建築
アヤソフィア建設にあたっては、世界中から優れた職人と親方を10000人も集め、ロードス島からは超軽量レンガ、内部装飾のための珍しい色大理石などの石材は地中海世界のあちこちの産地からコンスタンティノープルに運ばれました。さらには内部に使用された円…
アヤソフィアは東方正教会の聖堂として誕生したので、平面プランも縦横が同じ長さのギリシア十字の形をしています。カトリック教会のいわゆるラテン十字(一方が長い)とは違い、正方形の建物の外形に、中央のドームを中心にギリシア十字の形に、身廊、側廊が…
アヤソフィア / Ayasofya 「アヤソフィア(トルコ語)」は東ローマ帝国の時代に建設され、もともとはギリシア語で「ハギア・ソフィア(聖なる叡知)」と呼ばれていました。その名前の通り、当時の建築技術の叡智を集めて建設されたビザンチン建築の最高傑作とさ…
今日は人類史上初めて、核兵器が使用された日。 80年前の8月6日午前8時15分、広島上空で核兵器が、実験ではなく無差別殺戮のために使用された。 爆心地付近、唯一残った構造物である原爆ドームは「広島県物産陳列館」が元々の名前でした。チェコ人の建築家に…
昔ローマを訪れた人々は、長い旅路の先に見えるそれぞれのローマを見つけて、ローマについたことを実感したと思います。例えばフラミニア街道で北からローマに入る人は、今はポポロ広場になっているフラミニア門が見えた時にローマに着いたと実感するだろう…
熊本シリーズの続きです。 僕は十二年ぶりに熊本城のこの姿を見ることができました。 加藤神社から見ることができるこの天守の姿はとても美しいのです。熊本城に出かけたのは1ヶ月ほど前、ちょうど梅の花が咲いて「もうすぐ春」というタイミングでした。 僕…
何気なく見かけた風景写真が忘れられなくて、どこの何かはわからねど、いつか行ってみたいと思う、そんな場所が僕にはいくつかありました。ドイツのノイシュバンシュタイン城、パリのモンマルトルの情緒ある階段、モン・サン・ミシェル。。。今日紹介する通…
コロッセオのすぐそばにあるのが大帝コンスタンティヌスの凱旋門。 315年にコンスタンティヌス帝即位10周年と312年の戦勝(内戦で西方正帝マクセンティウスを破った)を記念して、元老院とローマ市民が建ててコンスタンティヌスに寄贈たものです。 それはコロ…
先日仕事を早めに切り上げて、近所の寺田倉庫でやってる企画展「感覚する構造展 後期 法隆寺から宇宙まで」をみてきました。今年1月にみた「感覚する構造展」の続編です。 最初に高さ4m近い法隆寺の構造再現模型がどーんと迎えてくれます。 その向こうに奈…
東京駅で電車を降りて外を歩いたのは五年ぶり?久しぶりに東京駅周辺を歩いてみました。 たまたま今日はこんな場所で食事をする機会をいただいて、食事と一緒に外の景色を堪能することができた、貴重な時間だったのです。 こんな角度から東京駅を眺めるのは…
パンテオンは二千年もの間、ローマのこの場所に立ち続けています。長い長い時間を経てもなお、この場所に変わらずにあり続けることは、奇跡のような話であり、それはローマ人のエンジニアたちの叡智によって完成されたこと、ローマがキリスト教国家となって…
パンテオンのドームは古代ローマの建築家、エンジニアの手により多くの困難を克服して実現されました。そしてその後二千年もの間この場所に、姿を変えず存在しつづけている。すごいことだ。 僕は前回、ドーム天井実現の最大の問題だった「重量」を克服する手…
ローマ帝政初期に誕生し、やがてキリスト教と共にあったことで2千年の時を生き抜いたパンテオンは、古代ローマの技術の高さを今でも世界に伝え続けています。今回はパンテオンの構造について綴ります。 パンテオンの内部空間は 直径43.3m、高さ43.3mの広…
パンテオンの正面にはラテン語の碑文があります。 M·AGRIPPA·L·F·COS·TERTIVM·FECIT 意味は「ルキウスの息子マルクス・アグリッパが3度目の執政官のときに建てた」であり、パンテオンにはアグリッパがパンテオンを建てたことが大きく刻まれているのです。し…
ローマの石畳の道を行くと、その先に神殿のファサードが現れました。太陽の光を反射する石畳のその向こう、何やらギリシアの神殿のような建物が目に飛び込んできます。二千年形を変えることなくこの場所にあり続ける建物「パンテオン (Pantheon)」です。いま…
