カエサルは内戦を通じて、これを「人間世界の悲惨」にしてはならないと考えていました。なので自軍の兵に対して、降伏した相手には危害を加えず、勝敗決した後も街や人々に対しての略奪行為は一切禁止して、元々同胞であるローマ人の命はもちろん街や財産も…
紀元前49年1月12日、賽が投げられた後のカエサルの行動は早かった。「決断した後は断交あるのみ」という現代の辞書にある通りローマ本国へ迷いなく進軍します。 カエサルはガリア戦記と同じく、内乱記という形でその一部始終を書物に書き残しますが、同胞で…
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