cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

古代ローマ小話 パンとサーカス

パンとサーカス」という言葉、この耳に残るフレーズは一度聴いたら忘れません。そして「パンとサーカスによってローマ帝国は滅んだ」と、この言葉は堕落の象徴のように世の中に広まっていると思われる。実際僕も以前はそう思っていたし、おそらく今でもこの言葉を知っている人の大半がそんなふうに記憶しているんじゃないかと思います。

ラテン語で「Panem et circenses」。この「パンとサーカス」という言葉は、古代ローマの風刺詩人ユウェナリスという人物によって生まれました。ユウェナリスが生きたのは60〜130年。皇帝ネロの時代に生まれ、コロッセオの落成式が行われた時は20歳、その後五賢帝ハドリアヌス帝の時代に70歳で没している。幼少期にはローマは大混乱していたけれど、10代に差し掛かる頃には皇帝ヴェスパシアヌスコロッセオを建設始め、その後五賢帝のネルヴァ、トライアヌスハドリアヌスという皇帝が統治した時代を経て人生の幕を閉じるという、ローマ史の中でも最も安定した平和な時代に生きた人物ということになる。「パンとサーカス」は戦争の心配少ないパクス(平和)の中で生まれた風刺の一部。世相を表すとか事実を伝えるというものとは一線を画し、例えばカエサルを知るための重要な資料となった敵方キケロの手紙のようなものとは大きく異なるわけで、ユウェナリスはそう書いてはいても実際とは違う。あくまで「風刺」としての言葉でした。

しかし、言葉としての「パンとサーカス」は強力でした。とてもシンプルで軽妙、かつ覚えやすい。一度聴いたら忘れないくらいこの言葉には力があります。「平和な時代の風刺」という背景事情は抜きにして、そのフレーズのインパクトと、その後理由はさておき「ローマ帝国が滅んだ」という後世におきた史実が変な風に絡み合って、最後は「パンとサーカスによってローマ帝国は滅亡した」、ローマ帝国は国が施した無料のパンと無料の娯楽によって堕落したローマ人が、働く意欲をなくしたことで滅んだ、となる。なるほど。。。

 

実際の「パンとサーカス」はどんなものであったのかというと、、、

 

「パン」に相当するものは確かにタダで配られた。でもタダで配られたのは市民一人一人が死なないために最低限必要な量の小麦(パンの材料)でした。ローマでは小麦法という法律が制定され、ローマ市民が餓死するようなことがないように、生きるための最低量の小麦が配られていました。でも、飢え死にしないための最低量なので、働らかずに楽しく暮らすことはとてもできません。なのでこの配給があったローマ人がみんな働かなくなって、ぐうたらするようなことにはなりえない。

一方でこの小麦の最低量支給によって、帝政期ローマの時代は他の時代と比べても餓死者が格段に少なかったと言います。

 古代ローマのパン(ポンペイフレスコ画による)

 

「サーカス(Circenses)」も当時無料で提供されら。当時の娯楽としての「競技」を指し、コロッセオのような円形闘技場やチルコマッシモのような競技場などで開催される剣闘試合や猛獣対決、戦車競技などのことを指します。ローマでは昔から、権力者は戦勝や祝い事、有力者の追悼があると、自費で競技会を開いて市民に提供してきました。カエサルも非常に効果的に自費(借金)によるイベントを派手に開催していました。これは純粋に戦争が終わり平和になったことを市民知らせる役目だったり、権力者の人気取りの側面もあった。そしてもう一つ、権力者がこのサーカスを市民に提供する意味は、世論を知るためでもあったと言います。

 200年ころの剣闘士のモザイク画

いずれにせよ、権力者あるいは国として市民に娯楽を提供するものをサーカスと呼んだ。それを提供する場所は円形闘技場などのインフラです。コロッセオは巨大ではあるけれど収容できるのは5万人。首都100万人のローマで全員が参加できたかわからないし、そもそもイベントの好みの問題もあるだろうから、無料だとしても全員が観にくるとは限らない。当時の市民にとってのメジャーな娯楽といえば、剣闘士が命をかけた試合、猛獣との戦いだったわけですが、今からするとこれらは残忍な見せ物ではあるものの、当時の感覚からすると、今で言う「格闘技イベント」という感じだったかもしれません。いまでも格闘技を見にいく人、サッカーを見にいく人、いろいろな好みがあるように「無料であっても見に行かない」という市民も大勢いたでしょうし、そもそもこれらで市民が堕落するのかどうかは疑問です。

