cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

ローマ

ローマ エピローグ

2022年5月29日にローマを扱い始めて3年とちょっと、僕は大好きなローマの街に浸りました。古代ローマの歴史と魅力的な人々、そして素晴らしい建築(遺跡)を追体験して旅行してた時より旅行を楽しんでるような、そんな時間を過ごしていました。 映画「ローマ…

共和国広場

Piazza della Repubblica/ 共和国広場 夜ローマについて、時差ぼけと豪雨で一睡も出来なかったあの日。太陽が昇るはるか前に活動開始、真っ暗なローマの町に出ました。そして最初に出かけたのがこの年の宿のすぐそばにあった「共和国広場」でした。 半円形の…

ローマ小話 ローマ到着の知らせ

昔ローマを訪れた人々は、長い旅路の先に見えるそれぞれのローマを見つけて、ローマについたことを実感したと思います。例えばフラミニア街道で北からローマに入る人は、今はポポロ広場になっているフラミニア門が見えた時にローマに着いたと実感するだろう…

テルミニ駅

最初のテルミニ駅 1843年、当時のローマ教皇ピウス9世によって、当時複数あった二つの路線をひとまとめにしたローマの最初の「終着駅(テルミニ)」が作られます。その後、新たに計画された3つの路線と合わせた新しい駅が計画されて、ほぼ現在の場所に「ロー…

サンタ・マリア・マッジョーレ教会

現代のローマではテルミニ駅の程近くにあって、鉄道でローマに到着すると最初に出迎えてくれるローマの聖堂がこのサンタ・マリア・マッジョーレ教会(Santa Maria Maggiore)です。 「真夏に雪の降った場所に教会を建てよ」 352年に夏のローマに奇跡的に雪が降…

ローマとベルニーニ

ヨーロッパ各地を歩くとカエサルの名前があちこちでみることができるの同じように、ローマの街を歩くとベルニーニの名前をあちらこちらで見たり聞いたりすることになります。 ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini,1598-1680) ルネサンスの巨匠最後の一人のミケ…

ローマとラファエロ

ローマの記録で最初にラファエロが登場したのは1509年「署名の間の装飾の報酬として100ドゥカートを受け取った」という記述があるそうです。ラファエロが教皇ユリウス2世の招聘に応じてローマに来たのは1508年。署名の間をはじめ教皇が使う重要な4つの部屋の…

ローマ小話 あの日のヴァチカン

あの日、ローマは夜中から激しい雷と豪雨、それが朝まで続き僕はほとんど眠れませんでした。明るくなってからも朝から大荒れの天気で、その日一日中、雨、豪雨、晴れ、曇り、雨と繰り返し、傘を出したりしまったり折り畳み傘大活躍のとても忙しい1日でした。…

ローマとレオナルド

このルネサンスの巨匠の生涯にとって、ローマとのかかわりは驚くほど少ない。 1514年レオナルド62歳のときから1516年64歳でフランスのアンボワーズに移り住むまでのわずか3年足らずをローマで過ごしただけでした。それも期間が短いだけでなく遂に仕事らしい…

ヴァチカン美術館7 荒野の聖ヒエロニムス

ミケランジェロやラファエロのような華々しく圧倒的で、そして神々しい作品たちとは一線を画すようにレオナルドの作品はありました。ヴァチカン美術館の「荒野の聖ヒエロニムス」はピナコテーカの一室にガラスケースに守られながらひっそりと展示されていま…

ローマ小話 ローマの商魂

今日は朝から雨で、こんな日にはあの時のローマの街でみた土産物売りを思い出します。 ☆ みやげ物売り ☆ イタリアに限らず観光地と呼ばれる場所には多くの土産物屋があります。日本では大抵の場合、土産物のお店を思い浮かべますが、海外ではいわゆる店舗の…

ローマ小話 コンクラーヴェ

最近ニュースで話題になった「コンクラーヴェ」。 たまたま偶然なのだけど、先ほどまでこのコンクラーヴェの会場となったヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の記事を書いていたので、キリスト教徒ではない僕も今回のコンクラーヴェはより一層興味を持って見てい…

ローマとミケランジェロ

ミケランジェロが初めてローマを訪れたのは1496年の初夏、22歳の時でした。ここで目にした古代ローマの彫刻や建築は、以前フィレンツェのメディチ家の庭園で得たものと同じ感動をミケランジェロに再び呼び起こしてくれたといいます。 そして生涯にわたり、ミ…

ヴァチカン美術館6 システィーナ礼拝堂の修復

僕が1998年にシスティーナ礼拝堂を訪れたときはすでにミケランジェロの天井画、祭壇画は共に修復がおわっていて、ミケランジェロの神の如き仕事を見ることができました。でも、システィーナ礼拝堂にミケランジェロがこの作品を生み出してから約500年、礼拝堂…

ヴァチカン美術館5 最後の審判

祭壇画「最後の審判」 そして天地創造が生まれて30年後、61歳の老齢となったミケランジェロが絵筆を奮い描ききったのが、システィーナ礼拝堂の祭壇画「最後の審判」です。 最後の審判(1536~41年) 「最後の審判」の主題は新約聖書の「マタイの福音書」や「…

