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セルシウス図書館 父と息子の物語

紀元後2世紀初頭に作られた華麗な姿を現在までとどめているセルシウス図書館。古代ローマ建築屈指の美しいファサードが一体どんな風に生まれたのか、どんな建築家が作ったのか、その記録は残っていない。

でも、誰がなぜこの図書館を作ったのかはしっかりと記録に残っている。そこには偉大な父とその父を尊敬してやまない息子の姿がありました。

*この写真は朝エフェソスを訪問した時のもので人がとても少なく静かに堪能できました。

「セルシウス図書館」の「セルシウス」はエフェソスに多大な貢献をした人物ケルスス(Tiberius Julius Celsus Polemaeanus)のこと。セルシウス図書館はこのケルスス(Celsus)の名前を冠して呼ばれています。

ケルススは元老院議員として頭角を現し、ローマ帝国の官職の最高位である執政官までに登り詰めました。そして執政官退任後には故郷であるアジア属州の最高位である属州総統となって凱旋して、地元に大きく貢献した人物で、紀元後2世紀初めに亡くなりました。

ケルススの息子アクィラ(Tiberius Julius Aquila Polemaeanus)はエフェソスの誇りであった父への感謝を込めて、またその功績を後々まで讃えるために記念碑を建てようと考えます。

父ケルススと同じくローマ帝国の執政官を務めていたアクィラは、単なる記念碑ではなく、父に相応しい知の殿堂として、また市民が多く足を運んでくれるように「図書館」としたのでした。ケルススが亡くなってすぐ、アクィラがセルシウス図書館を着工します。アクィラはそれを見ることなくこの世を去ってしまったのですが、セルシウス図書館はさらにアクィラの遺志を継ぐものたちが引き継いで完成させます。

セルシウス図書館は紀元後117年に完成したと言われ、当時1万2千巻が収蔵されローマ世界有数の図書館のひとつに名を連ねることとなるのでした。

 

アクィラはケルススの棺の上にセルシウス図書館を建てました。

図書館の地下にその名を冠した人物が葬られているという例は極めて珍しくセルシウス図書館は図書館であると同時にケルススの霊廟でもありました。

僕はそこに強く惹きつけられました。それはなぜなのか。

 

街の誇りである立派な父を讃えるためにローマ建築随一ともいえるファサードを作り、そこには4体の彫像が置かれています。

これら彫像は父ケルスス(セルシウス)を讃える四つの徳(叡智、美徳、思慮、知識)をあらわしたもので、ファサード正面左から

叡智の像

美徳の像

思慮の像

知識の像

アクィラは、セルシウス図書館を訪れる人々を古代ローマ屈指のファサードとこれらケルススの徳をもって迎え入れようとしたのでした。

いち地方都市であるエフェソスからローマ帝国の皇帝に次ぐ官職である執政官まで登り詰め、その後アジア属州総督として地元エフェソスに凱旋して活躍した立派な父への感謝の証、記念碑として、父の墓の上に建てたセルシウス図書館は霊廟でもあります。

ここからは僕の想像になるのだけど、おそらくアクィラは父の背中を見て政治を志したと思います。そしてアクィラ自身も執政官まで上り詰めた。でも肩書き以上に超えることができない父の姿に特別な思いを抱いていたのではないだろうか。アクィラ自身、父を越えたいと想い過ごしてきたその一方で、父はいつまでも父であってほしい、越えることができない存在であってほしいという思いもあったのではないかと。

そんな想いがあのファサードに込められている。

セルシウス図書館は人々がいつまでも偉大な父の徳に触れられるように作られた。そしてアクィラ自身もまた、いつでも父に会えるようにと願い作った。

父はその地下に眠り、その上には父の徳を象徴する像が立ち、壮麗なファサードがエフェソスの街を見つめ続ける。

もしかするとアクィラにとって、セルシウス図書館は記念碑でも図書館でもなく、父そのものだったのかもしれない。

 

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