世界遺産
サンタンジェロ(Saint Angelo)は「聖なる天使」を意味しており、大天使ミカエル(Saint Michel サン・ミシェル)を指します。 16世紀の疫病の大流行からローマを救うために、ハドリアヌス霊廟に大天使ミカエルが降り立ったという伝説によって、ハドリアヌス…
現在サンタンジェロ城(イタリア語:Castel Sant'Angelo)と呼ばれるこの建物はもともとローマ帝国の五賢帝の一人ハドリアヌス帝の霊廟 (ラテン語:Mausoleum Hadriani)でした。 皇帝ハドリアヌスが自分自身とその後に続く皇帝たちのための霊廟として、135年…
オードリー・ヘプバーン主演、初の映画出演で最高傑作である映画「ローマの休日」はスペイン広場周辺もたくさん登場します。 トレヴィの泉の美容院で髪をバッサリ切ったあと、アン王女(オードリー・ヘプバーン)はコンドッティ通りのショーウィンドウにショ…
今日はローマの公衆電話で日本へ国際電話をかけてみた時のお話を。。。 21才の時に初めて従兄弟に連れられローマを訪れた後、今度は一人でローマに行きたくなりいてもたってもいられなくなった。ローマ再訪が実現したのが3年後の夏でした。初めて単身でヨー…
あの日のローマは朝からとっても不安定な空模様。ざあーっと豪雨になって雷がゴロゴロ鳴ったかと思えば、パーっと日が刺して虹ができる、そしてまたゴーっと雨が降る。あの日のローマ周辺はほぼ一日そんな天気でした。なのであの日、1日中傘を出したりしまっ…
スペイン広場にて、あの日とても暑い夏の日でした。 まだ午前中だというのに持ち歩いていた水はあっという間に空っぽになり、たどり着いたスペイン広場の入り口にあるベルニーニの「船の噴水」で水を飲みます。ローマにはあちこちに泉や噴水があんですが、真…
コンドッティ通りを進むとその突き当たりに、競り上がる丘の斜面に面したちょっとした空間が広がります。宮殿のような階段と椰子の木(?)の姿は南国の雰囲気を醸します。ここ、スペイン広場(Piazza di Spagna)に入ると、まずベルニーニの船の噴水が迎えてく…
ポポロ広場(Piazza del Popolo)はローマの中心部の北に位置する楕円形の美しい広場です。 「ポポロ広場」のポポロ(Popolo)はイタリア語で「市民」を意味するので、「市民の広場」と言うことになるのだけど、実際の名前の由来はこの広場の北東にあるサンタ・…
フォロ・ロマーノのど真ん中に現在まで残っている神殿、その名前となっている「アントニヌス・ピウスとファウスティナ」。今回はこの夫婦のお話です。 古代ローマ史上最も平和な時代だった五賢帝の世紀。その中でも優れた皇帝として特筆されるのが、トライア…
トレヴィの泉から歩いて5分くらい、上り坂を登ったその先の小高い丘の上に閑散とした広場と宮殿建築が現れます。エジプトのオベリスクの立つこの場所は「クィリナーレ広場(Piazza del Quirinale)」と言い、左の建物は「クィリナーレ宮殿(Palazzo del Quirina…
昼間は絶え間なくたくさんの観光客が押し寄せるトレヴィの泉。その盛況ぶりは夜も変わりません。 イタリアを初めヨーロッパの街の夜のライトアップというのは、どこもとても綺麗です。その建物やモニュメントの特徴を活かしたライティングは景色が綺麗の見え…
僕はどこに行っても必ず早朝の街を散策します。観光地であればあるほど昼間の大混雑を避けてゆっくり落ち着いて街や建物を堪能するためで、この日も早朝にローマの街を歩いてトレヴィの泉に来ました。街全体が博物館のようで、観光客で溢れかえる昼間のロー…
トレヴィの泉といえば、泉を背にしてコインを投げ入れることで願いが叶う、という有名な言い伝えがあります。一体いつからどうやって「コインを投げると願いが叶う」ことになったのかは、はっきりした記録がないようです。 313年に皇帝コンスタンティヌスに…
ローマの渋いレンガ色の建物に挟まれた路地を歩いて行くと、その隙間から目を覚ますような真っ白な壁が顔を出します。もう少し進んでいくと、それほど広くはない四角い空間が開けるんです。そしてその空間を囲うある一つの建物の壁には目の覚めるような白亜…
パンテオンから300mほど離れた場所に「コロンナ広場(Piazza Colonna)」があります。コロンナ(Colonna)とは「記念柱」のことで、ここには五賢帝最後の皇帝マルクス・アウレリウス(CAESAR MARCVS AVRELIVS ANTONINVS AVGVSTVS)の戦勝を記念して作られた美しい…
