cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

小話 手のひらを太陽に

先月、とても気持ちよく晴れた日に熊本の阿蘇に出かけました。僕は年に何回か熊本での週末を過ごす時があって、その時、特に天気の良い日はじっとしてられなくなって、熊本のあちこちを巡ります。阿蘇周辺はその自然のエネルギーと人が共存する不思議な世界に惹かれて、吸い寄せられるようにきてしまうんです。

最近のお気に入りの阿蘇の過ごし方は、五山のひとつ杵島岳(1,326m)に登って、その山のてっぺんで草の上に寝っ転がってしばらくの間、何も考えずにぼーっと過ごすこと。

耳に入るのは、爽やかな風の音に混じって虫が飛び回る音、時々遠くを走るツーリングを楽しむバイクの音が聞こえるだけ。この高さは山の麓はとても暑かったけど、標高1000mちょっとのここは涼しくて柔らかい風が吹くとても気持ちのいい場所なのです。こんなところで寝っ転がれるというのはこの上ない贅沢です。もっとも他に寝っ転がっている人はいませんでしたが。大人になると、地面に寝っ転がって空を見上げるなんてことは普段することはないので、とても貴重な時間です。

僕はこの場所で体を大の字にして、伸びをして、深呼吸して、ぼーっとして過ごしました。

空を眺めながら少し太陽の光が眩しくて、手をかざしてみました。じっくり手のひら越しに太陽を隠して空を見るなんて、いったい何年ぶりだろう?

その時ちょっとした違和感を感じたんです。太陽に手をかざしてみるなんて子供の頃の記憶しかありません。子供の頃、太陽を手のひらで遮った時は、自分の手はもっと太陽の光が透けて見えたよな。今全然透けないな。なんでだろう?って手を裏返してみたり、角度を変えてみたりしてみたけど、子供の頃の記憶にあるような手の透かして見える太陽の光はなく、ほぼ完全に見えなくなってしまってます。

この時少し、寂しくなりました。手の皮が厚くなったのか、これが歳をとったということなのか、そもそもなんで太陽が透けなくなったのか、なんてことを寂しさと共に緩やかに考えながら過ごしていたのでした。

楽しい時間は、いつまでも続くわけではありません。釣りには終了時間がある。僕が熊本で過ごせる時間にも限りがある。どんなに好きな旅先でも、いつかはそこを去らなければならない。そして考えてみれば、人生そのものだって同じです。

それでも半世紀以上自由に生きてきて、まだこんなことを考えながら草の上に寝っ転がっていられる。これはずいぶん幸せなことなのだと思います。

 

そんなことを考えながらこの文章を書いていて、今日が8月6日だということに改めて気づきました。

今日は8月6日、広島に原爆が落とされた日。もうすぐ8月9日、長崎に原爆が落とされた日がやってきます。そこにいた多くの人の人生が、何の前触れもなく一瞬で断ち切られた日。

熊本でも先日の地震で、命を失った人がいる。怪我をした人がいる。住み慣れた家や街の風景を失った人がいる。

人生にはいろいろなことが起きる。それでも、誰もができるだけ穏やかに、自分の時間を生きられたらいいのにと思います。

 

あの杵島岳の風と音が届けばいのに。

 

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