
街の象徴というと、例えば、パリならエッフェル塔や凱旋門、ローマならコロッセオ、イスタンブルならアヤソフィアといったように何かを記念するモニュメントだったり、巨大な建築だったりすることが多いと思います。エフェソスではそれが少し違います。おそらくエフェソスという街を象徴するのはこのクレテス通りなんだと思います。
220mほどの坂道に大理石が敷かれ、その両脇には列柱と街に貢献した人々の彫像が並んでいました。坂の先に見え隠れするセルシウス図書館のファサードに向かって歩くととても景色のよい洗練された通りであることがわかります。通り沿いには商店街、泉、神殿、住宅街が並び、一般庶民の生活を感じることができる、その点からもエフェソスを一番よく表す場所であると言えます。

クレテス(Curetes)と言う名前はエフェソスの守護神アルテミスに仕えた古代の祭司団の名前と言われていて、実は近代になって付けられた名前らしい。古代から続く本来の名前はエンボロス(Emboros)通りだったというのですが、ここでは通りが良い「クレテス通り」とそのまま呼ぶことにします。

なぜ、ここクレテス通りがエフェソスを象徴する場所なのか。クレテス通りを歩いて行きます。
◾️ヘラクレスの門
坂の上のクレテス通りの起点に立つ、ギリシア神話に登場するヘラクレスが彫刻された2本の柱が立っています。

ヘラクレスの門はエフェソスの行政区域と商業区域を区切るために置かれていました。2本の柱の間隔のその狭さは行政区域への馬車や荷車の侵入を制限する役目があった。また当時この柱の上に、前回紹介したニケのレリーフがアーチ上に載っていたとも言われます。

見学ルートに沿って行政区から商業区へヘラクレスの門を抜けていきます。
現在のクレテス通りは大理石が敷かれた道の両脇に円柱と彫像の台座が見られます。この台座にはエフェソスの街に貢献した市民の像が置かれていましたが、現在に残っている彫像は一つだけです。

◾️医師の彫像
クレテス通りに置かれていた多くの彫像は、今は台座だけが残っている。その中で唯一彫像が残されているのがこの像。ヘラクレス門のすぐそばにある彫像で、エフェソスの医師アレクサンドロスの像と言われていて、この街での偉大な功績に敬意を表して作られたものだとか。

◾️トライアヌスの泉
ここには紀元後2世紀に市民によって建てられた、皇帝トライアヌスにささげる記念噴水がありました。
今ではなかなか原型を想像するのが難しいのだけど、2階建の神殿風建物で中央にトライアヌスの巨大な像が立ち、その足元から豊富な水が流れ出るという建物。
この場所からはかつてこの泉を飾った、アフロディテやディオニソスといった神々や歴代皇帝など、12の彫像も発見されています。

今では基壇とコンポジット・オーダーの柱頭、最上部に置かれたと思われる小さな破風が残るのみ。残された材料で復元された状態からは中々想像難しいのだけど、かつては12mもの高さそびえる2階建の立派な建物だったといいます。
この泉と建物は紀元後102-114年頃、皇帝トラヤヌスの治世に作られたもので、一市民であるティベリウス・クラウディウス・アリスティオン(Tiberius Claudius Aristion)とその妻によって建設されました。エフェソスに水を供給する全長39kmの及ぶ新しい水道が作られ、その完成を祝して新設された水道の終端に泉という形でこの記念碑が作られ、街と市民へ送られました。

◾️ハドリアヌス神殿
クレテス通りを行くとある建てものに引き寄せられます。
決して大きくない建物で、コリント様式の柱頭を備え、正面のシリア風アーチをミックスしたファサードは見事で、エフェソスを代表する優雅な建物です。
これは皇帝ハドリアヌスを讃え捧げるために建てられた「ハドリアヌス神殿」と呼ばれる建物です。「と呼ばれる」と書いたのは神殿のように呼ばれるけど、実際には神殿ではありません。

