cafe mare nostrum

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コロッセオ3 その構造

2000年前のローマ市民になったつもりでコロッセオの中に入ります。

とはいえ、2000年の時の流れは想像力では隠しきれず、かつてはピカピカだったであろう壁面はすっかり風化して、通路にはどこに使われていたのかもわからない石材が無造作に転がる、なかなかの廃墟でした。

表面上の古さは隠しようがないけれど、その基本構造である何重にもなるアーチ構造の連なりは2000年前からそのままの姿です。

そしていくつかアーチの層をくぐると、一気に視界が開け、観客席と闘技場(アリーナ)が現れます。

 

この景色は壮観です。

今はほとんどが崩れ落ちてしまっていますが、観客席の名残がぐるっと1周、360度にわたってあります。勾配をもって配置される観客席は、現代のスタジアムのお手本であり、上に行くほど勾配がキツくなる作りになっています。地上にいる僕に全周の観客席が覆い被さってくるような錯覚を覚えます。

実際に剣闘士はこちら側(フォロ・ロマーノと反対側)から闘技場に入場し、間近にいる皇帝に一礼したといいます。廃墟ではあっても、5万の観衆を飲み込んだ観客席です。ここに立つと試合前の剣闘士の緊張感が伝わってきそうです。

 

2層目に上がります。

全体の楕円のフォルムに沿って、通路も美しく円弧を描き、その両側を規則的なアーチがその構造を支えています。ここはコロッセオ現役当時は観客席に覆われて今のように空が見えることはありませんでした。この一角に昔は現役当時のコロッセオの再現模型が展示されているんです(いまもあるのだろうか)。

 

 

◾️観客席

コロッセオは無料で剣闘試合などを観戦できましたが、市民の階層によって入場できる席位置が決まっていました。闘技スペースに一番近い最下層には大里石の座席が設けられ元老院議員(貴族階級)が観戦していました。その上の層には騎士階級(経済界・富裕層)、さらにその上が職人や商人など上級市民とされた人々の席、その上は一般市民席。最上層には立ち見席が5千人分用意され、コロッセオは全部で5万人もの市民を収容できる大スタジアムでした。

人の動きを決める導線もよく考慮された設計がされていて、効率的に配置された出入り口と階段によって、何か起これば15分で5万人全てがコロッセオの外に出られる構造だったといいます。

 

◾️ARENA

学生時代、コロッセオの写真をみて腑に落ちない場所がこの競技場(アリーナ)でした。

こんなスカスカの場所でどうやって剣闘試合が行われたのか?、と。

楕円形をした競技場は縦79m横46m。いまは石材剥き出しで溝だらけ、地下2階くらいの6m深さがある下部構造剥き出しの姿はからはとても剣闘試合は想像できません。

コロッセオ現役当時は、地上レベルは地下構造の躯体上に「木の板」が敷き詰められ床となり、その上に砂が敷かれ、木の床を覆っていました。砂のことをラテン語で"ARENA(アレーナ)"といい、現在の「アリーナ」の語源となっています。

反対(南東)側にはコロッセオの外へ通ずる出入り口が見えます。こちらは「葬儀の門」と呼ばれ、剣闘試合で負けた剣闘士や猛獣たちが運び出される出口でした。

 

80年に行われた落成式の時にはこのアレーナに水を張り「模擬海戦」が行われました。

コロッセオには今も確認できる水道設備があります。もともとコロッセオは先帝ネロの黄金宮殿(ドムス・アウレア)の人工湖があった場所に作られていたので、この人口湖のための水道施設によってアリーナに水を引き込み、船を走らせて模擬海戦が行われたと考えられ、その時の様子を見た人がその興奮を書き残した記録がいくつも見つかっているとか。さっきまでの地面があっという間に水で満たされ、大きな船が何艘も登場した挙げ句、戦いを始めた様はコロッセオにいたローマ市民は度肝を抜かれたでしょう。

技術的にはローマ水道は豊富な水が流れていたでしょうから、アリーナを満たす程度の水の心配はいらない。でも板張りの床に水を張る、あれだけの地下空間があっての水張りも、ローマ人の技術者のことなのでよほど緻密に計算して、水漏れなどさせずにこの模擬海戦を執り行ったことが想像できます。

 

◾️舞台装置

アレーナの床は今はなく、当時のアレーナの様子は想像しづらい。地下に深く掘られ囲われたスペースは、猛獣の檻や剣闘士の控え室があり、また剣闘試合をより「エンターテインメント」にするための様々な仕組みが凝らされていました。

 

いま想像するのはなかなか難しいのですが、下の絵のような感じで、地下の構造体の間は木組みの構造体で埋められていました。そこには人力のエレベータ施設と、猛獣の檻、剣闘士の控室があり、それぞれエレベータに乗り地上のアレーナ表面へ躍り出るための仕組みが配置されていました。

アリーナにはこの人力エレベータ施設と床面からの登場口がいくつもあったと言われ、エレベータだけでも100近くが地下に隠れていたとか。剣闘試合の演出に沿って、どこからでも主役、脇役、敵役が登場できるようにコロッセオの地下は壮大な舞台装置と化していました。

ローマ市民にとっての剣闘試合は単なる殺し合いではなく、壮大な舞台装置によって演出されるエンターテインメントでした。それにローマ市民は熱狂する。命をかけた戦いは残酷で凄惨な場面もあったと思いますが、その本質は今で言えばスポーツ観戦に熱狂することと変わりないということですね。

 

◾️天幕

ローマの夏の暑さは厳しので、夏にはローマからローマっ子はいなくなり、観光客ばかりになる、と聞いたことがあります。確かに夏のローマはとても暑かった。所々にある泉で何度も水分補給しなければ、歩き回れないほどでした。

2000年前も夏の暑さは同じだったようで、コロッセオが現役のときは、観客席の上部には日よけのための「天幕」を張る仕組みがありました。コロッセオの外壁最上部に木製の支柱を立てそこにロープを張ってその上に船の帆の素材の天幕を貼ったと言われています。今は当時の外壁の最上層にこの天幕を張るための支柱を立てる土台が見られるのみ。

 

◾️ここまでやるか

コロッセオの構造は、アーチ構造を多用することと効果的な材料の選択によって建物そのものの強度や採光や人の導線が確保されています。さらに、日除の天幕システムや剣闘試合を演出するアリーナの地下構造、人力エレベータ、地上へのアプローチなどのエンターテインメント性の実現は現代のスタジアム顔負けで、「ここまでやるか」という仕組みが満載でした。

ローマのコロッセオはその外観の意匠的な特徴だけでなく、それまでにローマ各地に作られた円形闘技場の技術やノウハウなど全てがつぎ込まれた、100万人が生活する首都に相応しいローマ世界最高の円形闘技場でした。

 

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