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旅行の記憶と何気ない日常を

ルッカ小話 ルッカ会談

f:id:fukarinka:20211002210626j:plain実しやかに語り継がれる伝説によれば、ローマは紀元前753年4月21日に狼に育てられた双子の兄弟の兄ロムルスによって王国として現在のローマのパラティノの丘の上に誕生しました。そんな一部落のような小さな国だったローマが徐々に拡大、王国から共和国に代わってもその勢いは増し、やがて地中海をすっぽり囲む大国となります。紀元前1世紀頃になると、拡大したローマの領土は、それまでの共和制、つまり元老院主導の寡頭政体では統治困難な状態になっていました。この頃すでに元老院の機能の限界をしめすこととなったわけです。

当時「密かに」機能不全の共和国ローマの統治をコントロールしていたのが、カエサルポンペイウスクラッススの3人。民衆からの絶大な人気を誇るユリウス・カエサル、軍事的な実績では右に出るものなしのポンペイウス、ローマ随一の財力を誇る大金持ちクラッスス。実質この三人がローマを仕切っていた当時の政体は「三頭政治」と後世に呼ばれます。紀元前60年ころに始まった三頭政治は密かにローマを支配していました。

 

*ガイウス・ユリウス・カエサルのかなり美化された胸像(キアラモンティカエサル)

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そして紀元前56年3月にここルッカで三頭が集い会談を行った。これをルッカ会談と言って、歴史の教科書にも三頭政治とセットで載っていた(と思う)。

このルッカ会談は共和政ローマにとっての大きなターニングポイントとなります。

これを境に、それまでは秘密裏に行われていた三頭政治が公のものとなり、ローマが新しい方向に「目に見えて」動き出すと同時に、古い風習にしがみつく元老院側と、現在のローマに合った政体を作っていこうとする三頭側の対立があらわになってゆく。そして陰謀や裏切りにまみれながらローマは帝政へと大きく変貌していくことになるのでした。

 

さて、この重要な会談がここルッカで行われた理由はなんだったのでしょう?

  1. 当時属州総督としてガリア戦役の途中だったカエサルは軍隊を率いており、法律上ローマ本国に入ることは許されませんでした。当時、本国ローマと属州の境界である西のアルノ川か、東のルビコン川の外側(属州側)の街を選択する必要があった。
  2. この時期ポンペイウスはピサ(ルッカとは目と鼻の先)からスペインへ向かう任務があったのでルッカはとても好都合。
  3. クラッススはどうにでもなった。

こんな風に三頭の会談場所はルッカに決まったようです。

 

いまから2000年前、ここルッカのどこでこの会談が行われたのか、さっぱりわからない。現地にもそれらしい痕跡は何もない。いい観光資源になると思うのだけど、驚くほどに何もなかった。

 

でもルッカ会談がこの街のどこかで行われたことは間違いない。ルッカはローマ以前のエトルリアの時代からずっとここにあるのだから。。

 

 

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ルッカ グイニジの塔

f:id:fukarinka:20210821110556j:plainグイニジの塔(TORRE GUINIGI)。なぜか写真が残ってないのですが、古都ルッカにあってなかなかインパクトのある建物です。

14世紀に建てられたルッカ・ロマネスクの館"Case dei Guinigi"の塔で、その屋上には柊(ひいらぎ)の木が繁る。街を歩くと狭い路地の建物の間から、突然てっぺんに木が生えるは塔が現れる。ロマネスク様式のレンガで積み上げられた塔の上の柊は外観上のインパクトはなかなかのものです。僕はあのてっぺんの様子がいったいどうなっているのか?確かめずにはいられずに、あの塔に登ることにしたのでした。

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古い階段を上がっていくと、開けた空ではなく、木々の緑が迎えてくれました。柊のおかげで塔の上はとても窮屈なのですが、ここから開けるルッカの景色は素晴らしい。

 

ルッカのくすんだオレンジの家並みを貫く一本の筋。グイニジの塔に続く道。

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いかにもトスカーナのイタリアの街、という趣のルッカの街は

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いかにもトスカーナ、という緩やかに起伏する豊かな大地へと続くのです。

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こんな景色を見ていると僕が何をしにルッカに来たのか、そんなことはすっかり忘れてしまいそうでした。

 

