cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

人物

カエサル3 カエサルから見たスッラの粛清

カエサル18歳の時、スッラはカエサルの命を奪おうとしていた。 カエサルの叔父にあたるマリウスは政敵スッラの関係者を一掃しようと粛正を行った。そしてマリウスが死んだ後、スッラは逆にマリウスの関係者を完全消滅をしようとした。半ば感情的に殺戮を行っ…

カエサル2 生涯

カエサルの略暦。カエサルの生涯は後半に行けば行くほど濃くなっていきます。人生の経歴としてはカエサルはとてもスロースターターです。20代で軍功を挙げて当時すでに最高の栄誉を受けた三頭政治の一角、ポンペイウスとは対照的です。 しかし、後世の人々は…

カエサル1 3月15日 / Idus Martiae

ヨーロッパの人は3月15日(ラテン語でIdus Martiae)というと、それが何を意味するのかほとんどの人が知っているといいます。日本で3月15日といえば中学や高校の卒業式?と連想しますが、ヨーロッパで3月15日といえば、それはユリウス・カエサルが暗殺された日…

ローマ小話 ハンニバルとスキピオ

寛容を旨とするローマ人が唯一完膚無きまで叩き潰した国があります。当時強大な経済大国として地中海に君臨したカルタゴ(現在のチュニジア)です。 歴史上ポエニ戦役と言われるローマとカルタゴの戦争では先の2度の戦役でローマがカルタゴに勝ち、講和を結ん…

ユリウス・カエサル 目次

ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar BC100-BC44) カエサルとはなんであったのか?をカエサルを知りたかった僕が、カエサルをこれから知りたい人のために、いやかつての自分に向けて、まとめてみたいと思います。 指導者の資質~イタリアの高…

小話 ユリウス・カエサル

これから"cafe mare nostrum"は「ローマ」へ進んでいくのだけど、そこで触れたい人物がいます。それは、 ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar)。 古代ローマ(ヨーロッパ世界)の英雄であると同時に、歴史的にも地勢的にも広く長く人類史に影響を及ぼし…

ピサとガリレオ

ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei) ピサに生まれ、ピサで育ち、ピサで学び、ピサで教鞭を振るった生粋のピサ人。 科学革命を起こした四人の科学者、コペルニクス、ケプラー、ニュートンと共に名を連ねる、だれもが名前を知っているピサの人、ガリレオ・ガ…

ストラトフォード・アポン・エイヴォン

以前、イギリスの投稿をしたときに、ストラトフォード・アポン・エイヴォン(Stratford upon Avon)に少しだけ触れたのだけど、ヴェローナで改めてシェイクスピアに触れて、もうちょっと詳しくこの街に触れようと思いました。 シェイクスピアはこの街で1564年…

ヴェローナ ジュリエッタの家

カエサル=シーザー(Caesar)、ロメオ=ロミオ(Romeo)、ジュリエッタ=ジュリエット(Juliet)。 イタリア語、ラテン語が起源のもので、英語になって日本に入ってくるものが今までもいろいろありますが、シェイクスピアによる「ロミオとジュリエット」はイタリ…

ミラノとレオナルド

ミラノとレオナルド・ダ・ビンチ Milano e Leonardo Da Vinc レオナルドとミラノの関わりは1471年、レオナルドが19歳のときから始まります。その年、ルドヴィコ・イル・モーロがフィレンツェ共和国を訪れ、フィレンツェでは歓迎の宴が催されました。それを取…

シャモニ5 魔の山登頂史

登山の対象としてのモンブラン(Mont-blanc 4807m)は、エギュイーユ・デュ・ミディを起点に標高差1000mほどの登山行で登頂可能であり、そのスジでは比較的難易度の高くない山とされていると言います。そんな手軽な「ヨーロッパ最高峰」に年間2万人もの登山者…

小話 ハドリアヌス帝のコイン

新たにローマのコインを手に入れました。といってもレプリカ(よくできた偽物)です。2000年前の本物も欲しいけど、触って観察して眺めて、多少乱雑にあつかっても気にする必要もないところがレプリカのいいところ。 このコインはハドリアヌス帝を象ったデュ…

モン・サン・ミシェル 6  ラ・メール・プーラール

ラ・メール・プーラール(La Mère Poulard)はモン・サン・ミシェルに入ってすぐ王の門の手前にあるホテル・レストラン。名物のオムレツがとても有名です。 ラ・メール・プーラールの発祥は19世紀に遡ります。 15世紀からモン・サン・ミシェルは牢獄として使用…

モネ小史

モネ(Cloud Monet 1840-1926)の生涯を彼の作品と一緒に辿ってみます。 *マネによるモネ 1840年 パリに誕生 1845年 5歳 ル・アーブルへ移住 食料品商と船具商を経営する父とアマチュア画家の母のもと裕福な暮らしていました。モネは学校の教科書にたくさんの…

ルーアンとジャンヌダルク

ルーアンはジャンヌ・ダルク(Jeanne D'arc)ゆかりの地。それも最期を迎えた地として街のあちこちにジャンヌ・ダルクの名前がつけられた場所が多い。 ここでちょっとジャンヌダルクの生涯を追ってみることにします。 フランスの国民的ヒロインでカトリックの…

