ローマ
セプティミウス・セウェルスのあとに皇帝となったのはカラカラとゲタ。ともにセプティミウス・セウェルスの息子であり、マルクス・アウレリウスからコンモドゥスへ継承されたのと同じく血の継承が行われ、さらに、継承された息子が結果的に暴君となってしま…
哲人皇帝マルクス・アウレリウスが病死、その息子コンモドゥスが皇帝となってからローマはおかしくなっていく。ローマ帝国が坂道をリンゴが転がり落ちるように衰退していく時代が始まってしまったのでした。そんな中でも時折、その坂の途中で足を踏ん張りり…
僕の職業は会社員です。なにをやっているかと言えば光を扱うエンジニア。今は元エンジニアの事業部門を預かる管理職なんだけど、自己紹介するとしたら「エンジニア」であることを強調します。今何をやっていてもエンジニアである(あった)ことの誇りというか…
現サンタンジェロ城(ハドリアヌス霊廟)には五賢帝の5人目の皇帝マルクス・アウレリウスも埋葬されています。今回は皇帝マルクス・アウレリウスのお話です。 皇帝になるずっと以前から、マルクス・アウレリウスはギリシア哲学に傾倒します。中でも自然の中…
サンタンジェロ(Saint Angelo)は「聖なる天使」を意味しており、大天使ミカエル(Saint Michel サン・ミシェル)を指します。 16世紀の疫病の大流行からローマを救うために、ハドリアヌス霊廟に大天使ミカエルが降り立ったという伝説によって、ハドリアヌス…
現在サンタンジェロ城(イタリア語:Castel Sant'Angelo)と呼ばれるこの建物はもともとローマ帝国の五賢帝の一人ハドリアヌス帝の霊廟 (ラテン語:Mausoleum Hadriani)でした。 皇帝ハドリアヌスが自分自身とその後に続く皇帝たちのための霊廟として、135年…
映画「ローマの休日」のクライマックスとなるのが、現在ではサンタンジェロ城と呼ばれるここ、ハドリアヌス霊廟です。この場所がアン王女の「希望」の最後の場所となるのでした。記者のジョー、カメラマンのアーヴィンと共にサンタンジェロ城の前の桟橋で、…
オードリー・ヘプバーン主演、初の映画出演で最高傑作である映画「ローマの休日」はスペイン広場周辺もたくさん登場します。 トレヴィの泉の美容院で髪をバッサリ切ったあと、アン王女(オードリー・ヘプバーン)はコンドッティ通りのショーウィンドウにショ…
今日はローマの公衆電話で日本へ国際電話をかけてみた時のお話を。。。 21才の時に初めて従兄弟に連れられローマを訪れた後、今度は一人でローマに行きたくなりいてもたってもいられなくなった。ローマ再訪が実現したのが3年後の夏でした。初めて単身でヨー…
あの日のローマは朝からとっても不安定な空模様。ざあーっと豪雨になって雷がゴロゴロ鳴ったかと思えば、パーっと日が刺して虹ができる、そしてまたゴーっと雨が降る。あの日のローマ周辺はほぼ一日そんな天気でした。なのであの日、1日中傘を出したりしまっ…
スペイン広場にて、あの日とても暑い夏の日でした。 まだ午前中だというのに持ち歩いていた水はあっという間に空っぽになり、たどり着いたスペイン広場の入り口にあるベルニーニの「船の噴水」で水を飲みます。ローマにはあちこちに泉や噴水があんですが、真…
コンドッティ通りを進むとその突き当たりに、競り上がる丘の斜面に面したちょっとした空間が広がります。宮殿のような階段と椰子の木(?)の姿は南国の雰囲気を醸します。ここ、スペイン広場(Piazza di Spagna)に入ると、まずベルニーニの船の噴水が迎えてく…
ポポロ広場からコルソ通りをフォロ・ロマーノに向かって南下すると、コンドッティ通り(Via dei Condotti)にぶつかります。そこを左に曲がってまっすぐ行くとスペイン広場に行き当たります。 このコンドッティ通りは元々古代ローマの時代に「庭園の丘」と呼ば…
ポポロ広場(Piazza del Popolo)はローマの中心部の北に位置する楕円形の美しい広場です。 「ポポロ広場」のポポロ(Popolo)はイタリア語で「市民」を意味するので、「市民の広場」と言うことになるのだけど、実際の名前の由来はこの広場の北東にあるサンタ・…
フォロ・ロマーノのど真ん中に現在まで残っている神殿、その名前となっている「アントニヌス・ピウスとファウスティナ」。今回はこの夫婦のお話です。 古代ローマ史上最も平和な時代だった五賢帝の世紀。その中でも優れた皇帝として特筆されるのが、トライア…
