cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

コロッセオ0 圧倒される

ある夏の暑い日、僕が初めてローマを訪れたとき、まず最初にカンピドリオの丘に登りました。麓から、美しい階段のような坂道「コルドナータ(Cordonata)」を登って、ミケランジェロがデザインした広場に入り、さらにルネサンスの建物の間を抜けた時、視界がパーっと開けて、丘の上から眼下に広がるフォロ・ロマーノの壮大な姿が広がったんです。これが僕が見た最初の古代ローマの姿で、この時すでに、僕はローマの街の虜になってしまった。でも、そのまま左の方へ降りて大通りで見た光景は、フォロ・ロマーノのそれを遥かに上回るものでした。

僕が見たのは「大通りの向こうにコロッセオ」。この景色が目に入った瞬間、頭に浮かんだ言葉は「なんだ⁉︎コレは⁉︎」でした。こんな言葉しか浮かばない、そんな状態です。もちろんそれがコロッセオであることはわかったのですが、それでもやっぱ頭をよぎったのは「なんだ⁉︎これは⁉︎」で、その衝撃たるやフォロ・ロマーノを軽く超えるものだったのです。

ローマでの街歩きは、あちこちで、大小織り交ぜ様々な古代ローマの遺跡が突然現れるという驚きの連続です。そんなローマにあっても、特大級の衝撃を受けるのがこのコロッセオ(コロッセウム)です。一部をのぞいてフォロ・ロマーノや皇帝たちのフォロといった貴重な遺跡群はほとんどが崩れてしまって原型を残さないものがほとんどなのに対して、コロッセオは一部ではあっても当時の姿を留めており、その巨大さと美しさとその佇まいに僕は圧倒されたのでした。

そして、この大通りはフォリ・インペリアーリ(Fori Imperiali)通りと言い、ムッソリーニコロッセオをバックに軍事パレードをしたいがために作った道です。ムッソリーニはこの絵面を得るために、貴重な「皇帝たちのフォロ」の遺跡をつぶしこの道を作りました。このために「カエサルのフォロ」や「アウグストゥスのフォロ」などの結構な部分を潰されてしまったのは全くもって許せない。だけどこの道の向こうにコロッセオがそびえる見事な様は確かにスゴイ。ムッソリーニの気持ちもまあ、わかる。ちょっと複雑な気分になります。

 

ここに立つと人も車も古代ローマの世界に吸い込まれていくように見えます。

そして吸い込まれるように自分もコロッセオに近づいていく。その構造がよく見えてくる。そしてその巨大さにさらに衝撃を受けるのです。

無数のアーチがリズムよく並び、それが3層重なっている。さらにその上の4層目はこの建物を落ち着かせるような視覚効果となって外観の安定構成している。この辺のローマ人の美意識も僕がローマが好きな大きな理由。そして近くで見るコロッセオは僕の想像を嘲笑うように、遥かに巨大。ただただ圧倒されます。

 

そして、ぐるっと一周コロッセオを巡ってみると、2000年の時を経た痛々しい姿が現れます。外側にそって歩いていくと、途中で威風堂々とした外観が途切れます。そこからは始まる、崩れてふた回りほど小さくなった反対側の姿は、まるで自分の内臓を晒すがごとくの痛々しいものです。

でもコロッセオのその威容は、崩れてしまってもなお衰えることはありません。崩れた部分も覆い隠すようなオーラを感じます。完成してから2000年もの時間が過ぎているにも関わらず。。

この時、コロッセオの姿に圧倒された僕は、ただ呆然と円弧を描く高い高い外壁を見上げるばかりでした。

cmn.hatenablog.com

 

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com