パンテオンから300mほど離れた場所に「コロンナ広場(Piazza Colonna)」があります。コロンナ(Colonna)とは「記念柱」のことで、ここには五賢帝最後の皇帝マルクス・アウレリウス(CAESAR MARCVS AVRELIVS ANTONINVS AVGVSTVS)の戦勝を記念して作られた美しい記念柱が立っています。紀元193年にこの場所に建てられ、何度か修復されながらも最初に建てられたこの場所に、現在に至るまで立ち続けています。
円柱の様式としてはドーリア式に倣う台座と柱頭を持ち、トライアヌスの記念柱と同じくその柱の表面にはマルクス・アウレリウスのゲルマニアや黒海北部の遠征の経緯と勝利が螺旋状のレリーフが刻まれていています。円柱に絡みつくように刻まれる、その質の高いレリーフはこの記念柱そのものの存在感を高め、トライアヌスの記念柱と並んで、二千年近くもの間ローマの街を美しく飾っています。
円柱そのものの高さ29.6m、台座は高さ10m。このマルクス・アウレリウスのコロンナ(記念柱)の上には、かつてはその名前の通り皇帝マルクス・アウレリウスと、その皇后ファウスティーナのブロンズ像が立っていました。
やがて訪れるローマ衰退と共に、いつからか皇帝と皇后の像は失われてしまいます。後世、その碑文によって、このコロンナが皇帝マルクス・アウレリウスのものではなく、ひとり前の皇帝アントニヌス・ピウスを讃えたものであると誤解された時期もありました。
そして1589年にローマ法王シクストゥス5世により、このコロンナの復元・修復が行われたとき、すでに失われていたマルクス・アウレリウスの像の代わりに、カトリックの重要な聖人、聖パウロの像がおかれ今に至ります。ちなみに、同様にトライアヌスの記念柱の上にはもうひとりカトリックを代表する聖人ペテロの像が置かれたのでした。
この記念柱の主であったマルクス・アウレリウスの治世はたくさんの災厄が同時発生しました。その中でマルクス・アウレリウスはローマ帝国のために献身的に対処して様々な問題を解決していったことで、五賢帝の中でも優れた皇帝として評価する人が多い。賢帝、またその知性から「哲人皇帝」と呼ばれたマルクス・アウレリウス。でもローマ帝国はマルクス・アウレリウスの時代からその衰退のスピードを上げていく。当時その聡明な頭脳によって、この哲人皇帝ははっきりとそのことを感じ取っていたに違いない。マルクス・アウレリウスが亡くなる時には、もしかすると、二千年後のローマで、この立派で美しいコロンナの上に乗っているのが、自分ではなくキリスト教の聖人であることすら予想していたかもしれません。