古代ローマ
ここがまだ「ビザンチウム」と呼ばれていた頃、230年にローマ皇帝セプティミウス・ウェルスがこの場所にローマ戦車競技場を作りました。ギリシア語で「ヒッポドローム (hippodrome)」と呼ばれ、四頭立て馬車による戦車競技(いわゆる競馬)、剣闘試合のほか、…
鉄の拘束具をつけられたような大きな円柱があります。僕は最初、これがコンスタンティノープルを攻略した後のオスマントルコが、東ローマを手中におさめたことを示すために行なったデモンストレーションなんだろうか、と思っていました。でも実際にはこの円…
Yerebatan Sarnıcı アヤソフィアとは道挟んだ向かい側の小さな入り口があります。ここから地下に降りていくと、かつてのコンスタンティノープルの地下貯水槽があります。コンスタンティノープルには60ヶ所に地下の貯水槽があるといいます。過去幾度かのコン…
2022年5月29日にローマを扱い始めて3年とちょっと、僕は大好きなローマの街に浸りました。古代ローマの歴史と魅力的な人々、そして素晴らしい建築(遺跡)を追体験して旅行してた時より旅行を楽しんでるような、そんな時間を過ごしていました。 映画「ローマ…
Piazza della Repubblica/ 共和国広場 夜ローマについて、時差ぼけと豪雨で一睡も出来なかったあの日。太陽が昇るはるか前に活動開始、真っ暗なローマの町に出ました。そして最初に出かけたのがこの年の宿のすぐそばにあった「共和国広場」でした。 半円形の…
昔ローマを訪れた人々は、長い旅路の先に見えるそれぞれのローマを見つけて、ローマについたことを実感したと思います。例えばフラミニア街道で北からローマに入る人は、今はポポロ広場になっているフラミニア門が見えた時にローマに着いたと実感するだろう…
僕は無神論者です。神社で初詣をして、死ぬ時は多分仏教のお寺の先祖代々の墓に入る。何かあれば「神様仏様」を唱え、都合の良い時に、都合の良い自分の神様を作ってはお願い事をする。家に神棚はないけどお守りは置く。。。。信心深くない典型的な日本人な…
「古代ローマはゲルマン民族の大移動によって滅ぼされた」 まだ歴史をよく知らない小学校の頃か中学の頃、教科書か何かで「ゲルマン民族の大移動」というフレーズを初めて知りました。ちょうどその頃、人気プロレスラーのブルーザー・ブロディがレッドツェッ…
古代ローマの終わりははっきりしないと言われます。いつからいつまでがローマなのか?いろいろな捉え方があるようです。 始まりは笑ってしまうくらいはっきりしています。ローマ建国は紀元前753年4月21日。雌狼に育てられた双子の兄弟ロムルスとレムス。その…
キリスト教国家としてのローマが始まり、 古代ローマ世界が終わりを告げる。 皇帝テオドシウスによって、一瞬の間分割されていたローマが再び統一されました。しかしテオドシウスがキリスト教を国教と定めた結果、キリスト教徒となった皇帝は国家の最高権力…
僕はコンスタンティヌス一家と縁があります。 コンスタンティヌス一家とは、大帝コンスタンティヌスとその3人の息子、長男コンスタンティヌス2世、次男コンスタンティウス、三男コンスタンス。 大帝コンスタンティヌス1世といえば、史上初めてキリスト教を…
コロッセオのすぐそばにあるのが大帝コンスタンティヌスの凱旋門。 315年にコンスタンティヌス帝即位10周年と312年の戦勝(内戦で西方正帝マクセンティウスを破った)を記念して、元老院とローマ市民が建ててコンスタンティヌスに寄贈たものです。 それはコロ…
4世紀に入って、おそらく転がり落ちるりんごを拾い上げる最後の皇帝が現れます。4分割統治に終止符を打ち、その後のローマの形を定義することになる大帝コンスタンティヌス1世とその一族です。 大帝コンスタンティヌス1世はローマを大きく作り替えます。作…
軍人皇帝が目まぐるしく入れ替わる混迷からなかなか抜け出すことのできないローマに大きな転換期が訪れます。 近衛軍団の統括者だったディオクレティアヌスが皇帝になったことによって、ローマ帝国の混乱は沈静化することになります。そして帝国を4分割して…
セプティミウス・セウェルスのあとに皇帝となったのはカラカラとゲタ。ともにセプティミウス・セウェルスの息子であり、マルクス・アウレリウスからコンモドゥスへ継承されたのと同じく血の継承が行われ、さらに、継承された息子が結果的に暴君となってしま…
