cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

古代ローマ

古代ローマ小話 ヴィトルヴィウスの建築書

ヴィトルヴィウスがローマンコンクリートの秘密を記したことを、僕はコロッセオ4で書きました。このヴィトルヴィウス(Marcus Vitrvius Pollio B.C.80頃-B.C.15頃)に関する記録はほとんどなく、何年に生まれ何年に亡くなったのか、どのような人生を過ごした…

コロッセオ4 その材料

72年にヴェスパシアヌス帝によって始められたコロッセオの建設工事は、その長男ティトゥス帝に継承され、80年にほぼ完成し落成式が行われました。その後、次男ドミティアヌス帝が行った工事は最上層の座席の整備と、天幕システムなので、実質的にコロッセオ…

古代ローマ小話 パンとサーカス

「パンとサーカス」という言葉、この耳に残るフレーズは一度聴いたら忘れません。そして「パンとサーカスによってローマ帝国は滅んだ」と、この言葉は堕落の象徴のように世の中に広まっていると思われる。実際僕も以前はそう思っていたし、おそらく今でもこ…

コロッセオ3 その構造

2000年前のローマ市民になったつもりでコロッセオの中に入ります。 とはいえ、2000年の時の流れは想像力では隠しきれず、かつてはピカピカだったであろう壁面はすっかり風化して、通路にはどこに使われていたのかもわからない石材が無造作に転がる、なかなか…

コロッセオ2 そのデザイン

コロッセオを実際に間近でみると、その巨大さの割に重々しさや野暮ったさが感じられません。あれだけ見上げるような巨大な建物であっても、見た目の印象は重厚というよりむしろ軽やかですらあります。 ◾️デザインの妙 その理由は大きく2つに分かれる(と僕は…

コロッセオ1 なぜコロッセオか

イタリア語:コロッセオ(Colosseo),ラテン語 :コロッセウム / Colosseum)。 学生時代の歴史の教科書に出てくる2000年前の、5万人を収容する円形闘技場です。などという説明など不要な、おそらく世界でもっとも有名な古代建築の一つ。古代ローマのことは知らな…

コロッセオ0 圧倒される

ある夏の暑い日、僕が初めてローマを訪れたとき、まず最初にカンピドリオの丘に登りました。麓から、美しい階段のような坂道「コルドナータ(Cordonata)」を登って、ミケランジェロがデザインした広場に入り、さらにルネサンスの建物の間を抜けた時、視界が…

コロッセオ 目次

学校で歴史の教科書に必ず載っていた古代ローマの遺跡。だれもが知っているであろう有名な遺跡は、巨大で、美しく、そしてローマの技術の粋を集めた逸品でした。コロッセオを初めて見た時の衝撃から、コロッセオにまつわる様々を綴っていきます。 cmn.hatena…

ちょっとローマ史9 歴代皇帝

帝政期の歴代皇帝をまとめはじめて、最初は大雑把につくろうと思っていた皇帝リストは、最終的に東ローマ帝国が滅亡する最後の皇帝まで、約1400年分のすべての皇帝170名ほどの名前を連ねることになりました。 在位期間は様々で、アウグストゥスのように44年…

ちょっとローマ史8 共和政から帝政へ

約500年続いた共和国ローマは、カエサルによってローマ帝国へと生まれ変わります。多くの人々が信じた共和政は国家ローマそのものの進化に対応できず、その役割を終えることになりました。 カエサルの死と、後を継いだオクタヴィアヌス(アウグストゥス)の巧…

カエサル34 エピローグ

カエサルを書き出して、気がついたら1年半ほどが過ぎていました。さらっと書こうと思って、ここまでずいぶんはしょってきたつもりでしたが、カエサル関連の記事は50、カエサルだけで8万字くらいの文字を費やしたみたいです。 正直とても驚いているのです。な…

カエサル小話 言葉の選択

忘れられない、忘れてはいけないカエサルの言葉たちを。 「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちででしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで、避けねばならない」 塩野七生著「ローマ人の物語Ⅳ ユリウス・カエサル ル…

カエサル小話 カエサルと現代

カエサルと現代のつながりをいくつか。 ◾️暦カエサルと現代のもっとも身近な接点といえば、暦。誰もが耳にした事のある「ユリウス暦」は、カエサルが、それまで使っていた太陰暦を見直し、エジプトの天文学者とギリシアの数学者に新しい暦(太陽暦)を考案させ…

カエサル33 カエサルのいないローマ

カエサルのいないローマでは、「第2次三頭政治」が始まります。オクタヴィアヌスとアントニウス、それにレピドゥスによる三頭政治なるもの。その目的は反対勢力の壊滅というから、カエサルの時の三頭政治とは趣がずいぶん異なります。 アントニウスとオクタ…

カエサル小話 アンチ・キケロ

マルクス・トゥッリウス・キケロ(Marcus Tullius Cicero, 紀元前106年〜 紀元前43年)。ローマ共和政末期を代表する政治家であり文筆家、哲学者であり弁護士でもありました。 キケロはラテン文学の手本とされるたくさんの著作を生み出し、カエサル以上に現代…

