美術館
3月10日は僕の父の命日。今年はそれが日曜日だったこともあり、母と二人でお墓参りに、父母の実家のある長野県上田市へ行ってきました。コロナが終わり、人の移動が以前のように戻ってきたこともあって、移動の新幹線にはたくさんの旅行者が乗っていました。…
仕事が一区切りしたので、近所の美術館(寺田倉庫)で前から見たかった企画展を見に行ってきました(先日のゴッホとほぼ同じ場所で以前、建築模型展を見に来たエリア)。 その名も「感覚する構造」。 あまり興味のない人には何を言ってるやらわからないと思い…
僕の会社は天王洲、寺田倉庫(美術館)から歩いて5分。寺田倉庫は以前は「スターウォーズ模型展」や「ジブリ展」といったメジャーどころから、「建築模型展」というとても渋い展覧会など、とても僕の好みにマッチした企画展を提供してくれます。この日は昼食…
実は昨日、こんな展覧会を見てきました。天王洲の寺田倉庫WHAT MUSEUMでやってるのは知っていたのですが、忙しくてなかなか行けず、もうこの週末で会期終了。今年の春から職場が寺田倉庫まで歩いて8分の距離にあるため、最後のチャンス、先週末に思い切って…
ピッティ宮殿とピッティ美術館、別名パラティナ絵画館 / Galleria Palatina メディチ家に対抗したピッティ家の大宮殿として1457年に着工。最初の建築家はブルネレスキでした。しかしメディチ家を意識しすぎてピッティ家は破産してしまいます。宮殿完成を待た…
ウフィツィ美術館 (Galleria degli Uffizi) 1559年、ここはトスカーナ大公国の事務所(オフィス=Uffizi)としてヴァザーリにより建設されました。コジモ1世はこの事務所にトスカーナ大公国の行政機関を全て集めるつもりだったようです。 1581年、コジモ1世…
最後の晩餐(L'Ultima Cena)はキリスト教の中でもとても重要な出来事として、古くからたくさんの「絵」がイコンや芸術作品として残されています。レオナルド以外にも、たくさんの著名な画家たちがこの「キリスト処刑前夜に弟子たちと供した夕食」の場面を描い…
ミラノの長い変化の歴史で何度も破壊と撤去の危機に遭いながら、奇跡的にその姿を現在に伝えることができた建物で、非宗教建築の中でもっとも貴重なものがこのスフォルツェスコ城です。「混沌のミラノ」その地勢ゆえに歴史に翻弄されたミラノにあって、激動…
僕は2018年に約20年ぶりにオルセーを訪ねた。そんな20年ぶりに行ったので、ゆっくりじっくりとオルセーを堪能したかったのだけど、その時はなんと入場受付締め切り直前、僕たちの後ろ一組が「本日最後の入場者」という状態でした。 「近年のパリは」、「この…
ゴッホは一般的に後期印象派に分類されます。でも僕は昔からゴッホの絵を見るたびに思うことがありました。 この人を後期「印象派」という名前でくくるのは適切なのだろうか、と。。 確かに2年ほどのパリ時代にゴッホは印象派の画家たちと過ごして、彼らから…
印象派の画家で、僕の中でもっとも早くブレイクした画家、ピエール・オーギュスト・ルノアール(1841-1919)。 光と空気の揺らぎを描いたのがモネ、自らの心のゆらぎを通して日常世界を描いたのがゴッホならば、ルノアールは「人々の幸せの空気を描いた」画家…
86年の生涯で2000点もの絵画を製作したモネ(Cloude Monet 1840-1926)。 印象派の歴史の中で、その名前の由来となる絵「印象、日の出(1872)」を描き、最後まで生き残り絵を描き続けたモネは印象派そのもの。 ここではオルセーにあるモネの作品を通して、モネ…
オルセー美術館(Muse d'Orsey)パリ万博に合わせて1900年に開業したオルセー駅。駅として機能したのはわずか30年ほどでした。それから約半世紀後の1986年にその駅舎は改装され、オルセー駅はオルセー美術館として生まれ変わったのでした。 フランス美術の黄金…
日本語では「美術館」と「博物館」と分けて使いますが、欧米ではMuseum、Muse、Museiといった一つの言葉をつかいます。各地の美術館・博物館を紹介したものをまとめます。 cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn…
ルイ16世やマリー・アントワネットがこよなく愛したチュイルリー庭園。そのセーヌ川に面した一角に緑の木々の囲まれてひっそり建つのが、オランジュリー美術館(Musee de l'Orangerie)です。木々に隠れてうっかり通り過ぎそうになってしまうこの建物は、かつ…
