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ローマ小話 紀元前100年

マリウスとスッラが台頭したこの時期、紀元前100年7月13日に、ローマの未来、そして現代に、特にヨーロッパ世界の運命に大きく関わる人物が誕生します。

ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar B.C. 100 - B.C.44)

カエサルは、たどればローマ建国の伝説、トロイアのアエネイアスに続く名門ユリウス一門の家系ながら、ローマでも貧しい地域であるスブッラ地区に生まれます。父は会計検査官(プラエトル)を努めた後、属州総督まで務めた人物。母は名門アウレリウス・コッタ家出身。叔母の夫は軍政改革を行ったガイウス・マリウス。叔父にあたるのは同盟者戦役を終わらせた「ユリウス市民権法」を制定した執政官を務めたルキウス・ユリウス・カエサル

裕福ではなくとも聡明な母アウレリアから愛情を注がれ、教育もしっかり受けてカエサルは成長した。当時ローマの裕福な家庭では子息の教育にギリシア人の家庭教師をつけることがステイタスでした。カエサルの家は貧しかったためにギリシア人ではなく、アレクサンドリアで学んだガリア人の家庭教師によって十分な教育を受けたと言います。

幼い頃、叔父のマリウスが軍功を挙げ出世していくのを見て高揚したでしょう。その後多感な思春期には内乱と粛清によるたくさんの同胞の死体がローマの街に転がる様を見て、スッラが殺した親戚の首がフォロ・ロマーノに晒される様を見て過ごした。カエサルはその様子を見て同胞同士の殺し合いである内乱の愚かしさを目の当たりにしました。

そしてスッラが作ったマリウス派の粛清名簿にはこの時18歳のカエサルの名前もありました。母アウレリアの機転によって、スッラの命令に反くユリウス家唯一の跡取りの粛清を免除してやって欲しいと、スッラ派内部からも声が上がる。スッラは渋々それを受け入れるのですが、その時スッラはこう言い残したといいます。「この若者はいつか我々貴族を滅ぼすだろう。この者の目の奥には何百人ものマリウスが宿っているのがわからないのか」と。

こうしてカエサルは粛清を逃れます。思春期にこんな体験をしてもなお、カエサルは歪んだ恨みつらみを募らせることなく、思考や行動は復讐とは無縁、カエサルは純粋にローマのために行動するのです。そしてカエサルはどんな深刻な場面であっても機嫌を損ねることがなかったと言います。これらカエサルの思考、性格の形成は聡明な母アウレリア影響が非常に大きかった。

イタリアの高校の歴史の教科書に載っている一節

「指導者に求められる資質は、次の5つである。
知性・説得力・肉体上の耐久力・自己制御の能力・持続する意思。
カエサルだけが、このすべてを持っていた。」

そう、カエサルだけが、その全てを持っていた。これらは母アウレリアによってカエサルに備えられ、カエサル自身がそれを大きく育てていった。

そしてもう一つ、大きな事を成すには能力と同じかそれ以上に「運」が必要です。カエサルはそれも持ち合わせていた。それも「強い運」を味方にしていました。これはきっと時代そのものがカエサルを欲していたと言うことなのだろうと思います。

紀元前100年とは静かながら、世界史上とても重要な年でした。でもそれが世の中に認知されるのはそれから40年ほど経った後になるのです。

 

もしガイウス・ユリウス・カエサルがこの時期のローマに現れなかったら、いまの世界は全く異なるものになっていたかもしれません。僕もこんなホームページやブログを作ることもなかったかもしれません。。。。

 

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