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コロッセオ2 そのデザイン

コロッセオを実際に間近でみると、その巨大さの割に重々しさや野暮ったさが感じられません。あれだけ見上げるような巨大な建物であっても、見た目の印象は重厚というよりむしろ軽やかですらあります。

 

◾️デザインの妙

その理由は大きく2つに分かれる(と僕は思う)。

一つ目:楕円のフォルム

円形闘技場(Amphitheatrum)は、ギリシアの半円形劇場をもとにローマ人が発明した建築です。日本語では「円形闘技場」といいますが、実際は円ではなく、美しい楕円形をしています。ラテン語の「Amphitheatrum」は直訳すれば「観客席に囲まれた劇場」なので、「円形闘技場」とは日本独自の、実際とはちょっと外れた呼び名なので注意が必要。

上から見るとよくわかる楕円形のフォルムのために、外からコロッセオを眺めるときはその場所によってその大きさの印象が変わります。場所によって最大(楕円長径)約188mの建物にも、最小(楕円短径)約157mの建物にも見える。これは日常的にコロッセオを目にする人々にそのサイズに対して、大きいような、それほど大きくないような、曖昧な印象を与えることになります。

 

二つ目:アーチと柱

外観上、コロッセオは4層構造となっており、その高さは48mにも及びます。地上1層目から3層目までは、水道橋のようなリズムのよいアーチの連続と、その間にある円柱の存在によって、巨大であってもその印象は軽やかです。さらにその上には、アーチの3層構造に蓋をするが如く、シンプルで機能的な4層目を戴冠します。4層目にはアーチの1/2の周期で四角い小さな窓が開き、天幕用の支柱の土台が外観のデザインに絶妙なアクセントを加えています。

今はコロッセオの外壁の半分くらいが崩壊してしまってますが、完成当時は1~3層はそれぞれ80のアーチと円柱がコロッセオ全周を取り巻いていました。また2層目、3層目のアーチには、これも今は失われていますが、ひとつひとつのアーチの中に、下の絵のように彫像が飾られていました。4層目に見られる針のような支柱は、観客席を覆う、日除の天幕を張るためのものでした。

◾️飾り円柱

デザイン的にアーチをつなぐ、コロッセオの円柱は本物ではなく、外壁面に浮き彫りにされた「飾り円柱」です。コロッセオの飾り円柱は各層ごとにギリシアの3つの伝統様式、神殿に用いられる様式が使い分けられています。

1層目はドーリア式と呼ばれる様式で、アテネパルテノン神殿に用いられているシンプルで重厚なタイプで「安定感」を演出します。コロッセオの最下層の1層目に使用するに相応しい。

2層目はイオニア式。少し小ぶりの神殿に用いられる様式で、軽やかな印象を与えます。黄金比に習った螺旋の渦巻きをもった柱頭が特徴的で2層目にぴったり。

3層目はコリント式。華やかに装飾された柱頭が特徴で、ローマの街で一番多く見かけるタイプは3層目に相応しい。

3つの特徴のある様式をうまく配置して、水平方向の軽やかさと、垂直方向の安定感を演出しています。

(4層目にもコリント式の柱っぽい浮き彫りが申し訳程度に施されていますが、衣装的な影響がほぼないため割愛しました)

*軽井沢で楽焼きした、オリジナル湯呑み

同じ建物の中に3種類の様式円柱を並べるとか、偽の浮き彫り円柱「飾り円柱」も、ギリシア人であればまず採用することはありません。ギリシア人は、建物を神様たちにも見てもらうために、人には見えない細部まで妥協せずに作り込む。彫刻も然りです。芸術作品としての観点からは、ローマ人による様式折衷や偽物の飾り円柱というのはちょっと邪道といえるかもしてませんが、ローマ人はそんなことお構いなしに、いろいろな解釈で新しいものを作り上げていきます。円形闘技場自体がそうであるように、コロッセオのこの外観もローマ人ならではの発明と言えそうです。

◾️黄昏

コロッセオは326年にコンスタンティヌス帝によって剣闘士の試合が禁止されて以降、一気に荒廃していきます。大観衆に包まれた剣闘士の戦いが行われなくなった後は、主にローマの新しい街の建物建設のための石切場と化してしまうのです。結果、その現在のコロッセオは外周の約半分がほぼ失われ(下図参照)、ふた周りくらい小さくなって内部構造剥き出しの可哀想な姿になってしまった。

その本来の機能を終えたコロッセオはローマの石材調達場所として利用され続けました。コロッセオを作っている石材「トラバーチン」は良質な石材として、ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院始め、今でもローマを覆う多くのルネサンス建築のために使われました。18世紀にローマ法王によって、コロッセオの保存を宣言されるまでの千年以上にわたり、石材調達場として利用されました。

現在のコロッセオ、外壁の石材を奪われてしまった部分の境界には、レンガで崩れないように補修され、その姿はとても痛々しい。

 

さらに完全に外周部が失われたところは内部構造が剥き出しになっていて、見るに耐えません。でも、反対側のほぼ建設当時の姿が残っている側と、反対側の内部剥き出し状態の姿によって、コロッセオの構造がとてもよくわかる。とてもよい教材であるという取り方もできなくはありません。

それにしても、この千年以上も石材奪われてきたのに、これだけ巨大な状態が保たれているということからもコロッセオがいかに大きいかが想像できると思います。。。

古代ローマギリシアの遺跡は、その崩れかけた様子が、見る者の想像力を掻き立ててくれるのです。廃墟であるからその価値がある、と言えます。でもコロッセオの場合はそれが当てはまらない、不思議なんですがそんな気がするんですね。コロッセオは帝国ローマの象徴的な存在で、それを崩したのは時間ではなく、どちらかと言えばキリスト教コロッセオの姿はそのローマ絶頂期の名残とその後にローマが辿った運命そのもの。

コロッセオの周りを歩きながら眺めるときは、古代ローマへの畏怖の念と、ローマの運命に対しての哀愁も入り混じった感情になりますね。

 

円形闘技場(Amphitheatrum)はイタリア半島だけでも163の街に建設され、アフリカ、中東、ヨーロッパ全土にわたって多くの都市に当たり前のように建設された当時とても身近な公共施設でした。その中でローマのコロッセオはその規模、その機能、バランスの取れた意匠面においてローマ世界の円形闘技場の頂点に位置します。

完成から二千年も経ち、大きく崩れた今ですらそのオーラは強く、首都ローマでその存在感を放っているのです。

 

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