カエサル32 大彗星

カエサルが亡くなって遺言状が公開されたとき、第一相続人のオクタヴィアヌスはローマにはいなかった。カエサルのパルティア遠征に同行するためにカエサルがつけてくれた忠実で有能なアグリッパと共にギリシアのアポロニアにいました。オクタヴィアヌスは忠…

カエサル31 遺言

カエサルが暗殺されたあと、 3月16日にカエサルの家で身近な者たちだけが集まり、カエサルが書いた遺言状の存在が明かされ、その場で開封することとなりました。 その場に集められたのは、カエサルの近親者に加え、カエサルの側近、そして執政官アントニウス…

カエサル小話 ”ブルータスよ、お前もか”の誤解

ブルータスよ、おまえもか。。 カエサルの最後の言葉とされるのが、この言葉「ブルータス、お前もか(Et tu, Brute?)」。1599年、シェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー(The tragedy of Julius Caesar)」でこのセリフが使われ有名になったと言われ、シ…

カエサル30 Idus Martiae再び

Idus Martiae(3月15日)、カエサルは暗殺されました。 シェイクスピアは「ジュリアス・シーザー」で元老院議会の会場に到着したカエサルと、「3月15日の不吉」を唱え続けた占い師にこんなやりとりをさせている。 シーザー:「3月15日は来たぞ」 占い師 :「…

カエサル小話 王とカエサルと皇帝

ローマ最高の力を持って終身独裁官に就任したカエサルに対して、ローマの人々は、カエサルが「王」になるのではないかと疑いを持ち始めます。歴史的に「王」や「独裁」に強烈なアレルギーをもつローマ市民は、「終身独裁官」となったカエサルに対して心のア…

カエサル小話 ガリア戦記と内乱記

ガリア戦記と内乱記。 今では「ガリア戦記」「内乱記」として本屋に並ぶ名著ですが、もともとはカエサルが本国ローマへ報告書として書き、刊行されたものです。カエサルのこれら報告書は、その洗練された文章からラテン文学の最高傑作として、刊行当時から絶…

カエサル小話 アンチ 元老院最終勧告

カエサルがさまざまな改革を行った事柄の一つに「元老院最終勧告の廃止」があります。今回はこの元老院最終勧告についてのお話です。 500年つづいた共和制=元老院体制は優れた政治体制ではあったのだけど、広大になったローマを統治するのは限界でした。 ロ…

カエサル小話 カエサルの右腕

カエサルが帝政国家への改造に着手した直後、ユリウス暦が適用されてまもなくの紀元前45年3月「ムンダの会戦」という戦闘が起きます。このムンダの会戦は元老院派の残党との戦いで、元老院派を率いて散ったのはカエサルの元側近、側近中の側近、「カエサルの…

カエサル小話 ユリウス暦と7月

カエサルと現代、実はたくさんの接点があります。そのもっとも身近な接点といえば、暦といえるでしょう。 内戦が終わり、まずカエサルが導入したのが暦の改訂でした。 当時ローマ世界が使用していた暦は月の満ち欠けを基準にした「太 陰暦」で1年は12ヶ月で3…

カエサル29 パクスロマーナと帝政

カエサルは新しい国づくりに向けて、一気に事を進めていきます。 内戦が終わってから、一つ一つを対処していったのではなく、内戦を進めながら同時にあらゆる改革の準備を進めていたかのように、言葉通り「一気に」さまざまな事柄がほぼ同時に進んでいくので…

カエサル28 禿げの女ったらし

カエサルがタプソスで勝利して、ウティカ(現チュニジア)に入城したことで実質的に内戦が終了します。まだ未踏だったコルシカ島とサルディーニャ島を経由して首都ローマに帰還してから僅か10日後、カエサルのこれまでの戦功に対するド派手な「凱旋式」を執り…

カエサル27 来た見た勝った

ナイルの船旅を終えて、カエサルは内戦の仕上げにかかります。 というとまず元老院派の残党から、と思いがちですが、まず小アジアへ向かい、カエサルの腹心が制圧に手こずっていた、ポントス王ファルナケス2世を抑えに行きます。ポントスはローマ世界の西、…

カエサル26 お家騒動

アレクサンドリアでポンペイウスの死を知った後、カエサルはアレクサンドリアでプトレマイオス朝の内紛(お家騒動)に巻き込まれます。 ローマと良い関係を保ってきた先王のプトレマイオス12世が紀元前51年に65歳で亡くなった。先王の遺言では、 ・姉クレオパ…

カエサル 25 アレクサンドリアで、

「アレクサンドリアで、ポンペイウスの死を知った」 "Alexandriae de Pompei morte cognoscit" カエサルがアレクサンドリアに到着すると、カエサルのもとには香油漬けになったポンペイウスの生首が届けられたのでした。そのときカエサルは涙を流した、と後世…

カエサル24 東へ!

カエサルはブリンディシからギリシアへ渡り、歴史に刻まれる2つの戦いを展開します。現代に生きる僕たちは、この出来事について当たり前のように、カエサルが勝ち、ポンペイウスが負けた歴史として知っているわけだけど、紀元前48年の当事者にとっては、カエ…