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古代ローマ小話 アントニヌス・ピウスとファウスティナ

フォロ・ロマーノのど真ん中に現在まで残っている神殿、その名前となっている「アントニヌス・ピウスとファウスティナ」。今回はこの夫婦のお話です。

古代ローマ史上最も平和な時代だった五賢帝の世紀。その中でも優れた皇帝として特筆されるのが、トライアヌスハドリアヌス、そしてアントニヌス・ピウスの三人です。

◾️初代皇帝が定めた禁を破りローマ最大版図を実現したトライアヌス(MARCVS VLPIVS NERVA TRAIANVS AVGVSTVS)

◾️帝国全土をくまなく視察して防衛線の確立や、公共建築やインフラの整備を行いローマ帝国を盤石にしたハドリアヌス(PVBLIVS AELIVS TRAIANVS HADRIANVS AVGVSTVS) 

◾️記録に残すようなことが何もないアントニヌス・ピウス(CAESAR TITVS AELIVS HADRIANVS ANTONINVS AVGVSTVS PIVS) 

華やかな功績を残した二人の賢帝からローマを引き継いだ後、23年の皇帝在位の間、歴史家が喜んで書き残すような事変がなにも起こらなかったため、記録がほとんどないのだといいます。二人の賢帝が作った立派な帝国を引き継いだから何もせずに済んだ「幸運な皇帝」だったと評価される節もありますが、これだけの広範囲にわたるローマ帝国を23年間もの間何も起こらなかったのは、皇帝アントニヌス・ピウスが何も起こらないように舵取りをして、平和な時代を築き上げたということに他なりません。

アントニヌス・ピウスの「ピウス」は「慈悲深い」を意味する尊称。塩野七生著「ローマ人の物語」はこの皇帝を「春の陽射しのように穏やかで、何事も穏便に解決されるよう努め、バランス感覚が抜群であり、虚栄心は皆無」と評します。一級の品格と高い教養を持ち、非の打ちどころのない人格者でありながら、醸し出すユーモアによって周囲の人々を虜にする、アントニヌス・ピウスとはそういう皇帝でした。また、何も問題がなくとも常に危機に備えることを意識して帝国を運営し、無駄を排除し「責任を果たしていない者が報酬を貰い続けることほど、国家にとって残酷で無駄な行為はない」という言葉を残したようにローマ帝国の効率的な運営に努めた。その姿は「皇帝」というより超優秀な経営者という表現が合うかもしれません。

 

◾️ファウスティナ(Annia Galeria Faustina )

ファウスティナは先帝ハドリアヌスの姪にあたる女性です。

ファウスティナとアントニヌス・ピウスは、アントニヌス・ピウスが皇帝になる前の115年頃、恋愛結婚をしたと言われています。政略結婚が当たり前のこの時代に、とても珍しいケースです。生涯に渡りとても仲の良い夫婦で、アントニヌス・ピウスが周囲に出した手紙には、ファウスティナへの献身的な思いが綴られているといいます。

またファウスティナは模範的な女性としても知られ、元老院アントニヌス・ピウスが皇帝に即位するのと同じころにファウスティナにも「アウグスタ」の尊称を与えました。ファウスティナは慈善活動にも力を入れ、そのライフスタイルは広くローマの人々に影響を及ぼしたと言います。また、ファッションでもローマの女性に影響与え、ファウスティナの「三つ編みをぐるぐる巻き」にしたヘアスタイルはローマ世界の女性に広まったといいます。

 

仲睦まじいことで世間に知られたアントニヌスとファウスティナの夫婦でしたが、アントニヌス・ピウスが皇帝即位して3年後の141年にファウスティナは亡くなってしまいます。この時のアントニウス・ピウスの落胆ぶりは相当なもので、悲嘆に暮れた皇帝は亡き妻を神格化してフォロ・ロマーノのど真ん中、聖なる道(Via Sacra)沿いの一等地に妻を讃える神殿を作り「神となったファウスティナ」に捧げました。これが今に残る神殿の成り立ちです。

上の写真のコインもファウスティナが亡くなった後に、ファウスティナを忘れないようにと発行されたコインだそうです。またファウスティナの遺産を基に、孤児となったローマの少女たちを支援するためにPuellae Faustinianae(「ファウスティーナの少女たち」)という慈善団体を設立しました。

生前どんなふうに仲の良い夫婦だったか知る術はないのだけど、ファウスティナが亡くなった後のアントニヌス・ピウスの公の行動からも、その愛情の深さが感じられます。それらを認めた元老院やローマの市民もまたファウスティナを慕い、神殿を作ることやコインに肖像刻むことを望んだのでしょう。

 

23年間もの平和を維持した皇帝アントニヌス・ピウスは161年に74歳で亡くなります。それまで仲睦まじい夫婦の姿を間近に見ていた次代皇帝マルクス・アウレリウスは、アントニヌス・ピウスを神格化し、このファウスティナの神殿に夫婦一緒に祀ることとしたのです。その時からこの神殿は「アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿」と名前を変えたのでした。以降古代ローマの新婚夫婦は国家公認の「模範的な夫婦」にあやかるため、この神殿の祭壇で祈りを捧げたそうです。

 

フォロ・ロマーノの真ん中に、今でも「アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿」は残っています。

この神殿は7〜10世紀頃にキリスト教会に転用され「聖ロレンツォ教会」となったおかげで、ローマ帝国崩壊後も決定的な破壊を免れ現在に至ります。現在の姿は15世紀初頭のルネサンス期の改修の結果で、コリント式神殿として作られた「アントニヌス・ピウスとファウスティーナ神殿」のポルティコ(円柱楼)と神殿の本殿を利用して、ルネサンス様式のファサードが加えられたとても不思議で、かつ貴重な様式折衷の建物となっています。

 

アントニヌス・ピウスという皇帝は、どこかを征服して歴史に名を刻むとかという虚栄心的発想とは全く無縁でした。二人の先帝が派手に築きあげたローマ帝国を受け継ぎ、ひたすら帝国の平和を維持することに心血注いだ皇帝でした。在位23年間、見事に平和な世界を維持したことによって派手な征服行や武勇伝などの人々が好んで書き記すようなことは何もなく、人格者であるが故にスキャンダル的な浮世話もない。よって歴史家にとっては「面白くない時代」、「面白くない皇帝」とされて記録があまりないといわれます。でもその人柄は同時代に生きた人々を惹きつけ、万人に慕われるまさに慈悲深い(Pius)皇帝として記憶に残ることになるのでした。

そしてファウスティナという妻と共に理想的な夫婦としてもローマ世界の模範となり、夫婦の名前が冠される神殿が2000年後の現代にまで残っている。

すごいことだと思う。

 

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