cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

ローマ

カエサル言葉 1  ”見たいと思う現実しか見ていない”

~カエサルの言葉~ 「人間誰しもすべてが見えるわけではない。多くの人は自分が見たいと思うことしか見ていない」 ”Fere libenter homines id quod volunt creduunt”誰でも、都合の悪いこと(見たくない現実)には目をそむけてしまいます。無意識のうちに現…

カエサル7 三頭政治

昔歴史の教科書に載っていた三頭政治(Triumviratus)という言葉。歴史を学校で学んだ(はずの)当時、全く意味を理解していなかった。歴史とは組紐が如く、もつれて繋がりをもって時が過ぎ、さまざまな小さな出来事が因果応報重なって大きな出来事へ流れていく…

ローマ小話 朝のローマ散歩

ミラノ経由の飛行機でローマ入りした時、ローマのホテルに到着したのは夜の10時頃。この年は雨と雷と時差ボケとローマについた期待感と興奮でなかなか眠れず、その夜は一睡もできませんでした。 ずーっと続いていた雷と雨音の轟音が徐々に収まってきて、静け…

カエサル6 カティリーナの陰謀

紀元前63年のこの年、カエサルは37歳で最高神祀官(Pontifex Maximus)になります。「最高神祀官」はローマの宗教に関する最高責任者で、ローマの官職のなかで唯一定員がひとりだけ、しかも終身職で他の官職との兼務OKという特殊な位置付けがされている。カエ…

カエサルと "借金”

海賊に囚われた時には50タラント(約50億円)もの身代金を従者に借金に走らせたり、按察官時代に行った二つの大事業を自費で行ったり、この時期、35歳にしてカエサルの借金は既に膨大な額でした。さらに生涯かけてカエサルは天文学的な数字の借金をすることに…

カエサル5 民衆派として立つ

立つカエサルはB.C.65、35歳の時に按察官(エデイリス / aedilis)に就任します。按察官とはローマの公共施設の管理や祭儀の管理を行う官職でした。 カエサルはこの年、この官職を利用してローマ街道の補修と剣闘士試合開催という二つの大事業を行います。しか…

カエサル4 海賊の人質

若い時期のカエサルを語る時、よく取り上げられるエピソードがあります。プルタルコス(Plutarchus A.D.46-119)の「対比列伝(Vitae Parallelae 英雄伝)」などに記される有名な話「カエサルが海賊に囚われた」を。 スッラの死後ローマに戻ったカエサルはいわゆ…

カエサル3 カエサルから見たスッラの粛清

カエサル18歳の時、スッラはカエサルの命を奪おうとしていた。 カエサルの叔父にあたるマリウスは政敵スッラの関係者を一掃しようと粛正を行った。そしてマリウスが死んだ後、スッラは逆にマリウスの関係者を完全消滅をしようとした。半ば感情的に殺戮を行っ…

カエサル2 生涯

カエサルの略暦。カエサルの生涯は後半に行けば行くほど濃くなっていきます。人生の経歴としてはカエサルはとてもスロースターターです。20代で軍功を挙げて当時すでに最高の栄誉を受けた三頭政治の一角、ポンペイウスとは対照的です。 しかし、後世の人々は…

カエサル1 3月15日 / Idus Martiae

ヨーロッパの人は3月15日(ラテン語でIdus Martiae)というと、それが何を意味するのかほとんどの人が知っているといいます。日本で3月15日といえば中学や高校の卒業式?と連想しますが、ヨーロッパで3月15日といえば、それはユリウス・カエサルが暗殺された日…

小話 誰かの生涯

このブログ"cafe mare nostrum"の中で何人か建築家や芸術家、政治家の生涯を辿ってきました。歴史に名を残した著名な方々の人生を辿るのは、大袈裟に言えばその一生を追体験しているようで感情も移入するし、単純に勉強にもなります。そして毎度、僕はその人…

古代ローマ小話 奴隷の話

タイトルはとても後ろ向きですが、内容はそうでもないのでご安心ください。 「奴隷」という言葉を見ると、アフリカから強制的に拉致されて、ひどい環境で生活しながら強制的に労働させられる人々をイメージします。「奴隷」という言葉には良いイメージはあり…

ちょっとローマ史7 三人の時代へ〜共和政期

B.C.78年スッラが死んだあと、スッラが完成させた改革はことごとく崩壊していきます。終身独裁官であったスッラは自らが考えて準備していた改革を導入させたところであっさり終身独裁官の職を降りて政界を引退してしまった。スッラが行った改革は元老院の復…

ローマ小話 紀元前100年

マリウスとスッラが台頭したこの時期、紀元前100年7月13日に、ローマの未来、そして現代に、特にヨーロッパ世界の運命に大きく関わる人物が誕生します。 ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar B.C. 100 - B.C.44) カエサルは、たどればローマ建…

ちょっとローマ史6 粛清〜共和期

グラックス兄弟の改革と不条理な死を経て、ローマは完全に元老院派と一般市民との間に強烈な溝が生まれ、同じローマ市民の間に大きな対立構造が出来上がってしまいます。深刻な問題となっていた農民たちの失業はローマ軍団の弱体化に直結し、それを敏感に感…