16世紀初頭、神聖ローマ帝国との争いでイタリアに攻め込んだフランス軍が目にしたルネサンス芸術の数々。武力で攻め込んだはずのフランス人は圧倒的なイタリア・ルネサンスの芸術に触れ、虜になり、ここからイタリア絵画の収集(略奪含む)が始まることにな…
レオナルドと違い、ミケランジェロはフランスとは特に親交があった訳ではなく、ミケランジェロがフランスに何かを成した形跡はありません。そもそも生前から「神の如き」と称されたミケランジェロはバチカン、フィレンツェ、ローマを中心にイタリアの諸国で…
ルーブルの3つの至宝のうち、サモトラケのニケは1863年にギリシアはエーゲ海のサモトラケ島で、当時のフランス領事が発見したときは118ものカケラに過ぎなかったといいます。それを持ち帰り、復元、いまのような姿となってルーブルの至宝として大切に展示さ…
サモトラケのニケを連想させる、風になびく翼を思わせる雲でした。 「サモトラケのニケ」 紀元前190年ころの作者不詳の作品。 ギリシアはエーゲ海のサモトラケ島で発見され、現在フランスはパリのルーブル美術館に収蔵されています。 船のへさきで風をうけな…
ルーブルの至宝 3つ目は「ミロのヴィーナス(La Vénus de Milo)」。 「アフロディーテ(Aphrodite)」がこの彫刻のルーブルにおける正式名です。「アフロディーテ」はギリシア神話の美を司る女神のことで、ローマではラテン語でVenus(ウェヌス)とよばれました…
僕がルーブルの中で一番好きな作品。 ルーブルの気品あふれるダリュ階段の踊り場に展示される勝利の女神「ニケ」の像、「サモトラケのニケ(Victoire de Samothrace)」。 このサモトラケのニケは、制作年が紀元前3世紀とも紀元前2世紀とも言われ、作者は不明…
フランス絵画部門を抜けていくと、広い部屋が現れます。背後にはベネツィアの巨匠ヴェロネーゼによるルーブル最大の絵「カナの婚礼」。とても有名な絵なのだけど、部屋に集まるほとんどの人がその反対側を向いているのがわかるでしょうか?この部屋にはイタ…
僕はルーブルの中で絵画のエリアを勝手に「紅いルーブル」と呼んでいます。 「サモトラケのニケ」のダリュの階段の向かいに広がっているフランス絵画エリアの壁が紅で、ここは作品数も大作も多く空間的に印象に残っているせいか、僕の中では「ルーブルの絵画…
僕の中で、「ルーブルの彫刻群が展示されているスペースは白い」というイメージがある。そんなわけで、彫刻展示スペースを僕は勝手に「白いルーブル(Blanc Louvre)」と呼んでいる。 彫刻そのもののほとんどが白なので勝手に「白い」でくくってるけど、ルーブ…
ルーブル美術館(Musee du Louvre) いろいろ書き進めてきたら内容が増えてきたので、目次のページを作りました。 cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.com cmn.hatenablog.comcmn.hatenablog.comcmn…
ルーブル美術館の展示は、古代オリエント、古代エジプト、古代ギリシア・エトルリア・ローマ、彫刻、絵画、工芸美術、素描・版画の7つの部門に分かれています。 時代やその背景に従って、部門の繋がりもあり、それぞれが工夫して魅力的な展示を見せてくれて…
ルネサンス様式の建物に囲まれたナポレオン広場。その中心に近代的なガラスのピラミッドがあります。「近代的なガラスの」なんですが、その形が古代の「ピラミッド」であるために不思議なほどの調和が生まれています。 1981年「グラン・ルーブル(Grand Louvr…
1200年にパリ防衛上もっとも弱いところに築かれた砦がルーブルの建物の始まりです。最初の建物は現在のルーブルの東端クールカレと呼ばれる正方形の部分(シテ島側のポン・デ・ザールと繋がるところ)で、当時ラテン語で「ルブラ(Rubras)」と呼ばれていました…
「ルーブル」の名前はおそらく美術に興味のない人でも、どこかで聞き覚えのある響きを感じると思います。ルーブル美術館はかつて王宮だった建物を転用、進化させて今では世界最大級の美術館となっているのです。またこの周りには、ルーブルのほかにも世界屈…
2000年前に建てられたローマの公衆浴場の遺跡に隣接し500年前に建てられたクリュニー修道院長の宿舎という、そんなカルチェ・ラタンらしい場所。それが現在のクリュニー美術館(Musée de Cluny)。正式には国立中世美術館(Musée national du Moyen âge)と言っ…