 

僕は20代のころから古代ローマを深く知るようになって、この「パンとサーカス」という言葉の怪しさを感じるようになりました。

パンとサーカス」という言葉の意味が変に誇張されて広がった一番の理由は、「パンとサーカス」という言葉の力、軽妙で脳に残りやすいフレーズによるところが大きいと思われる。その後のローマ滅亡という史実から、後世の評論家たちが短絡的な理解に絡めて「パンとサーカス」という言葉を使ったために、中身はともかくその言葉の力によって間違った解釈が広まってしまった。と、こんな構図と考えられます。

 

実際のローマ世界の滅亡は「パンとサーカスで市民が堕落したから」というわけはなく、もっと複雑でさまざまな出来事が長い時間をかけて絡み合った結果によるもの。その情報が何によるものか、何を意図するものかよく吟味しなければ物事の本質には辿り着けませんという非常に顕著な例のように思えます。

もちろんこのことは「パンとサーカス」に限らず何事においても、という話ですね。

 

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

空と雲と 月と輪

昨日の夜、外に出て空を見上げるとこんな光景が頭上にありました。

天頂に位置する月はほぼ満月、うっすらそれを遮る雲。その雲に、月の光が淡い光の輪を作っていました。

余計なことは何も考えずに、ぼーっと幻想的な光の輪を眺めました。とても癒されます。

月の光が差し込んで雲の層に入ると、雲は屈折率をもってる水だから光の屈折っていう身近な物理現象によってこんな光の輪が見える。以前投稿した22度Haloという現象と同じです。虹も同じ原理で見えるんです。

cmn.hatenablog.com

 

これは今日の夜明け空。リズムの良い面白い雲がありました。

 

こちらは今日の夕暮れ。薄い雲が幾重にも重なって、いろいろな模様を織りなします。その向こうの夕日が空を染めるんです。

またこんな景色に出会えますように。。。

 

cmn.hatenablog.com

 

コロッセオ3 その構造

2000年前のローマ市民になったつもりでコロッセオの中に入ります。

とはいえ、2000年の時の流れは想像力では隠しきれず、かつてはピカピカだったであろう壁面はすっかり風化して、通路にはどこに使われていたのかもわからない石材が無造作に転がる、なかなかの廃墟でした。

表面上の古さは隠しようがないけれど、その基本構造である何重にもなるアーチ構造の連なりは2000年前からそのままの姿です。

そしていくつかアーチの層をくぐると、一気に視界が開け、観客席と闘技場(アリーナ)が現れます。

 

この景色は壮観です。

今はほとんどが崩れ落ちてしまっていますが、観客席の名残がぐるっと1周、360度にわたってあります。勾配をもって配置される観客席は、現代のスタジアムのお手本であり、上に行くほど勾配がキツくなる作りになっています。地上にいる僕に全周の観客席が覆い被さってくるような錯覚を覚えます。

実際に剣闘士はこちら側(フォロ・ロマーノと反対側)から闘技場に入場し、間近にいる皇帝に一礼したといいます。廃墟ではあっても、5万の観衆を飲み込んだ観客席です。ここに立つと試合前の剣闘士の緊張感が伝わってきそうです。

 

2層目に上がります。

全体の楕円のフォルムに沿って、通路も美しく円弧を描き、その両側を規則的なアーチがその構造を支えています。ここはコロッセオ現役当時は観客席に覆われて今のように空が見えることはありませんでした。この一角に昔は現役当時のコロッセオの再現模型が展示されているんです(いまもあるのだろうか)。

 

 

