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古代ローマ小話 アグリッパとアウグストゥス

トレヴィの泉につながるヴィルゴ水道をローマに引いたのは、アグリッパという人物。 アグリッパがヴィルゴ水道を引かなければトレヴィの泉は存在しなかったかもしれません。それ以前にアグリッパがいなかったら、ローマ帝国の歴史はなかったかもしれません、というアグリッパとはそういう人物です。

*アグリッパの胸像

 

このアグリッパという人物は帝政ローマの初代皇帝アウグストゥスの右腕であり、アウグストゥスと共にローマ帝国の礎を築いた人であり、今もヨーロッパ各地に遺跡として残る建築を作り、ローマ各地のインフラを整備した人です。アウグストゥスはこのアグリッパ無しには皇帝としてこれほどの業績は残せなかったかもしれません。

 

初代皇帝アウグストゥス(IMPERATOR CAESAR AVGVSTVS)

18歳の時に大叔父であるカエサルが暗殺され、カエサルの遺言によって後継者に指名されローマの将来を託されます。その後カエサルの意思を受け継いで長い内戦を制して皇帝となり、カエサルの敷いたローマ帝政へのレールをひたすらに走り続け、40年もの皇帝在位の間に、立派にローマ帝国を作り上げます。アウグストゥス本人の言葉で言えば、首都ローマを「レンガの街を受け継いで大理石の街として残した」というように広大なローマ帝国を作り上げ、「世界の首都(カプトゥ・ムンディ)」の名に恥じることない首都ローマの街を作りあげ、そしてアウグストゥス以降の必ずしも優秀ではない皇帝であってもローマが維持し続けることができる仕組みを完成させました。

カエサルは、僅か18歳のアウグストゥス(当時の名前はオクタヴィアヌス)の資質を見抜いて自分の後継者に指名したわけですが、その後の実績を見ればカエサルの人を見る目がいかに透徹していたかがわかります。しかしカエサルの凄みはさらに別のポイントにあります。

アウグストゥスを現代イタリアの高校の教科書の載っているリーダーに必要な5つの資質に照らし合わせると、

・知性: A+ 十分過ぎるほど明晰な頭脳の持ち主

・説得力:A+ 非常に緻密に相手を納得させる、納得する状況を作ることに長ける。

・肉体上の耐久力:D 病弱で体力もない。

・自己制御の能力:A+ 抜群の自己制御、というか冷徹で冷酷。

・持続する意思:A+突出した意思の持ち主。

アウグストゥスはほぼリーダーとしての資質をかなりのレベルで満たしていたのですが、とにかく病弱でひ弱でした。そして軍事的センスもなかった。カエサルはそんな10代のアウグストゥスを見越して、同じ年齢のアグリッパという若者を生涯のパートナーとして付けることにしました。

 

アグリッパ(Marcus Vipsanius Agrippa)

アグリッパは若い頃から軍隊経験を積んで、カエサルの軍団で活躍したらしいことがわかっています。おそらくその頃はまだ十代半ば、年齢的にも最下層で、活躍したとしてもインペラトール(最高司令官)の目に留まるということすら難しいことだったと思います。でもその何万という軍団兵の中からカエサルはアグリッパを見出した。カエサルがどうやってアグリッパを見出したのかはわからないし、そんなことができるのだろうか?と思ってしまいます。でもカエサルは軍事的なセンスに優れ、忠誠心旺盛な若者であることと、当時まだ10代のオクタヴィアヌスと呼ばれていたアウグストゥスとの相性の良さを見抜いて抜擢したのだから、なんというかここでもやはりカエサルには驚くばかりです。いやアグリッパの抜擢は驚きを通り越して、神がかり的な凄みを感じます。

そして、まるでカエサルが自分の暗殺を予見したかのように、その暗殺劇直前から、アウグストゥスとアグリッパの二人三脚は始まります。カエサルが亡くなったことで始まるローマの内乱では、アグリッパは軍事面でアウグストゥスを十分過ぎるほど支えます。そして内乱が終わると、一転して公共施設などの建築やインフラの整備で手腕を振るい、アウグストゥスのいう「大理石の街ローマ」に大きく貢献するのです。

アウグストゥスが皇帝になって以降、アグリッパは「ローマ帝国内の全ての階層の人々に快適な暮らしを提供するため」、各地の街道の整備・修復や上下水道の整備、人々が集まれる場所としての公衆浴場や庭園、ポルティコや広場の整備に力を尽くしました。また文筆家として、特に地理学者としても才能を表し、帝国全土の測量地図を完成させるなど、実に多くの事柄に貢献します。

また、アグリッパは「建築」に対しても大きな影響を残します。その活躍からアウグストゥスに献上されたヴィトルヴィウスの「建築十書」にも名前は伏せて強く関わったのではないかと想像膨らみます。

アグリッパが関わった代表的なローマ建築は、ニームに現在まで残っている神殿「メゾン・カレ(Maison Carree)」、南フランスの谷にかかる美しい水道橋「ポン・デュ・ガール(Pont du Gard)」、ローマのあらゆる神々の神殿「パンテオン」(初代。現在残っているパンテオンは皇帝ハドリアヌスによる)、これもほぼ残ってないけど、アグリッパ浴場(ローマ初の大型公衆浴場≒テルマエ)とそれに付随する公共建築が挙げられます。

*南仏に残るアグリッパの仕事「Maison Carree」

ローマやその他都市に引いた何本もの水道施設、下水設備、街道の修復、建物の修復などアウグストゥスが築き上げていく帝国ローマの建築やインフラや施設を手掛け、見えるところ、見えないところも合わせてローマを形作ったのがアグリッパでした。

*南仏に残るアグリッパの仕事「Pont du Gard」

アウグストゥスとアグリッパの二人三脚は二人が10代の時。カエサルがいない中、最初は経験の浅さからとてもぎこちなくコミカルに始まったのだけど、たくさんの経験を経て実力を蓄え、戦いに勝ち、カエサルが創造した帝政ローマを立派に作り上げたのです。

アウグストゥスは紀元前63年に生まれ紀元後14年に75歳で亡くなった。

アグリッパは紀元前63年に生まれて紀元前12年に51歳で亡くなった。

病弱なアウグストゥスに対して、アグリッパは鉄人の如く強靭で病気知らずな肉体を誇っていました。でも最後はアグリッパは51歳で亡くなり、病弱だったアウグストゥスは75歳まで生きます。皮肉な話です。

アウグストゥスはアグリッパが亡くなった時、1ヶ月以上喪に服し、その遺灰はアウグストゥス霊廟に安置されました。

 

三十年以上もの間、無二のパートナーとして二人三脚を続けた二人。三十年ずーっと安泰ではなかったにせよ、孤独であるはずのリーダーに信頼できる無二の右腕が存在していた。とてもうらやましく思います。

この二人は僕に多くのことを教えてくれました。

 

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