コロッセオの落成式が行われたのが紀元後80年。そこに至るまでには様々な紆余曲折がローマにはありました。 カエサルが帝政ローマをグランドデザインして、その後を継いだアウグストゥスがローマ帝国とパクスロマーナを完成させ、アウグストゥスはカエサルの…
ナヴォナ広場のこの不思議な細長い形、その理由はかつてここが戦車競技場(スタジウム / Studium)だったことによるものです。ここはかつて「ドミティアヌス競技場(Stadium Domitiani)」と呼ばれていました。 この競技場はもともとはカエサルが計画し、アウグ…
数あるローマの広場の中で、もっとも美しいと思われるのがここ「ナヴォナ広場(Piazza Navona)」。 パンテオンから300mほどの距離にある美しい広場です。 細長い広場はバロックの建物で囲まれ、3つの見事な噴水がバランスよく配置されています。写真の細長い…
パンテオンは二千年もの間、ローマのこの場所に立ち続けています。長い長い時間を経てもなお、この場所に変わらずにあり続けることは、奇跡のような話であり、それはローマ人のエンジニアたちの叡智によって完成されたこと、ローマがキリスト教国家となって…
パンテオンのドームは古代ローマの建築家、エンジニアの手により多くの困難を克服して実現されました。そしてその後二千年もの間この場所に、姿を変えず存在しつづけている。すごいことだ。 僕は前回、ドーム天井実現の最大の問題だった「重量」を克服する手…
ローマ帝政初期に誕生し、やがてキリスト教と共にあったことで2千年の時を生き抜いたパンテオンは、古代ローマの技術の高さを今でも世界に伝え続けています。今回はパンテオンの構造について綴ります。 パンテオンの内部空間は 直径43.3m、高さ43.3mの広…
パンテオンの正面にはラテン語の碑文があります。 M·AGRIPPA·L·F·COS·TERTIVM·FECIT 意味は「ルキウスの息子マルクス・アグリッパが3度目の執政官のときに建てた」であり、パンテオンにはアグリッパがパンテオンを建てたことが大きく刻まれているのです。し…
パンテオンはローマ帝政初期に誕生し、その形をほぼそのまま維持している貴重な建物です。古代ローマの遺跡はほぼどれも半壊または全壊のような状態であることを考えると奇跡ともいえなくもない。コロッセオでも触れたように、本来ローマンコンクリートを使…
ローマの石畳の道を行くと、その先に神殿のファサードが現れました。太陽の光を反射する石畳のその向こう、何やらギリシアの神殿のような建物が目に飛び込んできます。二千年形を変えることなくこの場所にあり続ける建物「パンテオン (Pantheon)」です。いま…
72年にヴェスパシアヌス帝によって始められたコロッセオの建設工事は、その長男ティトゥス帝に継承され、80年にほぼ完成し落成式が行われました。その後、次男ドミティアヌス帝が行った工事は最上層の座席の整備と、天幕システムなので、実質的にコロッセオ…
2000年前のローマ市民になったつもりでコロッセオの中に入ります。 とはいえ、2000年の時の流れは想像力では隠しきれず、かつてはピカピカだったであろう壁面はすっかり風化して、通路にはどこに使われていたのかもわからない石材が無造作に転がる、なかなか…
コロッセオを実際に間近でみると、その巨大さの割に重々しさや野暮ったさが感じられません。あれだけ見上げるような巨大な建物であっても、見た目の印象は重厚というよりむしろ軽やかですらあります。 ◾️デザインの妙 その理由は大きく2つに分かれる(と僕は…
イタリア語:コロッセオ(Colosseo),ラテン語 :コロッセウム / Colosseum)。 学生時代の歴史の教科書に出てくる2000年前の、5万人を収容する円形闘技場です。などという説明など不要な、おそらく世界でもっとも有名な古代建築の一つ。古代ローマのことは知らな…
ある夏の暑い日、僕が初めてローマを訪れたとき、まず最初にカンピドリオの丘に登りました。麓から、美しい階段のような坂道「コルドナータ(Cordonata)」を登って、ミケランジェロがデザインした広場に入り、さらにルネサンスの建物の間を抜けた時、視界が…
学校で歴史の教科書に必ず載っていた古代ローマの遺跡。だれもが知っているであろう有名な遺跡は、巨大で、美しく、そしてローマの技術の粋を集めた逸品でした。コロッセオを初めて見た時の衝撃から、コロッセオにまつわる様々を綴っていきます。 cmn.hatena…