cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

ホメロスのトロイへ

シュリーマンが求めた、ホメロスが叙事詩の中で謳ったトロイアがこの第Ⅵ市(といわれる)。城壁の一部が人為的に破壊されていること(巨大な木馬を城壁内に入れるために城壁の一部を破壊したというくだり)、この層からギリシアやミュケナイの武器がたくさん出土されたことから、この時代にギリシアとの戦争(トロイア戦争)行われたと分析され、この第Ⅵ市が伝説のトロイアの街であるとされています。

というのは25年前の現地資料によるもので、現在ネットで調べたりすると、第Ⅶ市の遺跡で火災の跡が発見されたなど、第Ⅶ市がホメロスのトロイアであるとする説があるらしい。でもここでは当時の状況に沿って第Ⅵ市を伝説のトロイアということで話を進めます。

◾️ホメロスのトロイ(第Ⅵ市 BC1800-1275)へ

トロイの遺跡の見学コースはいきなりクライマックスを迎え、伝説の街「トロイ」へ、第Ⅵ市の遺跡へとゆっくり近づきます。写真の左手は第Ⅵ市の城壁で、手前の突き出た部分は防衛の要「東の塔」の基壇部分。

この石積みは3500年も前のものとは思えないほどとても精緻です。

*25年前に現地で購入したガイドより

 

下はトロイ第Ⅵ市の見取り図。上の写真の城壁に沿って奥に続くのが東門。

*25年前に現地で購入したガイドより

 

◾️第Ⅵ市の建設

この第Ⅵ市は、第Ⅴ市までのトロイの街を形成してきた人々とは違う文化を持った人々が建設をしたと言われます。それは第Ⅵ市の層からそれまではなかった馬の骨が大量に発見されたことをきっかけに、馬を飼い、戦車に乗り、青銅の武器を使いこなし、堅固な要塞を築く精緻な建築技術を持った人々であることが考古学的に分析されました。またホメロスの叙事詩の中でトロイア人は「馬を馴らす人々」と形容されていることから、このころアナトリア(トルコ一帯)にあった超大国ヒッタイトの人々がトロイ第Ⅵ市の主であると考えられています。

この人々は新たに大きな城壁を築いて要塞風の街を建設し、その防衛能力は非常に高くギリシア連合軍が10年かかっても落とすことができなかった強固な都市となったのです。

*25年前に現地で購入したガイドに掲載された第Ⅵ市の想像図

◾️古代最高の防衛システム

ここから遺跡内部へと入っていきます。古代の城壁にはさまれた道は、左に折れ先が見えない。防衛的に狭い道によって大軍が一気に侵入することができず、城壁の上から敵を仕留めることができる作りで、さらに先が見えない構造は侵入する敵の勢いを削る、攻める側にとってはとても嫌な作りです。

この東の塔から東の門へ続く東側の防衛は古代世界の要塞で最高峰と言われているそうで、手や足を引っ掛けることもできない城壁の石積み、上から睨みを聞かせる東の塔、どんな大軍でも対処できる東の門ギリシア連合軍が10年かけても攻め落とすことができなかったというのも納得です。

東の門は防衛のために作られたトロイアの中でもとても重要な場所だったことがうかがえます。ホメロスがイリアスの中で謳う「ダルダノスの門(英雄たちが戦場へ出て行く門)」がこの東門だとする学者もいるという。

 

東の門を抜けた先、少し高い場所に住居が多く構えられ、トロイア第Ⅵ市は強力な城壁にとても強固に守られていた安全な都市でした。

 

 

 

 

◾️最盛期

もともとダーダネルス海峡の門番としてトロイアは栄えたと言われています。ホメロスのいう「流れの激しいヘレスポントス」を行くために、各国の船は追い風を待ってトロイアにとどまる。自然と異国との交流は盛んになり、実際に遺跡からは周辺の国々の陶器なども発掘されており、貿易が盛んな街だったことを裏付けています。とくにクレタやキプロス、エーゲ海の島々、ギリシア本土のものが多く出土し、ギリシアとのかかわりも深かったといいます。

200 x 120mの堅固な城壁の内部には1000人その外にはさらに5000人の人々が暮らしていたと考えられており、漁業、農業、畜産、織物業、金属加工などさまざまな産業が発達していたことを想像させる多くの遺品も発掘されています。

この第Ⅵ市の時代が、街としてのトロイ最盛期でした。

 

◾️されど石積み

トロイの木馬の物語、叙事詩イーリアスで語られた伝説と御伽噺でしかなかったトロイの街の遺跡が見つかった。9つもの都市が折り重なる遺跡はそれぞれ石積みが残っているだけで、ここに都市があったことは間違いないのだけど、「トロイ」の名前が刻まれているわけでもなく、ここが本当にトロイの街だったのか、ここで木馬作戦が実際に行われたかどうかは正直証明のしようがない。だけど、ここはかつてのトロイの街で、たくさん折り重なる遺跡の一つ(第Ⅵ市)は伝説のトロイなのだと、発見者の情熱と考古学上の分析が認定して世界遺産にもなっている。この何気ない石積みの存在が過去の伝説を史実に変えたわけです。

またこの石積みは、トロイの王子パリスとスパルタの王妃へレネとの恋の略奪劇により始まったトロイア戦争の10年目に、ギリシアの木馬によってトロイア(第Ⅵ市)は滅んだこと、そしてその時わずかに逃れたトロイ人の末裔がイタリアに辿り着きローマを築くことを静かに物語ってくれる。

古代ギリシアやローマであれば、事細かな歴史資料が残されていて、いつ誰がどこで何をしたまでが詳細に追えるのだけど、トロイに関しては資料と言えばホメロスの叙事詩、その後数百年後に書き残されたいくつかの書物くらい。それゆえに現地トロイ遺跡でこの石積みたちを前にすると、この石積みたちが雄弁に自分たちの物語を語りだす、そんな感覚に陥るのです。

冷静に考えれば、どこまでが本当の話でどこからが作り話かその境もよくわからないところはあるけれど、それでいいのだと僕は思う。だから歴史は面白い。

 

cmn.hatenablog.com

cmn.hatenablog.com