◾️観客席

コロッセオは無料で剣闘試合などを観戦できましたが、市民の階層によって入場できる席位置が決まっていました。闘技スペースに一番近い最下層には大里石の座席が設けられ元老院議員(貴族階級)が観戦していました。その上の層には騎士階級(経済界・富裕層)、さらにその上が職人や商人など上級市民とされた人々の席、その上は一般市民席。最上層には立ち見席が5千人分用意され、コロッセオは全部で5万人もの市民を収容できる大スタジアムでした。

人の動きを決める導線もよく考慮された設計がされていて、効率的に配置された出入り口と階段によって、何か起これば15分で5万人全てがコロッセオの外に出られる構造だったといいます。

 

◾️ARENA

学生時代、コロッセオの写真をみて腑に落ちない場所がこの競技場(アリーナ)でした。

こんなスカスカの場所でどうやって剣闘試合が行われたのか?、と。

楕円形をした競技場は縦79m横46m。いまは石材剥き出しで溝だらけ、地下2階くらいの6m深さがある下部構造剥き出しの姿はからはとても剣闘試合は想像できません。

コロッセオ現役当時は、地上レベルは地下構造の躯体上に「木の板」が敷き詰められ床となり、その上に砂が敷かれ、木の床を覆っていました。砂のことをラテン語で"ARENA(アレーナ)"といい、現在の「アリーナ」の語源となっています。

反対(南東)側にはコロッセオの外へ通ずる出入り口が見えます。こちらは「葬儀の門」と呼ばれ、剣闘試合で負けた剣闘士や猛獣たちが運び出される出口でした。

 

80年に行われた落成式の時にはこのアレーナに水を張り「模擬海戦」が行われました。

コロッセオには今も確認できる水道設備があります。もともとコロッセオは先帝ネロの黄金宮殿(ドムス・アウレア)の人工湖があった場所に作られていたので、この人口湖のための水道施設によってアリーナに水を引き込み、船を走らせて模擬海戦が行われたと考えられ、その時の様子を見た人がその興奮を書き残した記録がいくつも見つかっているとか。さっきまでの地面があっという間に水で満たされ、大きな船が何艘も登場した挙げ句、戦いを始めた様はコロッセオにいたローマ市民は度肝を抜かれたでしょう。

技術的にはローマ水道は豊富な水が流れていたでしょうから、アリーナを満たす程度の水の心配はいらない。でも板張りの床に水を張る、あれだけの地下空間があっての水張りも、ローマ人の技術者のことなのでよほど緻密に計算して、水漏れなどさせずにこの模擬海戦を執り行ったことが想像できます。

 

◾️舞台装置

アレーナの床は今はなく、当時のアレーナの様子は想像しづらい。地下に深く掘られ囲われたスペースは、猛獣の檻や剣闘士の控え室があり、また剣闘試合をより「エンターテインメント」にするための様々な仕組みが凝らされていました。

 

いま想像するのはなかなか難しいのですが、下の絵のような感じで、地下の構造体の間は木組みの構造体で埋められていました。そこには人力のエレベータ施設と、猛獣の檻、剣闘士の控室があり、それぞれエレベータに乗り地上のアレーナ表面へ躍り出るための仕組みが配置されていました。

アリーナにはこの人力エレベータ施設と床面からの登場口がいくつもあったと言われ、エレベータだけでも100近くが地下に隠れていたとか。剣闘試合の演出に沿って、どこからでも主役、脇役、敵役が登場できるようにコロッセオの地下は壮大な舞台装置と化していました。

ローマ市民にとっての剣闘試合は単なる殺し合いではなく、壮大な舞台装置によって演出されるエンターテインメントでした。それにローマ市民は熱狂する。命をかけた戦いは残酷で凄惨な場面もあったと思いますが、その本質は今で言えばスポーツ観戦に熱狂することと変わりないということですね。

 

◾️天幕

ローマの夏の暑さは厳しので、夏にはローマからローマっ子はいなくなり、観光客ばかりになる、と聞いたことがあります。確かに夏のローマはとても暑かった。所々にある泉で何度も水分補給しなければ、歩き回れないほどでした。