ルーアン 街

ここルーアンは旧ノルマンディ公国の首都。パリに続くセーヌ川沿いに位置して、ヨーロッパの他の都市の例にもれず古代ローマ人の作った街が起源です。 ここにはクロード・モネが連作に描いたルーアンのノートルダム大聖堂がある。また古くきれいな街並みの中…

パリ ギマールの花

エクトル・ギマール(Hector Guimard, 1867-1942) フランスで最初にアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)建築を建て、パリで最も多くの人が目にするアール・ヌーヴォー作品を残した建築家です。 その「最も多くの人が目にする作品」がこのメトロの入り口。 当時ア…

エッフェル塔と技術者エッフェル

ギュスターブ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel 1832-1923)。 大学では化学を専攻していたというエッフェル。ヨーロッパの鉄道建設が盛んになった頃に彼は鉄と出会い、鉄橋などの設計、建設を手掛けるようになります。そして橋梁技術者としてキャリアを…

パリ小話 オルセー ラトゥールという画家

フランスには二人のラトゥールという画家がいます。一人はジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour 1593-1653)。光と影を見事に描き出す17世期に活躍した画家で、その作風から「夜の画家」と呼ばれます。僕の父は「大工の聖ヨセフ」という絵が好き…

ルーブル美術館10 ルーブルのレオナルド

16世紀初頭、神聖ローマ帝国との争いでイタリアに攻め込んだフランス軍が目にしたルネサンス芸術の数々。武力で攻め込んだはずのフランス人は圧倒的なイタリア・ルネサンスの芸術に触れ、虜になり、ここからイタリア絵画の収集(略奪含む)が始まることにな…

目次 レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチの記事へのリンクをまとめます cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com

ルーブル美術館5 3つの至宝 モナ・リザ

フランス絵画部門を抜けていくと、広い部屋が現れます。背後にはベネツィアの巨匠ヴェロネーゼによるルーブル最大の絵「カナの婚礼」。とても有名な絵なのだけど、部屋に集まるほとんどの人がその反対側を向いているのがわかるでしょうか?この部屋にはイタ…

パリ オペラ座とシャガール

僕はシャガール(Marc Chagall)の絵は好きだし、オペラ座の天井画「夢の花束」もとても好きだけど、バロック的であり古典主義的なネオバロックと呼ばれるオペラ座の空間にシャガールの絵は基本的には合わないと思う。合わないのだけど、パリのオペラ座だから…

パリ小話 〜聖人ドニとの縁?

フランスの守護聖人サン・ドニ(聖ドニ Saint Denis)とは何か縁のようなものを感じます。なぜか。 「パリおいてけぼり事件」 初めてのパリ、僕がまだ学生だった頃です。僕はいとこ家族のヨーロッパ縦断旅行にくっついて初めてパリに来ました。僕は初めて見る…

レマン湖畔小話 〜 トロシュナ村への道

当時、日本人と韓国人の多くの海外旅行者が手にする有名なガイドブックに"〇〇の歩き方"というのがありました。僕も愛用者の一人だった。 でもこのガイド、軽くて便利は便利なのだけど、そこに書いてあるすべてを信じると痛い目に遭うのです。地図の肝心なと…

レマン湖畔小話 〜オードリー・ヘプバーン

オードリーヘプバーン(Audrey Hepburn) 彼女がこの世を去ったのが1993年1月20日。僕はその4年後の1997年にへプバーンが後半生を過ごしたトロシュナ村へ、共同墓地にある彼女のお墓を訪ねる事ができました。 僕にとってオードリーヘプバーンという人はどうい…

スイス レマン湖畔 〜トロシュナ村

ローザンヌの近く、広大なブドウ畑の中にこの村はある。ここは女優オードリーヘプバーン(Audery Hepburn)さんが晩年を過ごし、こよなく愛した村です。1993年に彼女が亡くなった後、オードリーヘプバーン記念館がオープンし、村人の手によって運営されていま…

スイス レマン湖畔 〜 シヨン城

シヨン城(Chateau de Chillon)はレマン湖につきだした小さな島の上に建ち、その姿は湖に浮かぶようです。シヨン城を含むこの辺りはレマン湖畔の中でも最も美しいといわれています。 僕は早朝にモントルーの駅からレマン湖沿いを歩きシヨン城を目指しました…

スイス レマン湖畔 〜モントルー

レマン湖の東端、ジュネーブとは反対の端に位置するのがここモントルー。 僕の中で「モントルージャズフェスティバル」で有名なこの街、ここもレマン湖畔の他の街と同様に山の斜面にあるため坂が多い。でもジュネーブともローザンヌとも、他のスイスの街とも…

ジュネーブ小話 〜スイス人のスイスとローマ

僕は最初にスイスに行った頃、ローマとスイスの繋がりは全くわかっていませんでした。 でもスイスを旅していると(というかヨーロッパ各地どこでも)大体ローマの何かに出会うのです。ローマの広場跡、ローマの浴場跡、神殿の円柱やその土台といった遺跡や碑文…