ちょっとローマ史5 混乱そして内乱〜共和政期

ハンニバル戦記とも言われるローマとカルタゴの戦争「ポエニ戦役」は他人の領地に入ってきたカルタゴを「あっちに行け」とローマが加勢したことから始まったのに、振り返ってみれば、130年にもわたるローマとカルタゴの全面戦争、ローマの完全勝利でカルタゴ…

ローマ小話 ハンニバルとスキピオ

寛容を旨とするローマ人が唯一完膚無きまで叩き潰した国があります。当時強大な経済大国として地中海に君臨したカルタゴ(現在のチュニジア)です。 歴史上ポエニ戦役と言われるローマとカルタゴの戦争では先の2度の戦役でローマがカルタゴに勝ち、講和を結ん…

ちょっとローマ史4 ポエニ戦役〜共和政期

カルタゴは現在のチュニジアに位置するフェニキア人の国。当時ローマ人が経済力ではかなわない、としていた経済大国です。紀元前3世紀、カルタゴはギリシアの衰退によって地中海の通商を広く牛耳ることになり、特に西地中海はカルタゴの独壇場でした。 そし…

ちょっとローマ史3 リキニウス法〜共和政期

紀元前509年にエトルリア出身の王タルクィニウスを追放し共和政への舵を切ったローマでしたが、周辺諸民族との戦いや内紛など、なかなかすんなり安定運行とはなりません。アテネに調査団を送って、「十二表法」を作るも逆効果、貴族と平民の溝は深まるばかり…

ローマ小話 S.P.Q.R.

現在のローマの街を歩くと、あちらこちらで目にする「S.P.Q.R」の文字。何かのお知らせのチラシの最初に、看板の頭に、街灯に、マンホールの蓋に、そして古代ローマの遺跡に、このS.P.Q.R.の文字が並びます。 S.P.Q.R.とはラテン語で”Senatus Populus Que Ro…

ちょっとローマ史2 王政から共和政へ

第7代、最後の王となったタルクィニウスの暴君っぷりに散々懲りたローマ人は、これ以降独裁政への嫌悪感を民族のDNAにこれ以上ないほど深く刻みこむことになりました。 ローマの王は世襲ではなく選出により決まるので、王政とは言っても絶対王政ではありませ…

真実の口 マルケルス劇場界隈4

ローマきっての観光名所となっている真実の口( Bocca della Verita)。 フォロ・ボアリオから通りを挟んだ向こう側には、かつてヘラクレスための大きな祭壇があったといいます。昔ここに出没した牛泥棒を退治したのがヘラクレスである(ということになっている…

フォロ・ボアリオ マルケルス劇場界隈3

フォロ・ボアリオ(イタリア語: Foro Boario / ラテン語: Forum Boarium) 真実の口広場に面しテヴェレ川のほとりに位置するフォロ・ボアリオ。ここには共和政ローマ時代の古い二つの小さな神殿が残された、静かで小さなフォロです。 パラティノ、カピトリーノ…

マルケルス劇場 マルケルス劇場界隈2

B.C.3世紀頃からローマで「ギリシアの演劇」が上演されるようになって、半円形劇場はギリシアにならって古代ローマの都市において、フォロ、円形闘技場、公共浴場とセットで整備される重要なインフラとなりました。 ラテン語でマルケルス劇場(Theatrum Marce…

チルコ・マッシモ マルケルス劇場界隈1

チルコ・マッシモ(イタリア語: Circo Massimo) キルクス・マクシムス(ラテン語: Circus Maximus)はフォロ・ロマーノとはパラティノの丘をはさんだ反対側にある、その名の通りローマ最大(Maximuus)の戦車競技場(Circus)でした。 王政ローマの第5代王タルクィ…

ちょっとローマ史1 王政期

Regnum Romanum「王政ローマ」と聞いて、僕は初めてそれを知った時とても「意外」な印象を持ちました。「ローマ」と聞いて一番連想するのが、多分「ローマ帝国」次に「共和制ローマ」。でも建国から約200年、ローマには王様がいたのです。そしてその王政も実…

ローマ小話 ローマ人とは

多民族、多宗教、多文化をとりこみ1000年ものあいだ地中海世界を治め、いまだに多くの人々の興味を集めるローマ。そのローマを作り上げたローマ人とは一体どんな人々だったのだろうか? 僕の人生の指南書といえる「ローマ人の物語」第一巻の冒頭、著者である…

ローマ小話 折衷の粋

ローマを歩いていくと、ところどころでちょっと不思議な建物に出逢います。初めて目にしたあれは、今ではもう、どこの何かもわからない。歩きながらふと道端の建物に目をやると、外壁がなんだか不自然に凹んでることに気づきました。少しずつ視線を下の方に…

V,エマニュエレ2世記念堂 〜フォロ・ロマーノ界隈8

V,エマニュエレ2世記念堂 / Monuumento a Vittoriano Emanuele Ⅱ フォリ・インペリアリ通りの北の果てに、ヴェネツィア広場があります。そこには白亜の巨大な建物が聳えています。 これは1885年のイタリア統一を祝し、その立役者となったヴィットリオ・エマ…

フォリ・インペリアリ通り 〜フォロ・ロマーノ界隈7

フォリインペリアリ通り(Via dei Fori Imperiali) フォリ・インペリアリ通りはヴェネツィア広場からコロッセオまで延びる大通りです。「フォリ・インペリアリ」とは「皇帝たちのフォロ」。その名のとおり、通りをはさんだ一帯はローマの皇帝たちが築いた多く…