cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

小史

ちょっとローマ史7 三人の時代へ〜共和政期

B.C.78年スッラが死んだあと、スッラが完成させた改革はことごとく崩壊していきます。終身独裁官であったスッラは自らが考えて準備していた改革を導入させたところであっさり終身独裁官の職を降りて政界を引退してしまった。スッラが行った改革は元老院の復…

ローマ小話 紀元前100年

マリウスとスッラが台頭したこの時期、紀元前100年7月13日に、ローマの未来、そして現代に、特にヨーロッパ世界の運命に大きく関わる人物が誕生します。 ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar B.C. 100 - B.C.44) カエサルは、たどればローマ建…

ちょっとローマ史6 粛清〜共和期

グラックス兄弟の改革と不条理な死を経て、ローマは完全に元老院派と一般市民との間に強烈な溝が生まれ、同じローマ市民の間に大きな対立構造が出来上がってしまいます。深刻な問題となっていた農民たちの失業はローマ軍団の弱体化に直結し、それを敏感に感…

ちょっとローマ史5 混乱そして内乱〜共和政期

ハンニバル戦記とも言われるローマとカルタゴの戦争「ポエニ戦役」は他人の領地に入ってきたカルタゴを「あっちに行け」とローマが加勢したことから始まったのに、振り返ってみれば、130年にもわたるローマとカルタゴの全面戦争、ローマの完全勝利でカルタゴ…

ちょっとローマ史4 ポエニ戦役〜共和政期

カルタゴは現在のチュニジアに位置するフェニキア人の国。当時ローマ人が経済力ではかなわない、としていた経済大国です。紀元前3世紀、カルタゴはギリシアの衰退によって地中海の通商を広く牛耳ることになり、特に西地中海はカルタゴの独壇場でした。 そし…

ちょっとローマ史3 リキニウス法〜共和政期

紀元前509年にエトルリア出身の王タルクィニウスを追放し共和政への舵を切ったローマでしたが、周辺諸民族との戦いや内紛など、なかなかすんなり安定運行とはなりません。アテネに調査団を送って、「十二表法」を作るも逆効果、貴族と平民の溝は深まるばかり…

ちょっとローマ史2 王政から共和政へ

第7代、最後の王となったタルクィニウスの暴君っぷりに散々懲りたローマ人は、これ以降独裁政への嫌悪感を民族のDNAにこれ以上ないほど深く刻みこむことになりました。 ローマの王は世襲ではなく選出により決まるので、王政とは言っても絶対王政ではありませ…

ちょっとローマ史1 王政期

Regnum Romanum「王政ローマ」と聞いて、僕は初めてそれを知った時とても「意外」な印象を持ちました。「ローマ」と聞いて一番連想するのが、多分「ローマ帝国」次に「共和制ローマ」。でも建国から約200年、ローマには王様がいたのです。そしてその王政も実…

ちょっとローマ史 目次

もしローマの歴史を深く知りたいと思えば、たくさんの本とインターネットの世界がその欲求を十分かなえてくれるでしょう。現代人が書いた本、ルネサンス期のイタリア人が書いた本、そして古代ローマ人が自分の国について書いた本。いろいろな時代のいろいろ…

フィレンツェ小史

フィレンツェの歴史を振り返ってみます。 B.C. 5世紀 エトルリア人の集落誕生 ■ローマ都市の時代 B.C.59年 古代ローマ、ユリウス・カエサルにより入植地となる 花の女神フローラの街として「フロレンティア」と名付けられる 4世紀−9世紀 ローマ衰退によって…

シエナ10 小史

トスカーナのこの一帯はどこの街もほぼエトルリア人の集落が起源といえるようです。シエナも同じでやはり最初にこの場所に集落を開き、街に発展させていったのはエトルリア人であることは、どうも間違いない。でも、古代エジプトやギリシア、ローマの人々と…

ピサ小史

ピサの歴史を簡単に辿ってみます。 ■なぞのはじまり ピサの街の起源はルッカと同じくエトルリア人と言われていますが、ほかにも諸説あり学術的に立証されていません。古代ローマの時代からすでに「古くから発展した街」として記述され存在していたといい、こ…

ヴェネツィア小史

6世紀頃 蛮族の侵入 フン族の侵入によって、海へ逃れラグーナの島々に潜んだヴェネト人によってヴェネツィアの歴史が始まる。 697年 共和制が始まる パオルッチョ・アナフェスタが初代総督(ドージェ Doge)に 828年 聖マルコの遺骸買取 ヴェネツィアの商人が…