ヴィトルヴィウスがローマンコンクリートの秘密を記したことを、僕はコロッセオ4で書きました。このヴィトルヴィウス(Marcus Vitrvius Pollio B.C.80頃-B.C.15頃)に関する記録はほとんどなく、何年に生まれ何年に亡くなったのか、どのような人生を過ごした…
2000年前のローマ市民になったつもりでコロッセオの中に入ります。 とはいえ、2000年の時の流れは想像力では隠しきれず、かつてはピカピカだったであろう壁面はすっかり風化して、通路にはどこに使われていたのかもわからない石材が無造作に転がる、なかなか…
コロッセオを実際に間近でみると、その巨大さの割に重々しさや野暮ったさが感じられません。あれだけ見上げるような巨大な建物であっても、見た目の印象は重厚というよりむしろ軽やかですらあります。 ◾️デザインの妙 その理由は大きく2つに分かれる(と僕は…
イタリア語:コロッセオ(Colosseo),ラテン語 :コロッセウム / Colosseum)。 学生時代の歴史の教科書に出てくる2000年前の、5万人を収容する円形闘技場です。などという説明など不要な、おそらく世界でもっとも有名な古代建築の一つ。古代ローマのことは知らな…
ある夏の暑い日、僕が初めてローマを訪れたとき、まず最初にカンピドリオの丘に登りました。麓から、美しい階段のような坂道「コルドナータ(Cordonata)」を登って、ミケランジェロがデザインした広場に入り、さらにルネサンスの建物の間を抜けた時、視界が…
学校で歴史の教科書に必ず載っていた古代ローマの遺跡。だれもが知っているであろう有名な遺跡は、巨大で、美しく、そしてローマの技術の粋を集めた逸品でした。コロッセオを初めて見た時の衝撃から、コロッセオにまつわる様々を綴っていきます。 cmn.hatena…
V,エマニュエレ2世記念堂 / Monuumento a Vittoriano Emanuele Ⅱ フォリ・インペリアリ通りの北の果てに、ヴェネツィア広場があります。そこには白亜の巨大な建物が聳えています。 これは1885年のイタリア統一を祝し、その立役者となったヴィットリオ・エマ…
オルヴィエトのドゥオモ(Duomo di Orvieto; Cattedrale di Santa Maria Assunta)。Santa Mariaの名前にあるように、フランスで言えばノートルダム(Notre-dame)=聖母マリアを讃える聖堂です。 建立のきっかけは1263年に起きた「ボルセーナの奇跡」でした。ロ…
ヴェッキオ橋 (Ponte Vecchio) フィレンツェ最古の橋。 そのルーツは古代ローマ時代にさかのぼり、当時からアルノ川のこの場所には橋が存在していたと言います。その後ローマが衰退した後も、長い間ローマの石の橋脚に木を渡し、簡略な橋がかけられていまし…
ジョット鐘楼(Campanile di Giotto) 一見するとサンタ・マリア・デル・フィオーレと一体化した鐘楼のようにみえるのですが、独立した建築となっています。高さ84m、大聖堂のファサードと同じく色大理石の装飾で覆われた鐘楼です。この鐘楼建設を最初に指揮し…
フィレンツェのドゥオモ(Santa Maria del Fiore 花の聖母聖堂) ヨーロッパではじめてのオレンジ色のクーポラ(ドーム,円屋根)は、今も昔もフィレンツェのシンボルとして、とてもよく空に映えます。旅から戻ってくるフィレンツェ人には故郷が近くであること…
白と深緑の大理石が織りなす装飾はトスカーナ地方独特のもの。 シエナのドゥオモはそれがさらに強調されているように思えます。前にも書いたように白と黒(深緑)の色はシエナの歴史の中で生まれてきた希望と苦悩だと言われています。シエナのドゥオモに代表さ…
シエナのドゥオモ(Duomo di Siena)はシエナでもっとも高い丘の上にたっている。それもあってシエナのくすんだオレンジ色の街にあって、白いドゥオモはとてもよく目立ちます。 マンジャの塔から眺めた時は白亜の聖堂に見えたのだけど、近くで見るドゥオモは白…
リアルト橋 (Ponte di Rialto) このあたりはヴェネツィアの中でも比較的海抜が高いため早くから人が集まった、いわばヴェネツィア発祥の地。洪水の少ない安定した土地には、早くから銀行や商品取引所が集まる場所となり、1264年にできた最初の橋は「富の橋」…
ため息の橋 (Ponte dei Sospiri) ちょっと寂しげ、バロック様式のきれいな橋はドゥカーレ宮殿の脇にひっそりとあります。この寂しげな物憂げな様子は、ドゥカーレ宮殿内の法廷から牢獄へ直接つながる橋と聞けば納得です。 ふと吸い込まれてしまう美しいバロ…