フォリインペリアリ通り(Via dei Fori Imperiali)
フォリ・インペリアリ通りはヴェネツィア広場からコロッセオまで延びる大通りです。「フォリ・インペリアリ」とは「皇帝たちのフォロ」。その名のとおり、通りをはさんだ一帯はローマの皇帝たちが築いた多くのフォロ(公共広場)が残る場所です。
道の両脇に緑地を配して、そこにはローマの歴代皇帝の像が点在します。ヴェネツィア広場から通りを行くと、右にカエサルのフォロとフォロ・ロマーノ、左にはトライアヌスやアウグストゥスのフォロ、そして正面には威風堂々コロッセオが見える。
こんなシチュエーションは世界中探してもまずないだろうし、現代のローマでも最も誇られる通りだろうと思います。
ローマの版図を示すプレートはフォリ・インペリアリ通りに面して掲げられ、パラティノの丘に生まれた小さな国ローマがかつてはヨーロッパ世界のみならず、エジプトなどアフリカ、中近東までをすっぽり包む大帝国だったことを誇らしげに語っています。
フォリ・インペリアリ通りの両脇にはローマ皇帝たちが残したフォロの遺跡、正面にコロッセオ。こんな贅沢な道は世界中探してもないだろうと思います。実際ここを歩くと古代ローマの壮大さを実感することができるのです。
しかしこの道は、多くの皇帝たちのフォロの貴重な遺跡を半分くらいを埋め立ててつぶした形で作られた、言ってみれば「皇帝たちのフォロをつぶす通り」。
そもそも「フォリ・インペリアリ通り」がなぜできたかといえば、第一次大戦後にファシスト・ムッソリーニが、「ローマの壮大な遺跡をバックに軍事パレードをしたい」ために作られたのです。この計画ではカエサルのフォロはじめ、皇帝たちのフォロの遺跡の大半が道の下に埋もれることになってしまう。
当時、建築家ル・コルビジェは遺跡を守るため、遺跡を埋めて道を作るのではなく、橋を渡すべきと進言しましたが、ファシズムのプロパガンダのためにその案は却下されてしまいました。
2世紀トライアヌスがフォロを完成して皇帝たちのフォロは完結し、首都ローマは世界でもっとも華麗な街となりました。
やがてローマ帝国が歴史舞台から姿を消すと、壮麗な遺跡群は新たな文化のための建築資材源として活用され、破壊され忘れ去られた。あの巨大なコロッセオですら現在残る姿は完成当時の1/3程度といわれます。長い歴史を通じての栄枯盛衰にならい、崩れていくのは仕方のないこと。
でも、歴史遺産の価値よりも自己の威信のために無頓着に貴重な人類の遺産をつぶしてしまうのは実に愚かです。