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ルッカ小話 名画修復

f:id:fukarinka:20211002210626j:plain名画の修復といえば以前、ミラノでレオナルドの最後の晩餐の修復現場を見たけど、その時絵は櫓に隠されて、修復作業そのものは見ることできなかった。

有名な修復といえばこの「最後の晩餐」やバチカンシスティーナ礼拝堂ミケランジェロの「天地創造」「最後の審判」の壁画というように一大プロジェクトをイメージします。最新技術を駆使して積もり積もった汚れと後世に書き加えられた間違った修復後を除去して、もともとの絵を取り戻す。最新の修復の考え方は「治す」というより「洗う」という表現が正しいかもしれません。その結果生まれ変わったそれらの絵は、オリジナルの色彩や画家の筆感触を現代に伝えることに成功しています。

一方で過去の修復は、修復という名の加筆である場合が多かったようです。特に「最後の晩餐」はレオナルドの実験的な技法のために完成直後から劣化が始まり、ちょこちょこ修復作業という名の加筆が行われてきました。その結果、最後の晩餐はずいぶん早い時期から、「レオナルドの作品ではなくなってしまった」と嘆かれるほどだったといいます。

イタリア絵画にはルネサンス期から500年の歴史があり、大小さまざまな作品があちこちに散らばっている。レオナルドやミケランジェロといったスーパースターが描いた人類の至宝からそうでないものまで星の数ほどの作品が経年劣化を重ねているわけです。そうなると全ての絵に一大プロジェクト的な修復は難しく、修復師がいろいろなレベルの修復を行うことになるのです。

僕はここルッカのサン・フレディアーノ教会で壁画の修復作業を見ました。そう、多分修復だったんだろうと思います。

教会に入り堂内をぐるっと一回りすると、遠くで、その一角の小さな壁画で修復らしき作業をしているのが見えました。修復作業をこんな間近で見られるなんて、こんなチャンスは滅多にない!と期待満々で修復現場に近寄っていったわけですが、一歩一歩進むにつれてなんだか頭の中のハテナマークがどんどん大きくなってきたのでした。

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とてもラフな格好のお兄ちゃんがポケット片手にいかにもテキトーに、格好通りラフな仕事をしている(ようにしか見えない)。いや、実はこう見えて天才修復師なのか・・

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いや、でもやはりどこからどう見ても真面目に修復作業をしているようには見えない。。

痛みの激しい絵に、そのまま絵の具を重ねているように見える。今までいろいろ調べたところの過去の「まちがった修復」を生で見ている、そんな感じでした。

正直このお兄ちゃんも「僕でいいのかな」といった表情浮かべながらやっていたような。。

 

サン・フレディアーノ教会はルッカを代表する3つの古い教会の一つ。6世紀からの歴史がある。そんな重要な教会の壁画修復として、いかがなもんなのだろう。。。

いろいろな事情はあるだろう。でもそこを何とか古いものを正しく後世に残す、そんな修復を守り抜いて欲しい。また、あのお兄ちゃんが実は天才修復師であったと思いたい。

 

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ルッカ 古い寺院

f:id:fukarinka:20210703223432j:plainルッカエトルリアを起源に持つ歴史の深い街。その歴史と共に古い3つの寺院を辿ってみます。

ルッカ西ローマ帝国が滅びた後は、東ローマ帝国ランゴバルド神聖ローマ帝国と次々と支配者を変えていきます。西ローマが滅びたすぐ後には、キリスト教が広く普及し始めたこともあってか、ルッカには今に続く3つの古い教会が生まれます。

 

■聖マルティーノ大聖堂(cattedrale di San Martino)

ルッカを代表する大聖堂として、「ルッカのドゥオモ (Duomo)」「 ルッカ大聖堂」とも呼ばれます。

西ローマ帝国が滅んだのが5世紀。この聖堂は6世紀ころにはこの場所に存在していたといいます。現在見られる見事な姿は11世紀にロマネスク様式の聖堂として再建されたものです。

ファサードを飾るロマネスクの円柱は、色大理石、動物の彫刻、螺旋の彫刻など一本一本が実に多彩。この様式はのちに「ルッカ・ロマネスク様式」と呼ばれることになります。

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ピサの大聖堂建築に関わったグイデット・ダ・コモ(Guidetto da Como)はここルッカで「ピサ・ロマネスク様式」を発展させて「ルッカ・ロマネスク様式」へとその建築様式を昇華させたといいます。