2000年前も夏の暑さは同じだったようで、コロッセオが現役のときは、観客席の上部には日よけのための「天幕」を張る仕組みがありました。コロッセオの外壁最上部に木製の支柱を立てそこにロープを張ってその上に船の帆の素材の天幕を貼ったと言われています。今は当時の外壁の最上層にこの天幕を張るための支柱を立てる土台が見られるのみ。

 

◾️ここまでやるか

コロッセオの構造は、アーチ構造を多用することと効果的な材料の選択によって建物そのものの強度や採光や人の導線が確保されています。さらに、日除の天幕システムや剣闘試合を演出するアリーナの地下構造、人力エレベータ、地上へのアプローチなどのエンターテインメント性の実現は現代のスタジアム顔負けで、「ここまでやるか」という仕組みが満載でした。

ローマのコロッセオはその外観の意匠的な特徴だけでなく、それまでにローマ各地に作られた円形闘技場の技術やノウハウなど全てがつぎ込まれた、100万人が生活する首都に相応しいローマ世界最高の円形闘技場でした。

 

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

 

コロッセオ2 そのデザイン

コロッセオを実際に間近でみると、その巨大さの割に重々しさや野暮ったさが感じられません。あれだけ見上げるような巨大な建物であっても、見た目の印象は重厚というよりむしろ軽やかですらあります。

 

◾️デザインの妙

その理由は大きく2つに分かれる(と僕は思う)。

一つ目:楕円のフォルム

円形闘技場(Amphitheatrum)は、ギリシアの半円形劇場をもとにローマ人が発明した建築です。日本語では「円形闘技場」といいますが、実際は円ではなく、美しい楕円形をしています。ラテン語の「Amphitheatrum」は直訳すれば「観客席に囲まれた劇場」なので、「円形闘技場」とは日本独自の、実際とはちょっと外れた呼び名なので注意が必要。

上から見るとよくわかる楕円形のフォルムのために、外からコロッセオを眺めるときはその場所によってその大きさの印象が変わります。場所によって最大(楕円長径)約188mの建物にも、最小(楕円短径)約157mの建物にも見える。これは日常的にコロッセオを目にする人々にそのサイズに対して、大きいような、それほど大きくないような、曖昧な印象を与えることになります。

 

二つ目:アーチと柱

外観上、コロッセオは4層構造となっており、その高さは48mにも及びます。地上1層目から3層目までは、水道橋のようなリズムのよいアーチの連続と、その間にある円柱の存在によって、巨大であってもその印象は軽やかです。さらにその上には、アーチの3層構造に蓋をするが如く、シンプルで機能的な4層目を戴冠します。4層目にはアーチの1/2の周期で四角い小さな窓が開き、天幕用の支柱の土台が外観のデザインに絶妙なアクセントを加えています。

今はコロッセオの外壁の半分くらいが崩壊してしまってますが、完成当時は1~3層はそれぞれ80のアーチと円柱がコロッセオ全周を取り巻いていました。また2層目、3層目のアーチには、これも今は失われていますが、ひとつひとつのアーチの中に、下の絵のように彫像が飾られていました。4層目に見られる針のような支柱は、観客席を覆う、日除の天幕を張るためのものでした。

◾️飾り円柱

デザイン的にアーチをつなぐ、コロッセオの円柱は本物ではなく、外壁面に浮き彫りにされた「飾り円柱」です。コロッセオの飾り円柱は各層ごとにギリシアの3つの伝統様式、神殿に用いられる様式が使い分けられています。

1層目はドーリア式と呼ばれる様式で、アテネパルテノン神殿に用いられているシンプルで重厚なタイプで「安定感」を演出します。コロッセオの最下層の1層目に使用するに相応しい。

2層目はイオニア式。少し小ぶりの神殿に用いられる様式で、軽やかな印象を与えます。黄金比に習った螺旋の渦巻きをもった柱頭が特徴的で2層目にぴったり。

3層目はコリント式。華やかに装飾された柱頭が特徴で、ローマの街で一番多く見かけるタイプは3層目に相応しい。

3つの特徴のある様式をうまく配置して、水平方向の軽やかさと、垂直方向の安定感を演出しています。

(4層目にもコリント式の柱っぽい浮き彫りが申し訳程度に施されていますが、衣装的な影響がほぼないため割愛しました)

