ヴィトルヴィウスがローマンコンクリートの秘密を記したことを、僕はコロッセオ4で書きました。このヴィトルヴィウス(Marcus Vitrvius Pollio B.C.80頃-B.C.15頃)に関する記録はほとんどなく、何年に生まれ何年に亡くなったのか、どのような人生を過ごしたのか正確な情報はありません。しかしヴィトルヴィウスが残した人類最古の建築理論書「De architectura(直訳すると"建築について”)」は彼の名前を今に伝えます。この「De architectura」はB.C.30年ごろにまとめられ、皇帝アウグストゥスに献上されたと言われます。そしてこの建築理論書は、全10巻に分けて記されていることから「建築十書」とも呼ばれ、欧米では普通に現代の本屋に並ぶ名品です。色々な呼ばれ方をするみたいなのですが、ここでは「建築書」と呼ぶことにします。
建築書の内容は、建築に関する知識や歴史といった建築基礎に始まり、ギリシア神殿建築に関する詳細と、ローマ建築(公共建築や住居、水道など)やそれを実現するためのさまざまな技術とそのための科学、ローマ人が発明した構造、工法、材料、そして機械装置などの記述が網羅され、芸術と科学とエンジニアリング、都市計画が記されています。「建築家」という存在を単なる設計者ではなく、総合的な知識を備えたエンジニアであり芸術家であることを定義付け、建築がガウディの言う総合芸術であることを方向づけたのはヴィトルヴィウスだったのかもしれません。
建築書の十書のそれぞれタイトルは、
- 第一書:都市計画、建築とその資格について
- 第二書:建築材料(レンガ、石材、木材、ローマンコンクリートについて)
- 第三書:ギリシア神殿建築(人体図、対称性など)
- 第四書:ギリシア神殿建築(伝統的建築様式)
- 第五書:ローマ公共建築(フォロ、バシリカ、半円劇場など)
- 第六書:住居
- 第七書:床や壁の装飾(漆喰、フレスコ、色)
- 第八書:水の供給と水道橋
- 第九書:建築に影響与える科学
- 第十書:建設機械
ヴィトルヴィウスは前半、建築書の中で、主にギリシア建築のその意匠や構造の秘密を読み解き賞賛しながら、母国ローマで発明された構造や建設機械についても詳細に記しています。ギリシア神殿のドーリア、イオニア、コリントといった建築オーダーの構造ルールを記して賞賛し、半円形劇場は音の伝わり方までデザインしていることを解説します。「ギリシア人すごい!」と記しながら、「ローマ人だってまけてないぜ」とローマ人の数々の発明は誇りを持って書き記されている。そして皇帝アウグストゥスに献上するために書いた部分は、なんだかぎこちない。ヴィトルヴィウスが執筆中の姿が目に浮かぶ。。。
皇帝への慣れない文章を眉間に皺を寄せながら書く、書いているんだけど自分じゃないようで気だるくて、なかなか筆が進まない。あくびをしながら書いていたかもしれない。一転して建築に関するあらゆる説明に関しては、ものすごい集中力とスピードで一気に書き進む。文章が頭に溢れるのに、手で文字を書くスピードが追いつかない。書き漏らした言葉を何度も相応しいと思う表現を当てはめては、入れ替えて、技術者として納得いく的確な説明ができるまで何度何度も書き直す。技術者が嬉々として技術を解説する、夢中で時間が経つのも忘れることもしばしばだっただろうな。建築書を眺めていると、見たこともない、記録もあまりないはずのヴィトルヴィウスのそんな姿が頭に浮かびます。
「建築書」はローマ崩壊後も継承されてきました。そして現代に「ヴィトルヴィウス」の名前が広く知られているのはレオナルド・ダ・ヴィンチによるところが大きい。
建築家でもあった万能の人レオナルドはルネサンス期に復刻された「建築書」に触れました。そしてその第三書の冒頭、ギリシア神殿建築の対称性とともに記された「人体の比率」に関する記述に感動して、自分の体を使って実際にその比率を確かめるように手稿に残しています。現在ヴェネツィアのアカデミア美術館に所蔵されるこの手稿は「ヴィトルヴィウス的人体図」として有名で、僕もヴィトルヴィウスの名前を知ったのはレオナルドのこの手稿がきっかけです。
建築とは総合芸術であり、神殿建築であってもそのバランスの中心は人体であって、人体のバランスが建築構造の基準となる。人が過ごす時の心地よさと機能を両立するのが建築家であり、さらにその場所、街や自然に溶け込みながら、美しく長く存在するのが理想の建物であると僕は思う。「僕は思う」と書いたけど、ヴィトルヴィウスはそんな理想の建築を実現するために十書を書き残し、それを実践してきた歴代の有名な建築家、また名もない建築家たちが残した作品を見て、僕がそれを感じ取っただけなのだろう。
ヴィトルヴィウスもまた、古代ギリシアの建築家、芸術家からそれらを感じ取ったひとりなのかも。。。