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そしてルッカは、11世紀ころには絹織物の生産と取引の場所として当時コンスタンティノープルと並び立ち、繁栄したと言います。

1120年、ルッカ自治都市として市民が街を統治するようになります。先日行ったヴェネツィアでは、貴族階級によって強力な共和制が敷かれたのですが、ルッカでは市民が中心になって国を統治する当時、イタリアの中でも珍しい存在となるのでした。

 

■サン・ミケーレ教会(Chiesa di San Michele in Foro)

もともと8世紀ころには古代ローマのフォロ(公共広場)だったこのサン・ミケーレ広場に教会が存在したといいます。現在の建物は12世紀に建設が始まり13世紀に現在のような「ルッカ・ロマネスク様式」のファサードを持った教会として完成しました。

サン・ミケーレは「大天使ミカエル」のこと。なのでファサードのてっぺんには大天使ミカエルが立ち、ルッカの街を見守っています。

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ドゥオモと同じく、この教会のファサードの円柱は多彩で、すべて異なる装飾がされている。

全体のフォルムは洗練され、ルッカ・ロマネスク様式の完成形と言って良いかもしれません。

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■サン・フレディアーノ教会(Basilica di San Frediano)

サンフレディアーノ教会の起源は6世紀と言われています。現在の姿になったのは1112-1147年。13世紀、ファサードを飾るビザンチンのモザイク画(キリストの昇天)が加えられました。

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西ローマが滅んだ後、これら三つの教会はルッカに生まれ、11世紀に絹織物と貿易により都市国家として大きく繁栄すると、そのころにこれら街の教会は新しく生まれ変わるのです。2つはルッカ・ロマネスク様式というピサとならぶ美しい教会へ、ひとつはビザンチンの見事なモザイク画をファサードにもつ教会へと変貌するのでした。

社会が歪むと心の拠り所として、教会が生まれ、社会経済が潤ってくると教会は新しく壮麗に生まれ変わる。これはいつの時代、どこの街でも起こることなのですね。

 

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ルッカ 市壁

f:id:fukarinka:20210919210211j:plainルッカはもともと技術力に長けたエトルリア人の街として誕生。紀元前180年頃にローマの植民都市となりますが、ローマ人はエトルリア人の技術力を吸収して大きく発展していくことになるのです。

このルッカの市壁はこのローマの植民都市になったころから、存在してその後拡張、修復されて今に至ります。

楕円形に約4km、ルッカの街はぐるっと市壁に囲まれているのです。

 

駅から歩くとこのあたりからルッカの市街に入ることになります。

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現在、市壁の上は散歩道となってます。幅広い道が緑豊かに続いていて、とてもいい環境です。

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所々飛び出すこのあたり、かつては防衛の要衝として兵隊が詰めていた場所。いまではこんな風に木々が街を守っています。

この市壁の上からはルッカの街を見渡すことができ、くすんだオレンジ色の屋根の絨毯から、ドゥオモや教会の鐘楼がにょきっと飛び出している風景がみえるのです。

 

ルッカの街に入っていきます。

 

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ルッカ 目次

f:id:fukarinka:20211002210626j:plain斜塔で有名なピサから電車で30分、ルッカ(Lucca)という街があります。

ここはフィレンツェから流れるアルノ川のほど近く、市壁に囲まれた、中世のたたずまいを残すとてもきれいな街。ガイドブックには「トスカーナの古都、中世にタイムスリップ」と謳われ、ヨーロッパ各地からの観光客でにぎわう街ですが、日本人にはあまり馴染みがないかもしれません。

僕はといえば「中世」ではなく、「古代ローマ」にタイムスリップするつもりで、ここを訪ねたのです。ここルッカは紀元前56年、ローマのその後の政体が話し合われた「ルッカ会談」が行われた重要な街。僕はここルッカに「ルッカ会談」についての痕跡を探しにきたのです?

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空と雲と 〜大地から9

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2021年、中秋の名月

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雲の向こうにある満月の様子。雲が月の光に照らされて輝く様子は、ハッブル宇宙望遠鏡で撮った、遥か彼方の宇宙の姿みたいです。

 

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