哲人皇帝マルクス・アウレリウスが病死、その息子コンモドゥスが皇帝となってからローマはおかしくなっていく。ローマ帝国が坂道をリンゴが転がり落ちるように衰退していく時代が始まってしまったのでした。そんな中でも時折、その坂の途中で足を踏ん張りり…
僕の職業は会社員です。なにをやっているかと言えば光を扱うエンジニア。今は元エンジニアの事業部門を預かる管理職なんだけど、自己紹介するとしたら「エンジニア」であることを強調します。今何をやっていてもエンジニアである(あった)ことの誇りというか…
現サンタンジェロ城(ハドリアヌス霊廟)には五賢帝の5人目の皇帝マルクス・アウレリウスも埋葬されています。今回は皇帝マルクス・アウレリウスのお話です。 皇帝になるずっと以前から、マルクス・アウレリウスはギリシア哲学に傾倒します。中でも自然の中…
サンタンジェロ(Saint Angelo)は「聖なる天使」を意味しており、大天使ミカエル(Saint Michel サン・ミシェル)を指します。 16世紀の疫病の大流行からローマを救うために、ハドリアヌス霊廟に大天使ミカエルが降り立ったという伝説によって、ハドリアヌス…
現在サンタンジェロ城(イタリア語:Castel Sant'Angelo)と呼ばれるこの建物はもともとローマ帝国の五賢帝の一人ハドリアヌス帝の霊廟 (ラテン語:Mausoleum Hadriani)でした。 皇帝ハドリアヌスが自分自身とその後に続く皇帝たちのための霊廟として、135年…
映画「ローマの休日」のクライマックスとなるのが、現在ではサンタンジェロ城と呼ばれるここ、ハドリアヌス霊廟です。この場所がアン王女の「希望」の最後の場所となるのでした。記者のジョー、カメラマンのアーヴィンと共にサンタンジェロ城の前の桟橋で、…
コンドッティ通りを進むとその突き当たりに、競り上がる丘の斜面に面したちょっとした空間が広がります。宮殿のような階段と椰子の木(?)の姿は南国の雰囲気を醸します。ここ、スペイン広場(Piazza di Spagna)に入ると、まずベルニーニの船の噴水が迎えてく…
ポポロ広場からコルソ通りをフォロ・ロマーノに向かって南下すると、コンドッティ通り(Via dei Condotti)にぶつかります。そこを左に曲がってまっすぐ行くとスペイン広場に行き当たります。 このコンドッティ通りは元々古代ローマの時代に「庭園の丘」と呼ば…
ポポロ広場(Piazza del Popolo)はローマの中心部の北に位置する楕円形の美しい広場です。 「ポポロ広場」のポポロ(Popolo)はイタリア語で「市民」を意味するので、「市民の広場」と言うことになるのだけど、実際の名前の由来はこの広場の北東にあるサンタ・…
フォロ・ロマーノのど真ん中に現在まで残っている神殿、その名前となっている「アントニヌス・ピウスとファウスティナ」。今回はこの夫婦のお話です。 古代ローマ史上最も平和な時代だった五賢帝の世紀。その中でも優れた皇帝として特筆されるのが、トライア…
トレヴィの泉から歩いて5分くらい、上り坂を登ったその先の小高い丘の上に閑散とした広場と宮殿建築が現れます。エジプトのオベリスクの立つこの場所は「クィリナーレ広場(Piazza del Quirinale)」と言い、左の建物は「クィリナーレ宮殿(Palazzo del Quirina…
カエサルはアウグストゥスにとっては母の従兄弟=大叔父に当たります。寛容を旨として、誰とでも気さくに接し、ユーモアを絶やさない、ハゲの女ったらしで、エピキュリアン(快楽主義者)を貫いたカエサルに対して、アウグストゥスはといえば、真面目一徹。 風…
トレヴィの泉につながるヴィルゴ水道をローマに引いたのは、アグリッパという人物。 アグリッパがヴィルゴ水道を引かなければトレヴィの泉は存在しなかったかもしれません。それ以前にアグリッパがいなかったら、ローマ帝国の歴史はなかったかもしれません、…
昼間は絶え間なくたくさんの観光客が押し寄せるトレヴィの泉。その盛況ぶりは夜も変わりません。 イタリアを初めヨーロッパの街の夜のライトアップというのは、どこもとても綺麗です。その建物やモニュメントの特徴を活かしたライティングは景色が綺麗の見え…
トレヴィの泉といえば、泉を背にしてコインを投げ入れることで願いが叶う、という有名な言い伝えがあります。一体いつからどうやって「コインを投げると願いが叶う」ことになったのかは、はっきりした記録がないようです。 313年に皇帝コンスタンティヌスに…