ヴァチカン美術館4 天地創造

システィーナ礼拝堂のこの小さいはずの空間はミケランジェロのフレスコ画によって無限の広がりが与えられた。ここに入ると、時間も、首が痛いのもわすれ、ミケランジェロが描いた世界に飲み込まれてしまう。そして、あとになって驚くのだ。あのすべては「ミ…

ヴァチカン美術館3 システィーナ礼拝堂

Cappella Sistina / システィーナ礼拝堂 教皇専用の祈りの場所として、またコンクラーヴェと呼ばれる次期教皇を選出する神儀が行われる場所として、システィーナ礼拝堂は神聖なヴァチカンの中でもさらに神聖な場所です。1470年頃、教皇シクストゥス4世(シス…

ヴァチカン美術館2 ラファエロの間

Stanze di Raffaello / ラファエロの間 ローマ教皇ユリウス2世により、教皇の4つの居室の壁画を描くことを依頼されたのは1509年、ラファエロが25歳のときでした。「コンスタンティヌスの間」「ヘリオドロスの間」「署名の間」「ボルゴ火災の間」の4つの空…

ヴァチカン美術館1

Musei Vaticani / バチカン美術館 歴代ローマ教皇のコレクションやバチカン宮殿やキリスト教関連施設に時代の巨匠たちに描かせた壁画など、ヴァチカン宮殿に散らばった作品を24の美術館として一般に公開し、それらを総称して「ヴァチカン美術館」と呼びます…

ヴァチカン クーポラ

ミケランジェロのクーポラに上がるには、一度大聖堂の外に出て、専用のエレベータに乗ります。サン・ピエトロ大聖堂にエレベータ?と思いますが、あの巨大な大聖堂の下からてっぺんまでを歩いて登ることを考えるとこのエレベータはとてもありがたい。 まず身…

ヴァチカン サン・ピエトロ大聖堂 内部

全世界24億人のカトリック信者と観光客が集まるサン・ピエトロ大聖堂。威風堂々とした巨大な外観に負けず劣らず、内部も巨大で、豪華です。 サン・ピエトロ大聖堂に入るとすぐ、神々しい彫刻に出会うことができます。 ミケランジェロの「ピエタ」です。 ミケ…

ヴァチカン 大聖堂詣でる

サン・ピエトロ広場に入ります。140もの聖人たちに見守られる広大なベルニーニの空間に入ると、サン・ピエトロ大聖堂が顔を出します。 サン・ピエトロ広場の中央に立つのはカリグラ帝がエジプトから運ばせたオベリスク。ここを歩いていると、この広大な広場…

ヴァチカン サン・ピエトロ大聖堂

Basilica di San Pietro / サン・ピエトロ大聖堂 テベレ川から見るサン・ピエトロ大聖堂はとても大きく優雅に見えます。 カトリックの総本山として古くから巡礼者が訪れて、また永遠の都ローマでミケランジェロやベルニーニなどの天才たちが作り上げた空間を…

ヴァチカン サン・ピエトロ広場

サン・ピエトロ広場 / Piazza San Pietro サンピエトロ大聖堂に誘うこの楕円形の広場はバロックの巨匠ベルニーニによって1667年に完成しました。巡礼で訪れる者、観光で訪れる者関係なくサン・ピエトロ大聖堂を訪れる者はこの楕円形の広場を通ることになりま…

ヴァチカン市国

Citta del Vaticano / ヴァチカン市国 世界最小の独立国。国としての面積は小さく人口も少ないヴァチカン市国ですが、ここは世界人口の3割を超える約24億人という世界で一番多くの信者を抱えるキリスト教の中心地、ローマ・カトリックの総本山サン・ピエトロ…

ヴァチカン瞬景

ローマが生まれるはるか昔から流れるテヴェレ川の流れの向こうに、キリスト教カトリックの総本山サン・ピエトロ大聖堂が見えます 17世紀にベルニーニによって作られた楕円形のサン・ピエトロ広場は、周りを囲む列柱楼とその上に立ち並ぶカトリックの聖人たち…

古代ローマ小話 ゲルマン民族の大移動

「古代ローマはゲルマン民族の大移動によって滅ぼされた」 まだ歴史をよく知らない小学校の頃か中学の頃、教科書か何かで「ゲルマン民族の大移動」というフレーズを初めて知りました。ちょうどその頃、人気プロレスラーのブルーザー・ブロディがレッドツェッ…

古代ローマ小話 古代ローマが終わった瞬間

古代ローマの終わりははっきりしないと言われます。いつからいつまでがローマなのか?いろいろな捉え方があるようです。 始まりは笑ってしまうくらいはっきりしています。ローマ建国は紀元前753年4月21日。雌狼に育てられた双子の兄弟ロムルスとレムス。その…

ちょっとローマ史15 始まりと終わり

キリスト教国家としてのローマが始まり、 古代ローマ世界が終わりを告げる。 皇帝テオドシウスによって、一瞬の間分割されていたローマが再び統一されました。しかしテオドシウスがキリスト教を国教と定めた結果、キリスト教徒となった皇帝は国家の最高権力…

ローマ小話 コンスタンティヌス一家との縁

僕はコンスタンティヌス一家と縁があります。 コンスタンティヌス一家とは、大帝コンスタンティヌスとその3人の息子、長男コンスタンティヌス2世、次男コンスタンティウス、三男コンスタンス。 大帝コンスタンティヌス1世といえば、史上初めてキリスト教を…