*軽井沢で楽焼きした、オリジナル湯呑み

同じ建物の中に3種類の様式円柱を並べるとか、偽の浮き彫り円柱「飾り円柱」も、ギリシア人であればまず採用することはありません。ギリシア人は、建物を神様たちにも見てもらうために、人には見えない細部まで妥協せずに作り込む。彫刻も然りです。芸術作品としての観点からは、ローマ人による様式折衷や偽物の飾り円柱というのはちょっと邪道といえるかもしてませんが、ローマ人はそんなことお構いなしに、いろいろな解釈で新しいものを作り上げていきます。円形闘技場自体がそうであるように、コロッセオのこの外観もローマ人ならではの発明と言えそうです。

◾️黄昏

コロッセオは326年にコンスタンティヌス帝によって剣闘士の試合が禁止されて以降、一気に荒廃していきます。大観衆に包まれた剣闘士の戦いが行われなくなった後は、主にローマの新しい街の建物建設のための石切場と化してしまうのです。結果、その現在のコロッセオは外周の約半分がほぼ失われ(下図参照)、ふた周りくらい小さくなって内部構造剥き出しの可哀想な姿になってしまった。

その本来の機能を終えたコロッセオはローマの石材調達場所として利用され続けました。コロッセオを作っている石材「トラバーチン」は良質な石材として、ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院始め、今でもローマを覆う多くのルネサンス建築のために使われました。18世紀にローマ法王によって、コロッセオの保存を宣言されるまでの千年以上にわたり、石材調達場として利用されました。

現在のコロッセオ、外壁の石材を奪われてしまった部分の境界には、レンガで崩れないように補修され、その姿はとても痛々しい。

 

さらに完全に外周部が失われたところは内部構造が剥き出しになっていて、見るに耐えません。でも、反対側のほぼ建設当時の姿が残っている側と、反対側の内部剥き出し状態の姿によって、コロッセオの構造がとてもよくわかる。とてもよい教材であるという取り方もできなくはありません。

それにしても、この千年以上も石材奪われてきたのに、これだけ巨大な状態が保たれているということからもコロッセオがいかに大きいかが想像できると思います。。。

古代ローマギリシアの遺跡は、その崩れかけた様子が、見る者の想像力を掻き立ててくれるのです。廃墟であるからその価値がある、と言えます。でもコロッセオの場合はそれが当てはまらない、不思議なんですがそんな気がするんですね。コロッセオは帝国ローマの象徴的な存在で、それを崩したのは時間ではなく、どちらかと言えばキリスト教コロッセオの姿はそのローマ絶頂期の名残とその後にローマが辿った運命そのもの。

コロッセオの周りを歩きながら眺めるときは、古代ローマへの畏怖の念と、ローマの運命に対しての哀愁も入り混じった感情になりますね。

 

円形闘技場(Amphitheatrum)はイタリア半島だけでも163の街に建設され、アフリカ、中東、ヨーロッパ全土にわたって多くの都市に当たり前のように建設された当時とても身近な公共施設でした。その中でローマのコロッセオはその規模、その機能、バランスの取れた意匠面においてローマ世界の円形闘技場の頂点に位置します。

完成から二千年も経ち、大きく崩れた今ですらそのオーラは強く、首都ローマでその存在感を放っているのです。

 

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com



コロッセオ1 なぜコロッセオか

イタリア語:コロッセオ(Colosseo),ラテン語 :コロッセウム / Colosseum)。

学生時代の歴史の教科書に出てくる2000年前の、5万人を収容する円形闘技場です。などという説明など不要な、おそらく世界でもっとも有名な古代建築の一つ。古代ローマのことは知らなくてもこのコロッセオのことは知っているという人も大勢いると思います。ここではラテン語の「コロッセウム」ではなく、僕が子供の頃に知った名前、イタリア語の「コロッセオ」と呼ぶことにします。

