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旅行の記憶と何気ない日常を

パリ小話 〜聖人ドニとの縁?

f:id:fukarinka:20200414180849j:plainフランスの守護聖人サン・ドニ(聖ドニ Saint Denis)とは何か縁のようなものを感じます。なぜか。

 

「パリおいてけぼり事件」

 初めてのパリ、僕がまだ学生だった頃です。僕はいとこ家族のヨーロッパ縦断旅行にくっついて初めてパリに来ました。僕は初めて見るパリの街に興奮覚めやらず精力的にパリの街を闊歩したのでした。パリ2日目、一人で1日中パリを歩いて夕方ホテルに帰ると、フロントで伝言メモを渡されました。それにはいとこの文字で「満室で連泊できない。ここに来い(やじるし)」とある。そのメモのホテルの住所に「Saint Denis」の文字がありました。初めての海外旅行で、言葉の通じない場所、まだスマホも携帯電話もない頃の話。そのメモを見た時、頭真っ白になりました。「Saint Denis」ってどこ??

その後どうやって辿り着いたかは覚えていないのだけど、火事場の馬鹿力が出たんでしょうね。あたりが暗くなった頃にようやくホテルについたのは覚えています。あの時8月だったので、パリの8月で「暗くなる」ということは夜の10時近かったと思う。。。

 

そして、「パリおいてけぼり事件」から25年後、パリで過ごしたアパルトマンタイプの民宿があったところも「Saint Denis」でした。ただしここは以前宿泊したSaint Denisではなく、14世紀シャルル5世が作ったパリの市壁(城壁)があった場所で、Saint Denisへ通じる街道口、Saint Denis門がある場所でした。

そんな訳で同じ場所ではないけれど、同じSaint Denisにゆかりの場所。偶然ではあるけれどただならぬ縁を感じてしまった訳です。

 

■聖ドニ(Saint Denis)とは

パリのノートル=ダムの左の入り口(聖母マリアの門)にSaint Denisはいらっしゃいます。

下の写真の右から二番目、天使二人に挟まれたお方。体から離れてしまった自分の首を持ってらっしゃいます。このお方が聖ドニ(Saint Denis)。

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正式名称は聖ディオニシウス(Dionysius)という実在した人物で、現在はフランスの守護聖人

3世紀、聖ドニはまだ公認される前のキリスト教を布教するために、イタリアからガリア(現フランス周辺)を旅して、当時ローマ都市だったルテティア(パリ)にたどり着いき、そこで司教となります。司教といっても当時のキリスト教はローマの中ではまだまだマイナーな小さな存在で、しばしば迫害の対象となってしまっていた。聖ドニもついに捕らえられ、モンマルトルの丘で首を切られてしまった。でも、聖ドニは切られた首を自分で持ち抱え、そのまま歩き始める。そのまま歩き続けてとうとう果てたのが、現在のSaint Denisの街。聖ドニは殉教者となり埋葬され、やがてフランスの守護聖人となりました。

すごい話です。モンマルトルからサンドニの街まで北へ約5km、自分の首を抱えて歩いたというのだから(伝説)。まだ学生だった僕が偶然泊まることになったのはそういう街でした。

おいてけぼり事件とともに、この聖ドニの物語は僕の記憶に深く刻まれたのです。

 

サンドニ門(Porte Saint Denis)

このサンドニ門は、レ・アル地区ポンピドゥセンターから北へ1kmほどの場所にあります。昔パリが城壁で守られていた頃、サンドニに向かう時に通った門だったので、「サンドニ門」と呼ばれたようです。

 

13世期に外敵からパリを守るために時の王様シャルル5世が城壁を築き、その城壁の出入り口として機能していた門がこのサンドニ門の起源。

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しかし、現在建っているこの門は当時のオリジナルではありません。16世紀、ルイ14世はもともとあったサンドニ門を新しい門に建て替えます。1668年オランダとのある戦いの勝利を讃える記念碑を作るよう、建築家と彫刻家に命じ、1672年に完成しました。サンドニ門は城壁の門改め、パリで最初の凱旋門となったのです。サンドニ門はローマのティトゥス帝の凱旋門(フォロロマーノの中)をお手本に作られたと言われており、確かにローマ風のとても整ったデザインになっています。

 

パリに凱旋門と呼ばれるものは4つあります。最も有名なあの「凱旋門(1836年完成)」、ルーブルのチュイルリー公園にある「カルーセル凱旋門(1808年)」、「サンマルタン門(1674年)」。二番目に古い「サンマルタン門」はサンドニ門完成の2年後に完成、しかもサンドニ門と同じ通りの200mくらいずれた場所にあります。

サンドニ凱旋門シャンゼリゼ凱旋門に比べると小さいけど、とてもエレガントなデザインで、同時期に完成したサンマルタン門と比べても完成度は断然サンドニ門の方が高く感じます。ただ、ローマの凱旋門を模したサンドニ門に比べ、サンマルタン門はフランス独自の凱旋門を模索した形跡があり、後の「凱旋門」の布石になっていたようですね・・

 

 

■アパルトマン

さてこちらは、「パリおいてけぼり事件」から25年後、サンドニ門から歩いて3分の宿泊用アパルトマンの入り口。

この時は2家族3世代8人での滞在だったので、とても手軽で便利でした。やたら広い3LDKのような間取りとオレンジ色でレトロな冷蔵庫と食器も完備したキッチンもあり。近所のスーパーやパン屋で食材仕入れてみんなでワイワイ食事を作ったり。僕は初めてでしたが、こういうのもとても楽しかった。

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 アパルトマンの玄関から上を見上げるとこんな感じの「箱空」が。

単なる偶然ではあるけれど、聖ドニにまつわる土地が僕の中で25年の時を経て絡んできました。何か他人と思えない、と勝手に感じてしまいます。それにしてもパリは奥深いです。こんな立派な凱旋門、宿泊先を探してメトロのストラスブールサン・ドニの駅を出るまで全く知らなかったのだから。

またパリに行って、こういうアパルトマンで長期滞在できる日が来ると良いのだけど。。

 

 

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