在位約20年の半分ほどの期間を帝国領土内を旅して周った皇帝ハドリアヌスは、紀元後128年にエフェソスに立ち寄ったという記録があります。その記念にエフェソスの市民プブリウス・クィンティリウス・ウァレンス・ウァリウス(Publius Quintilius Valens Varius)が私財を投じて建てたのがこのハドリアヌス神殿。
皇帝ハドリアヌスはギリシア文化への造詣深く、当時のギリシア系の都市を手厚く保護したと言われています。このハドリアヌス神殿は、ギリシア系都市だったエフェソスに対し大切に扱ったハドリアヌス帝への感謝の証として建てられたものでした。
ハドリアヌス神殿のフォルムは、正面にシリア風のアーチが使われています。これは皇帝ハドリアヌスがオスティアに作った別荘ヴィラ・アドリアーナでも用いられたアーチ様式で、これによってこの建物がハドリアヌス帝にまつわるものだということ連想できます。
また正面アーチ中央には幸運の女神テュケが、奥の半円破風にはメドューサが彫刻されています。

ギリシア神話に登場するメデューサは髪の毛がヘビで見たものを石に変えてしまう力を持っていた。そんな力にあやかってこの時代にはメデューサは「魔除け」として、いろいろな建物に刻まれていました。
ハドリアヌス神殿にも、アカンサスの葉と花に囲まれたメデューサが彫刻されています。

内側のフリーズ部の浮き彫り(ここにあるのはレプリカと思われる)。
エフェソスにまつわる神話の物語を4つの場面に分けて刻まれています。当然アテネのパルテノン神殿にあるフリーズと比べるとその彫刻の質は比べるまでもないのだけど、この素朴さが市民が建てた建物としてより愛着を感じることができるのです。

成功を収めた富裕な市民によって記念碑的な建物が建てられる。このハドリアヌス神殿のようなケースはローマ社会の風習としてありました。成功を手にした市民は、公共施設などを私費で建てて街とその市民に恩返しするのです。エフェソスはその風習がとても色濃く残っていて、一市民が建てたとされる建物や施設がエフェソスにはたくさんあります。
そしてこの市民が建てたハドリアヌス神殿は、こじんまりした大きさでありながら細部にこだわりが詰まったフォルムによって、「ローマ建築を代表する」とまで言われる建物となったのです。そしてこの神殿は市民からも愛されて4世紀ごとに修復が行われ、現在まで大切に残されてきたのでした。
◾️商店街のモザイク
クレテス通りの西端、通りに沿って一歩外に出ると商店街がありました。長屋のような建物で、同じような間口に仕切られ、その一つ一つが店として使われていたと言います。その玄関口を飾ったのがこのモザイク通廊。

また、商店街の裏手は丘の斜面にそってローマの住宅街が広がっていました。この時は見ることができなかったのだけど、フレスコ画やモザイク画に飾られた富裕者の邸宅の遺跡があります。

モザイク通りで見つけた十字架を彫った何か。エフェソスはキリスト教と関係が深く、時折遺跡の中にその痕跡がみられました。「クレテス通り」という呼び名も「クレテス」という聖職者に由来するという説もあるらしい。
エフェソスとキリスト教との関わりは別の機会に。

◾️公衆トイレ
古代ローマの都市は上下水道が完備された清潔な街でした。この当時ローマの各都市にはここにあるような公衆トイレが街にはありました。
その空間はとても優雅で、円柱が並び音楽も奏でられていたこともあったとか。単なるトイレとして機能する以上に社交の場として使われていたらしい。

長いベンチ式で隣との仕切りはなく、石のベンチにこんな穴がいくつも、等間隔で開いてここで用を足す。

この穴の下は結構深く下の方に下水が流れているという仕組みでした。

公衆トイレに円柱と音楽、古代ローマ社会ではトイレも社交場として利用していた。とは言え、トイレは一人で静かに考える場所としている僕にはちょっと合わない。
◾️市民が主役のクレテス通り
実は僕は最初にエフェソスに行った時、クレテス通りで見た皇帝の名前のついたとても小さな神殿を不思議に思ったんです。後からこれが市民が建てたことを知って、この街の見方が変わりました。それまでは「保存状態の良い古代ローマの都市遺跡」、その後は皇帝ではなく「市民が作り上げた誇り高き街」。ここにある建物は決して豪華でも壮麗でもないけれど、ここで暮らしたエフェソスの市民の愛情と誇りが詰まっている。大理石が敷かれたこのクレテス通りの両側に立ち並ぶ彫像は、神でも皇帝でも英雄でもないこの街に貢献した名もなき市民の像でした。
エフェソスは市民が作り、市民が愛し誇りに思えた街で、クレテス通りを歩くとその空気を今でも感じ取ることができるのです。