*イタリアで買った絵葉書

◾️なぜコロッセオと呼ばれるのか

コロッセオ(コロッセウム)」とは本名ではありません。今は失われていますが、かつてこのすぐ近くにあった「コロッスス(皇帝ネロの巨大黄金像)」にちなんだ通称で、正式名は「フラヴィウス円形闘技場(Amphitheatrum Flavium)」と言います。コロッセオはその本名が示すようにフラヴィウス一門(Flavius)の皇帝たちにより建設されました。

フラヴィウス最初の皇帝ヴェスパシアヌス(TITVS FLAVIVS CAESAR VESPASIANVS AVGVSTVS)によってA.D.72年に着工され、その後8年の歳月を経てA.D.80年にその長男ティトゥス(TITVS FLAVIVS CAESAR VESPASIANVS AVGVSTVS)帝により完成し落成式が行われます。その後、次男ドミティアヌス(TITVS FLAVIVS CAESAR DOMITIANVS AVGVSTVS)帝が最上階の席を整備して日除けの天幕設備を追加する拡張工事を行いました。

*ローマ文明博物館の模型

◾️なぜコロッセオだったのか

皇帝ヴェスパシアヌスはなぜ、コロッセオを建てたのでしょう。。。

コロッセオが着工される以前のローマは大きく混乱していました。暴君ネロの治世にローマの大半が焼ける大火事(ローマの大火)に見舞われ、キリスト教徒の大虐殺といった不幸な出来事が続き、ネロが自殺した後は1年で3人の皇帝が入れ替わり暗殺されるというローマにとって暗く不安定な時期が続きます。そして、この混乱を納めたのが皇帝ヴェスパシアヌスでした。

ヴェスパシアヌスという人はとても真面目な田舎びと。顔は「膨らまなかったパン」と表現される冴えない風貌、立ち居振る舞いも洗練とは程遠かったと言われる。でもその代わり人に好かれるユーモア溢れる人物だったとか。

「初代皇帝アウグストゥス(〜クラウディウス)のような統治を行う」とヴェスパアジアヌスは市民に約束します。そして皇帝と市民が出会える場所、皇帝と市民が一体になれる場所として建設されたのがコロッセオで、その場所は市民から不評だった暴君ネロの黄金宮殿(ドムス・アウレア/Domus Aurea)の人工池の跡地と決まった。

重要な都市機能の一部として、市民の娯楽のため、市民と皇帝が身近に出会うため、コロッセオは建設され、5万人の収容力とそのデザインはこれら目的を果たすために必要十分なものでした。このことはコロッセオの中に実際に入ると、その理由を実感できます。ヴェスパシアヌスが作るべきはこの「コロッセオ」一択だったのでした。

◾️デザインの力

ひとことで言えば「5万人がコンパクトに集まれる場所」それがコロッセオ

コロッセオは程よいフィールドサイズと観客席の角度設定によってか、競技フィールドに立つと、観客との距離がとても近く感じます。どこの席からも皇帝の姿がよく見えただろうし、剣闘士の試合への熱狂も全体に伝わり安く、一体感が生まれやすい空間だっただろう。コロッセオに実際に入ると、そこにヴェスパシアヌスの意図を感じることができるのです。ヴェスパシアヌスの掲げた目的のためには、ギリシア伝統の半円形劇場ではダメ、チルコマッシモのような大競技場は大きすぎ、首都ローマにあってこの収容人数、このサイズ、この形である必要があったのでした。

混乱の時代を経て、時代が首都ローマに求めたコロッセオは、生まれるべくして生まれたのでした。

 

ヴェスパシアヌスは皇帝になった時すでに60歳。コロッセオの完成を見ぬまま病死してしまいます。先帝の意思は長男ティトゥスが引き継ぎ、着工から9年後にフラヴィウス円形闘技場は完成するのでした。A.D.80年にティトゥス帝が行った盛大な落成式典は100日に及び、この間9000頭の猛獣が殺され、2000人の剣闘士が死んだといわれています。これほどの命の犠牲をもって、というのはどうかと思いますが、コロッセオはそのヴェスパシアヌスの意図した役割を十二分に果たしていきます。

