
今のエフェソスは海からずいぶん遠く離れてしまったけれど、かつてはすぐ近くに港がありました。エフェソスを訪れる多くの人々は港に到着して、最初にこの大劇場を目にすることになるのです。この巨大な大劇場の姿は、エフェソスを訪れた人々に強烈な印象与え、エフェソスの街の勢いをそこから感じ取っただろうことが想像できます。それほどこの大劇場の姿は壮大でした。

この大劇場はヘレニズム期(紀元前3世紀ころ)に建設が始まります。その当時はまだこの規模ではありませんでした。パナユル山(古代ピオン山)の西側斜面を利用した観客席は、最初は1層だったのだけど、エフェソスがローマの支配下に入った後に、歴代皇帝たちが拡張行いました。クラウディウス帝(AD41-54)、ネロ帝(AD54-68)、さらにトライアヌス帝(AD98-117)、セプティミウス・セウェルス帝(AD193-211)によって少しずつ改築・改装が繰り返されて最終的に3層観客席が完成されました。各層22段の観客席で構成されていて24500人(オーストリア考古学チームによる推計)を収容する古代ローマの中でも最大級の劇場となったのでした。

今は「何もない」と言っていいほど存在感ないですが、かつて舞台の背後には「スカエナエ・フロンス(scaenae frons)」と呼ばれる、建築的な、まるで建物のファサードのような舞台背景がありました。柱、ニッチ、彫像、レリーフなどで飾られた多層構造でとても立派なものでした。しかし、現在どこの劇場を訪れても大抵の場合、スカエナエ・フロンスは残ってない。多分建築材として打ってつけだったんでしょうね。悲しい限りですが、エフェソスの大劇場もその例外ではありません。
大劇場は演劇や音楽の演奏だけでなく、市民集会、宗教行事、政治的集会、そして剣闘士競技など広い用途で使われていたと言います。

*A.I.と共同制作の大劇場最盛期の想像図
また、この大劇場は大理石通りからアルテミス神殿まで続く聖なる道に面しているため、アルテミスを祀る宗教行列が大劇場で集会を行ったこともわかっているらしい。アルテミス信仰にとってもこの場所は重要だったようです。
大劇場はさまざまに使われていました。剣闘士の試合も政治集会も宗教行事にも使用され、そして市民集会にも使われて、というあたりはとてもエフェソスらしいと感じます。
舞台に立って、観客席を見上げてみます。観客全員の顔が見えそうです。
そして声を張ったり、一本締めの如く手をぱちんと叩いてみる。とても響くんです。この場所から発する音は空気を伝わって360度に広がっていく。その音の振動はこの観客席のすべての人にダイレクトに届いてしまうんだと思います。そして今観客のいない観客席の石から反射して音が返ってくる。恥ずかしいから歌わないけど、つい歌いたくなるような、そんな場所でした。

実際観客席に座っても舞台にいる人の話し声とか、時々僕と同じく手を叩いてみる人の音とかよく聞こえるんです。きっとギリシアの時代に建築家がこの劇場にいるすべての人がどこに座っても同じように聞こえ、舞台の人が見えるように、舞台の大きさと座席の位置、観客席の角度を計算し尽くして作ったものなのでしょう。この空間にいると、そんな2000年前の建築家の意図が伝わってくるんです。すごいだろ?っていうメッセージが名も知らない建築家から送られてくる、そんな気がします。

大劇場はその壮大な姿でエフェソスを訪れる人々を圧倒し、その優れた設計によってエフェソスの人々がさまざまな用途で利用する象徴的であり機能的な存在だったと言えます。実際にここに入りその空気を感じると、不思議と威圧感みたいなものはなくて、リラックスしてはしゃぎたくなる、理由はわからないのだけどそういう空間でした。
古代のエフェソスの人々もきっと同じだったんじゃないだろうか。演じる人、演奏する人、演説する人、剣闘士もおそらくその空気に包まれて、実力以上のパフォーマンスを出せるような気持ちになったのではないか、ここはそういう場所でした。
廃墟となった今でも、エフェソスが輝いていたことを、この大劇場が教えてくれる。