cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

小話 無言館

3月10日は僕の父の命日。今年はそれが日曜日だったこともあり、母と二人でお墓参りに、父母の実家のある長野県上田市へ行ってきました。コロナが終わり、人の移動が以前のように戻ってきたこともあって、移動の新幹線にはたくさんの旅行者が乗っていました。昨年はまだ、少し人出が戻ってきたような感じだったのが、今回はコロナ明けが定常化したことと、空前の円安によって溢れるほどの外国人観光客が新幹線を埋めている、溢れている、そんな感じでした。

父の実家は名湯別所温泉の近くにあり、その山の中腹に「無言館」なる美術館があるのを最近知りました。

無言館」は第2次世界大戦で戦死した美大生たちが残した作品を集めて展示する場所。正式名は「戦没者画学生慰霊美術館 無言館」と言うそうです。

父の実家から車で10分、山の上、木々に囲まれたとても景色の良い場所に無言館はありました。

建物はコンクリート打ち放しの近代建築、教会のような内部は十字形のホールとなっていて、とても落ち着いた雰囲気の中で作品を鑑賞することができます。

展示作品のジャンルはさまざまで、戦争とは無縁の、自由でのびのびとした作品ばかり。そんな瑞々しい作品が並ぶその片隅で、作者である画学生のほとんどが20代前半から30歳前後で戦場に散っていることが伝えられています。作品とともに、ご本人の写真や遺品が展示され、どんな学生によって描かれたかを知ることができるのでした。

芸術家としての将来に、希望を膨らませながら描いたであろう作品を前にすると、なぜこの若者たちが絵筆を銃に持ち替えなければならなかったのか、そしてなぜ命を絶たれねばならなかったのか理解に苦しみます。長い人生の中では、20〜30歳なんてまだ自分が何者かまったくわからない、30過ぎて40歳に至るころに色々なことがわかってきて人生の醍醐味や本当の楽しみを知るようになってくるのに、それが許されないなんて。自分自身の今までの人生を考えたり、うちの子供たちとこの作品を残した学生たちを重ねてみたり。。

この若者たちが命を絶ってから、わずか80年ほどしか経っていないのに、運命のこの違いはなんなんだろう。

 

ここは、夢を捨てることを強要され命断たれた若者とその家族の無念を感じる場所。戦争という狂気を忘れないための場所なのです。

 

無言館がある場所からは上田の清々しい景色を眺めることができる。

上田もすごい勢いで開発が進み、街は大きく進化しました。小さな視点では目まぐるしく変化する上田の街ですが、この場所から見る上田の景色、雄大な山々と田園の風景は大きく変わることはありません。こんな場所に無言館はあります。

無言館は、この場所で忘れてはいけないことを静かに示しつづけているのです。変わることのない景色とともに。

 

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