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ちょっとローマ史8 共和政から帝政へ

約500年続いた共和国ローマは、カエサルによってローマ帝国へと生まれ変わります。多くの人々が信じた共和政は国家ローマそのものの進化に対応できず、その役割を終えることになりました。

カエサルの死と、後を継いだオクタヴィアヌス(アウグストゥス)の巧妙さによって、おそらく当時の人々で共和政から帝政へ切替わったことを意識した人はほとんどいなかったと思われる。

◾️帝政への移り変わり

歴史上、ローマ帝国の始まりは紀元前30年頃とされています。これは15年に及ぶ内戦でオクタヴィアヌスアントニウスを破り、ローマに凱旋した年。カエサルの暗殺を身近に感じていたオクタヴィアヌスは、帝政への移行はとても慎重に、目立たないように、且つ確実に行いました。

オクタヴィアヌスは、紀元前27年に自分に与えられた特権を元老院ローマ市民へ返還するとして(表向き)共和政復活を宣言します。このことによって元老院から「アウグストゥス(Augstus/尊厳者)」の称号を受けることになり、この時からオクタヴィアヌスの正式名は、「インペラトールユリウス・カエサルアウグストゥス(Imperator Julius Caesar Augstus)」となります。

◾️皇帝誕生

アウグストゥスは18歳でカエサルの後継者に指名され、15年に及ぶ内戦を制して「アウグストゥス」の称号をもらった時は34歳、もともと若い頃から狡猾さを表していたアウグストゥスは、このころには「表向き共和政、でも実質的に帝政」を多くの人に悟られることなく組み立てていくため緻密さと円熟とも言えるような深謀遠慮をすでに備えていました。一度手放した特権も、皇帝としてローマ全体を統治するための必要な権限はすべて手繰り寄せ最終的には独裁官と同等の権限を得るに至ります。自身は「ローマ市民の第一人者」であるとしながらも、実質的な最高権力者「皇帝」としてアウグストゥスは存在したのです。

◾️「パクス・ロマーナ」と「カプトゥ・ムンディ」

しかしアウグストゥスは、歴史的にローマ人がアレルギー反応を示してきたような独裁者でも王でもありませんでした。カエサルと同様に本当に第一のローマ市民として、献身的にローマ世界を作り替えていったのでした。カエサルが行ったように多くの改革を実施して継続的にメンテナンスして、ローマ市民の食と安全保障を万全にすることで、ローマの平和(Pax Romana / パクス・ロマーナ)を実現していくのでした。

さらにアウグストゥス自身が「レンガで受け継いだローマの街を、大理石の街として残した」と書き残しているように、首都ローマを「世界の首都(Capto Mundi)」へ生まれ変わらせたのでした。

◾️初代皇帝アウグストゥス

ローマの人々にとっては「気がついたら帝政になっていた」そう言う感じだっただろう。カエサルがグランドデザインを行い、アウグストゥスが完成させた帝政ローマ

アウグストゥスは誰にも気づかれないように帝政への移行を実現し、40年余りの間皇帝としてローマに尽くし、75年の天寿をまっとうします。

 

アウグストゥス後の歴代皇帝には「賢帝」もいれば「暴君」も「悪帝」もいる、何人もの「愚帝」すら登場します。地中海をすっぽり包む大帝国はこの後、365年後の紀元後395年にローマ帝国が東西に分裂するまで維持され、紀元後467年に西ローマ帝国が滅亡、東ローマ帝国は1453年まで続くのです。

 

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