖域、学問の象徴である図書館、力と芸術の象徴でもあるゼウスの大祭壇が控え、正面は自分たちの街の全貌と遥か地中海を眺めることができる。この場所に立つと、かつてのペルガモン市民が演劇や音楽を鑑賞しながら、それ以上に自分が属する国ペルガモンの誇りを一番感じることができる場所、それがこの大劇場の観客席ではなかったかと思わずにはいられません。

 

 

 

廃墟となった王国のアクロポリスを吹き抜ける風は、この国の終焉を寂しげに物語っているように感じられる。でもそこに残る遺跡の多くは単なる基壇であっても、石積みであってもここにヘレニズムを代表する高度都市があったこと、それが神々に守られた誇り高い文化であったこと、また格式高い学問の都であったことを伝えるオーラのようなものが強く残っていました。

 

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