トルコ
ここがまだ「ビザンチウム」と呼ばれていた頃、230年にローマ皇帝セプティミウス・ウェルスがこの場所にローマ戦車競技場を作りました。ギリシア語で「ヒッポドローム (hippodrome)」と呼ばれ、四頭立て馬車による戦車競技(いわゆる競馬)、剣闘試合のほか、…
鉄の拘束具をつけられたような大きな円柱があります。僕は最初、これがコンスタンティノープルを攻略した後のオスマントルコが、東ローマを手中におさめたことを示すために行なったデモンストレーションなんだろうか、と思っていました。でも実際にはこの円…
Yerebatan Sarnıcı アヤソフィアとは道挟んだ向かい側の小さな入り口があります。ここから地下に降りていくと、かつてのコンスタンティノープルの地下貯水槽があります。コンスタンティノープルには60ヶ所に地下の貯水槽があるといいます。過去幾度かのコン…
オスマントルコによって、いやスルタン・マホメット2世によって、コンスタンティノープルは陥落して、アヤソフィアはイスラム教のモスクに改装されます。 そして「奇跡の建築」と言われたその姿は、その後のイスラム教のモスク建築の基となりました。アヤソ…
教会として誕生したアヤソフィア。 オスマントルコによってコンスタンティノープルが陥落した後、イスラム教のモスクに改装されたため、元々「キリスト教会」だったということ自体に違和感を感じてしまいます。 アヤソフィアがモスクとなってから約400年、現…
アヤソフィア建設にあたっては、世界中から優れた職人と親方を10000人も集め、ロードス島からは超軽量レンガ、内部装飾のための珍しい色大理石などの石材は地中海世界のあちこちの産地からコンスタンティノープルに運ばれました。さらには内部に使用された円…
アヤソフィアは東方正教会の聖堂として誕生したので、平面プランも縦横が同じ長さのギリシア十字の形をしています。カトリック教会のいわゆるラテン十字(一方が長い)とは違い、正方形の建物の外形に、中央のドームを中心にギリシア十字の形に、身廊、側廊が…
アヤソフィアはキリスト教会でした。なので完成当時は今のようなような4本のミフラーブはなく、ドームの頂きにはキリスト教会である証の「十字架」が立っていました。 ブルーモスク側の門越しにミフラーブを隠すように見ると、完成当時のアヤソフィアの姿が…
アヤソフィア / Ayasofya 「アヤソフィア(トルコ語)」は東ローマ帝国の時代に建設され、もともとはギリシア語で「ハギア・ソフィア(聖なる叡知)」と呼ばれていました。その名前の通り、当時の建築技術の叡智を集めて建設されたビザンチン建築の最高傑作とさ…
◆イスタンブルとトルコの歴史ダイジェスト◆ <有史以前> 紀元前7千〜5千年(新石器時代) :アジア側に集落が作られた。 紀元前6千〜5千年(青銅器時代) :ヨーロッパ側のトプカプ宮殿付近に居住地が作られる。 という具合に、この土地の優れた地勢は古くから…
アジアとヨーロッパにはさまれるボスポラス海峡は、北は黒海に、南はマルマラ海に接し、海はそのままエーゲ海へ抜ける。海から陸から物が集まる通商に適した場所がここイスタンブル。 ヨーロッパとアジアのふれる場所。文明の十字路。「エキゾチック」という…
東西の文明が出会う場所。 西はエーゲ海、北は黒海、南は地中海に面し、ヨーロッパ大陸、アジア大陸につながる。そういう土地を求めて古くからたくさんの国が争った結果、トルコの歴史には多くの異なる文明、民族が名前を連ねています。 そんな背景事情から…