トレヴィの泉から歩いて5分くらい、上り坂を登ったその先の小高い丘の上に閑散とした広場と宮殿建築が現れます。エジプトのオベリスクの立つこの場所は「クィリナーレ広場(Piazza del Quirinale)」と言い、左の建物は「クィリナーレ宮殿(Palazzo del Quirina…
カエサルはアウグストゥスにとっては母の従兄弟=大叔父に当たります。寛容を旨として、誰とでも気さくに接し、ユーモアを絶やさない、ハゲの女ったらしで、エピキュリアン(快楽主義者)を貫いたカエサルに対して、アウグストゥスはといえば、真面目一徹。 風…
トレヴィの泉につながるヴィルゴ水道をローマに引いたのは、アグリッパという人物。 アグリッパがヴィルゴ水道を引かなければトレヴィの泉は存在しなかったかもしれません。それ以前にアグリッパがいなかったら、ローマ帝国の歴史はなかったかもしれません、…
昼間は絶え間なくたくさんの観光客が押し寄せるトレヴィの泉。その盛況ぶりは夜も変わりません。 イタリアを初めヨーロッパの街の夜のライトアップというのは、どこもとても綺麗です。その建物やモニュメントの特徴を活かしたライティングは景色が綺麗の見え…
僕はどこに行っても必ず早朝の街を散策します。観光地であればあるほど昼間の大混雑を避けてゆっくり落ち着いて街や建物を堪能するためで、この日も早朝にローマの街を歩いてトレヴィの泉に来ました。街全体が博物館のようで、観光客で溢れかえる昼間のロー…
トレヴィの泉といえば、泉を背にしてコインを投げ入れることで願いが叶う、という有名な言い伝えがあります。一体いつからどうやって「コインを投げると願いが叶う」ことになったのかは、はっきりした記録がないようです。 313年に皇帝コンスタンティヌスに…
ローマの渋いレンガ色の建物に挟まれた路地を歩いて行くと、その隙間から目を覚ますような真っ白な壁が顔を出します。もう少し進んでいくと、それほど広くはない四角い空間が開けるんです。そしてその空間を囲うある一つの建物の壁には目の覚めるような白亜…
皇帝ハドリアヌス(在位117〜138年 CAESAR PVBLIVS AELIVS TRAIANVS HADRIANVS AVGVSTVS) 2000年ほど前の今日(138年7月10日)に皇帝ハドリアヌスが息を引き取りました。 五賢帝三人目の皇帝で、若い頃からギリシア文明に精通した文化人であり、政治、軍事か…
ローマ史上「全盛期」と言われる期間、その最初を担ったのが皇帝トライアヌス(CAESAR MARCVS VLPIVS NERVA TRAIANVS AVGVSTVS)。 トライアヌスはヒスパニア(現スペイン)属州に生まれた史上初めての属州生まれの皇帝となりました。生まれなんぞどこだって、…
皇帝ティトゥス(TITVS FLAVIVS CAESAR VESPASIANVS AVGVSTVS)はフラヴィウス朝2代目の皇帝として、紀元79年に即位します。ところが、その即位とほぼ同時にヴェスヴィオ火山の噴火、ローマの大火、疫病という未曾有の災害に見舞われ、逃げることなく対策に挑…
古代ローマは王政から共和政、共和政から帝政へ長い歴史の中で国の政体を変えてきました。紀元前753年の建国から約250年は王政、そのあと約500年は共和政です。 ◾️王政から共和政へ 王政から共和政への変化は、王政の後半にいわゆる「暴君」があらわあれ、そ…
パンテオンから300mほど離れた場所に「コロンナ広場(Piazza Colonna)」があります。コロンナ(Colonna)とは「記念柱」のことで、ここには五賢帝最後の皇帝マルクス・アウレリウス(CAESAR MARCVS AVRELIVS ANTONINVS AVGVSTVS)の戦勝を記念して作られた美しい…
コロッセオの落成式が行われたのが紀元後80年。そこに至るまでには様々な紆余曲折がローマにはありました。 カエサルが帝政ローマをグランドデザインして、その後を継いだアウグストゥスがローマ帝国とパクスロマーナを完成させ、アウグストゥスはカエサルの…
ナヴォナ広場のこの不思議な細長い形、その理由はかつてここが戦車競技場(スタジウム / Studium)だったことによるものです。ここはかつて「ドミティアヌス競技場(Stadium Domitiani)」と呼ばれていました。 この競技場はもともとはカエサルが計画し、アウグ…
数あるローマの広場の中で、もっとも美しいと思われるのがここ「ナヴォナ広場(Piazza Navona)」。 パンテオンから300mほどの距離にある美しい広場です。 細長い広場はバロックの建物で囲まれ、3つの見事な噴水がバランスよく配置されています。写真の細長い…