 

次回は「建物」コロッセオを。

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

コロッセオ0 圧倒される

ある夏の暑い日、僕が初めてローマを訪れたとき、まず最初にカンピドリオの丘に登りました。麓から、美しい階段のような坂道「コルドナータ(Cordonata)」を登って、ミケランジェロがデザインした広場に入り、さらにルネサンスの建物の間を抜けた時、視界がパーっと開けて、丘の上から眼下に広がるフォロ・ロマーノの壮大な姿が広がったんです。これが僕が見た最初の古代ローマの姿で、この時すでに、僕はローマの街の虜になってしまった。でも、そのまま左の方へ降りて大通りで見た光景は、フォロ・ロマーノのそれを遥かに上回るものでした。

僕が見たのは「大通りの向こうにコロッセオ」。この景色が目に入った瞬間、頭に浮かんだ言葉は「なんだ⁉︎コレは⁉︎」でした。こんな言葉しか浮かばない、そんな状態です。もちろんそれがコロッセオであることはわかったのですが、それでもやっぱ頭をよぎったのは「なんだ⁉︎これは⁉︎」で、その衝撃たるやフォロ・ロマーノを軽く超えるものだったのです。

ローマでの街歩きは、あちこちで、大小織り交ぜ様々な古代ローマの遺跡が突然現れるという驚きの連続です。そんなローマにあっても、特大級の衝撃を受けるのがこのコロッセオ(コロッセウム)です。一部をのぞいてフォロ・ロマーノや皇帝たちのフォロといった貴重な遺跡群はほとんどが崩れてしまって原型を残さないものがほとんどなのに対して、コロッセオは一部ではあっても当時の姿を留めており、その巨大さと美しさとその佇まいに僕は圧倒されたのでした。

そして、この大通りはフォリ・インペリアーリ(Fori Imperiali)通りと言い、ムッソリーニコロッセオをバックに軍事パレードをしたいがために作った道です。ムッソリーニはこの絵面を得るために、貴重な「皇帝たちのフォロ」の遺跡をつぶしこの道を作りました。このために「カエサルのフォロ」や「アウグストゥスのフォロ」などの結構な部分を潰されてしまったのは全くもって許せない。だけどこの道の向こうにコロッセオがそびえる見事な様は確かにスゴイ。ムッソリーニの気持ちもまあ、わかる。ちょっと複雑な気分になります。

 

ここに立つと人も車も古代ローマの世界に吸い込まれていくように見えます。

そして吸い込まれるように自分もコロッセオに近づいていく。その構造がよく見えてくる。そしてその巨大さにさらに衝撃を受けるのです。

無数のアーチがリズムよく並び、それが3層重なっている。さらにその上の4層目はこの建物を落ち着かせるような視覚効果となって外観の安定構成している。この辺のローマ人の美意識も僕がローマが好きな大きな理由。そして近くで見るコロッセオは僕の想像を嘲笑うように、遥かに巨大。ただただ圧倒されます。

 

そして、ぐるっと一周コロッセオを巡ってみると、2000年の時を経た痛々しい姿が現れます。外側にそって歩いていくと、途中で威風堂々とした外観が途切れます。そこからは始まる、崩れてふた回りほど小さくなった反対側の姿は、まるで自分の内臓を晒すがごとくの痛々しいものです。

でもコロッセオのその威容は、崩れてしまってもなお衰えることはありません。崩れた部分も覆い隠すようなオーラを感じます。完成してから2000年もの時間が過ぎているにも関わらず。。

この時、コロッセオの姿に圧倒された僕は、ただ呆然と円弧を描く高い高い外壁を見上げるばかりでした。

cmn.hatenablog.com

 

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

コロッセオ 目次

学校で歴史の教科書に必ず載っていた古代ローマの遺跡。だれもが知っているであろう有名な遺跡は、巨大で、美しく、そしてローマの技術の粋を集めた逸品でした。コロッセオを初めて見た時の衝撃から、コロッセオにまつわる様々を綴っていきます。

 

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com