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旅行の記憶と何気ない日常を

古代ローマ小話 パンとサーカス

パンとサーカス」という言葉、この耳に残るフレーズは一度聴いたら忘れません。そして「パンとサーカスによってローマ帝国は滅んだ」と、この言葉は堕落の象徴のように世の中に広まっていると思われる。実際僕も以前はそう思っていたし、おそらく今でもこの言葉を知っている人の大半がそんなふうに記憶しているんじゃないかと思います。

ラテン語で「Panem et circenses」。この「パンとサーカス」という言葉は、古代ローマの風刺詩人ユウェナリスという人物によって生まれました。ユウェナリスが生きたのは60〜130年。皇帝ネロの時代に生まれ、コロッセオの落成式が行われた時は20歳、その後五賢帝ハドリアヌス帝の時代に70歳で没している。幼少期にはローマは大混乱していたけれど、10代に差し掛かる頃には皇帝ヴェスパシアヌスコロッセオを建設始め、その後五賢帝のネルヴァ、トライアヌスハドリアヌスという皇帝が統治した時代を経て人生の幕を閉じるという、ローマ史の中でも最も安定した平和な時代に生きた人物ということになる。「パンとサーカス」は戦争の心配少ないパクス(平和)の中で生まれた風刺の一部。世相を表すとか事実を伝えるというものとは一線を画し、例えばカエサルを知るための重要な資料となった敵方キケロの手紙のようなものとは大きく異なるわけで、ユウェナリスはそう書いてはいても実際とは違う。あくまで「風刺」としての言葉でした。

しかし、言葉としての「パンとサーカス」は強力でした。とてもシンプルで軽妙、かつ覚えやすい。一度聴いたら忘れないくらいこの言葉には力があります。「平和な時代の風刺」という背景事情は抜きにして、そのフレーズのインパクトと、その後理由はさておき「ローマ帝国が滅んだ」という後世におきた史実が変な風に絡み合って、最後は「パンとサーカスによってローマ帝国は滅亡した」、ローマ帝国は国が施した無料のパンと無料の娯楽によって堕落したローマ人が、働く意欲をなくしたことで滅んだ、となる。なるほど。。。

 

実際の「パンとサーカス」はどんなものであったのかというと、、、

 

「パン」に相当するものは確かにタダで配られた。でもタダで配られたのは市民一人一人が死なないために最低限必要な量の小麦(パンの材料)でした。ローマでは小麦法という法律が制定され、ローマ市民が餓死するようなことがないように、生きるための最低量の小麦が配られていました。でも、飢え死にしないための最低量なので、働らかずに楽しく暮らすことはとてもできません。なのでこの配給があったローマ人がみんな働かなくなって、ぐうたらするようなことにはなりえない。

一方でこの小麦の最低量支給によって、帝政期ローマの時代は他の時代と比べても餓死者が格段に少なかったと言います。

 古代ローマのパン(ポンペイフレスコ画による)

 

「サーカス(Circenses)」も当時無料で提供されら。当時の娯楽としての「競技」を指し、コロッセオのような円形闘技場やチルコマッシモのような競技場などで開催される剣闘試合や猛獣対決、戦車競技などのことを指します。ローマでは昔から、権力者は戦勝や祝い事、有力者の追悼があると、自費で競技会を開いて市民に提供してきました。カエサルも非常に効果的に自費(借金)によるイベントを派手に開催していました。これは純粋に戦争が終わり平和になったことを市民知らせる役目だったり、権力者の人気取りの側面もあった。そしてもう一つ、権力者がこのサーカスを市民に提供する意味は、世論を知るためでもあったと言います。

 200年ころの剣闘士のモザイク画

いずれにせよ、権力者あるいは国として市民に娯楽を提供するものをサーカスと呼んだ。それを提供する場所は円形闘技場などのインフラです。コロッセオは巨大ではあるけれど収容できるのは5万人。首都100万人のローマで全員が参加できたかわからないし、そもそもイベントの好みの問題もあるだろうから、無料だとしても全員が観にくるとは限らない。当時の市民にとってのメジャーな娯楽といえば、剣闘士が命をかけた試合、猛獣との戦いだったわけですが、今からするとこれらは残忍な見せ物ではあるものの、当時の感覚からすると、今で言う「格闘技イベント」という感じだったかもしれません。いまでも格闘技を見にいく人、サッカーを見にいく人、いろいろな好みがあるように「無料であっても見に行かない」という市民も大勢いたでしょうし、そもそもこれらで市民が堕落するのかどうかは疑問です。

 

僕は20代のころから古代ローマを深く知るようになって、この「パンとサーカス」という言葉の怪しさを感じるようになりました。

パンとサーカス」という言葉の意味が変に誇張されて広がった一番の理由は、「パンとサーカス」という言葉の力、軽妙で脳に残りやすいフレーズによるところが大きいと思われる。その後のローマ滅亡という史実から、後世の評論家たちが短絡的な理解に絡めて「パンとサーカス」という言葉を使ったために、中身はともかくその言葉の力によって間違った解釈が広まってしまった。と、こんな構図と考えられます。

 

実際のローマ世界の滅亡は「パンとサーカスで市民が堕落したから」というわけはなく、もっと複雑でさまざまな出来事が長い時間をかけて絡み合った結果によるもの。その情報が何によるものか、何を意図するものかよく吟味しなければ物事の本質には辿り着けませんという非常に顕著な例のように思えます。

もちろんこのことは「パンとサーカス」に限らず何事においても、という話ですね。

 

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