cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

エフェソス4 大理石通り

「大理石通り」はセルシウス図書館を起点に大劇場まで約400mほど続くエフェソスの主要な道のひとつです。大劇場を過ぎると約4km先のアルテミス神殿に続く祭礼行列の道に繋がっていたので、アルテミス神殿への祭礼行列にとって、大理石通りは重要なルートの一つでした。守護神殿であるアルテミス神殿につながる道として、宗教的に重要な道であっただけでなく、日常的にも市民や商人、役人や旅人が行き交う賑やかな通りだった思われる。両脇には円柱が立ち並び、その名の通り大理石の敷石が敷き詰められ、排水設備も設けられた立派な道でした。

 

実際の大理石通りをセルシウス図書館を背にして進んで行きます。

現在は大劇場までの400mほどの間、大理石の石畳と脇に並ぶ円柱の基壇と少ないながらいくつか立ち並んでいる円柱のおかげで当時の様子がかすかにうかがえます。

通りの右手(東側)には列柱の奥にたくさんの商店が軒を連ねていたそうです。

左手(西側)には少し高い基壇がありその上を円柱が並ぶ列柱楼がありました。そこは「ネロのストア」と呼ばれたいわゆる遊歩道があり、当時はそこには屋根があり人々が雨や日差しを避けて歩くことができる空間だったと考えられています。

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*AIと合作の大理石通りの想像図

大理石通りをしばらく進んでセルシウス図書館の方を振り返ると、こんな景色が見られます。

道の向こう側、ネロのストアを挟んだ向こうに商業アゴラがありました。写真の右手奥にセルシウス図書館のファサードが見えます。2000年前であれば、こんな風にここからセルシウス図書館は見えることはなかったでしょう。また道の突き当たりにあるのは、斜面に形作られた住宅の跡。現在も発掘調査中で、それを保護するために屋根で覆われていました。

道の端には街の重要人物の彫像が置かれていて、クレテス通りと道を形作る構成は同じような感じですが、同じエフェソスの通りでも、大理石通りはクレテス通りとまた違う雰囲気を持っています。

 

大理石通りを進んで左手にあるテトラゴノス・アゴラ(商業アゴラ)は市場などが集まる経済の中心。円柱に囲まれた美しいアゴラは、ヘレニズム期に作られたものを初代ローマ皇帝アウグストゥスの治世に改築が進められたといわれています。

南からはクレテス通りからセルシウス図書館を通ってマゼウスとミトリダテスの門をくぐって中に入る。東側は大理石通りに隣接して、北側には後で紹介する港に続くアルカディア通りと大劇場に繋がっていた。港からクレテス通りから、セルシウス図書館の方から、人々が流れ込んでくる賑やかなアゴラには、かつては中央に水時計が置かれていたともと言われています。

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*AIと合作の大理石通りの想像図

 

大理石通りの起点あたり、セルシウス図書館のはす向かいとなるあたりの一角に、娼婦館がありました。本当かどうか確かではないのだけどセルシウス図書館とこの娼婦館は地下通路でつながっていたという話もあるようです。つまり図書館へ行くフリをして娼婦館に行くことができたということで、人間の性質をよく考え街づくりも色々工夫が凝らされていたようです。

図書館と娼婦館が斜向かいに向かい合ってるというこの街の作りはとても興味深い。

娼婦館にまつわるとても有名話があります。大理石通りの一角に、というか道の敷石の一枚に意味深な絵が彫られている。

足型とハート、女性と思われる顔。足型は「進んで道の左にある」という方向を示し、そのほか「女性の顔」「金」は娼婦館を示唆しているとされる。「図書館と大劇場の大雑把な地図」が刻まれているとも言われていて、現地のガイドによるとこの看板には「お金のある人は遊びにいらっしゃい。お金がない人は向かいの図書館で勉強してお金を稼いでからいらっしゃい」という意味が込められた娼婦館の看板であると書かれている。でも実際のところはその内容については諸説あり、その解釈が面白いのでこんな風に広く伝えられているものの、実際にはこれがなんだったのか未だ意見が分かれているそうです。それでもこれは「世界最古の広告」と紹介されることが多いようです。

誰がなんのために書いたのかは正直わからない。その質はどうみても素人の落書き。でもこれが2000年たった今でも、その解釈について論争が続いている。これを描いた本人は鼻高々だろう。

現在名付けられている「大理石通り」という名前は、確かに大理石が敷き詰められていたのだからそう名付けられてもおかしくはないのだけど、どうもこの名前に僕は違和感を感じてしまいます。この名前は後世になって考古学研究上、便宜的に付けられてた名前だと言われていて、ここにエフェソスの人々の生活があった頃になんと呼ばれていたかは記録に残っていない。アルテミス神殿に続く聖なる道の一部だったことから「聖なる道」と呼ばれることもあるそうなのだけど、実際にここで営まれていたのは商店であり市場あり、ここにあったのは一般の人々の日常で、そんな場所にはもっと庶民的な名前がふさわしいし、そうであったのではないかと思う。

 

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