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旅行の記憶と何気ない日常を

トロイの遺跡

「トロイア陥落」の報は狼煙によってエーゲ海を駆け抜けて、ギリシアへと伝わりました。見晴らしの良い丘の上や山の上に置かれた中継地点で狼煙を次々に焚いていくことによって、アカイア(ギリシア)とトロイ(イリオン)との間で10年続いたトロイア戦争の終焉が一気にギリシア本国に伝わったといいます。これが紀元前1200年頃(諸説あり)。

トロイア陥落から400年ほど経ったのち、紀元前8世紀にホメロスによって書かれた叙事詩「イーリアス」によって、トロイの街が後世まで伝えられることになりました。

神々と人間が混在する叙事詩の世界、そこで展開されたのは10年にわたるトロイア戦争のうち終盤のほんの数週間。そんな伝説と思われたトロイアの街が、1870年にドイツの「素人考古学者」シュリーマンによって発見されたのでした。ただの作り話と思われていたトロイの遺跡が、シュリーマンのその有り余るほどの熱意と執念によって発見されたのです。神話か伝説か御伽噺かそんなトロイの街とトロイの木馬の物語がこの場所で「史実」となり、今は考古学上の貴重な遺跡として保存され公開されているのです。

◾️トロイの場所

現トルコ共和国のアジア側の西の果て、ダーダネルス海峡の入り口近くのエーゲ海に面した場所、そこから内陸に少し入った場所に位置する辺鄙な農村地帯、そこに伝説の街トロイの遺跡は存在します。

 

トロイの遺跡は1998年に世界遺産登録されました。

世界遺産のプレートの横に遺跡を説明した図があります。

今は海が遠くまで後退してしまったけれど、ここにトロイの街があったころは海岸線がすぐそこにあり、エーゲ海からダーダネルス海峡を経て、マルマラ海、そして黒海へと多くの人や船が往き来する、古くからその要衝として人々が集まる、ここはそういう場所でした。そしてトロイの最初の街のおこりは紀元前3000年と言われ、その後さまざまな時代に、異なる民族による九つもの街が盛衰を繰り返し折り重なるようにこの場所にある。なのでトロイの遺跡はとても複雑です。

現在のトロイの遺跡のほとんどは、わずかに街の基壇や城壁の一部がのこる「廃墟」にすぎないのだけど、時代の異なる九つの街が折り重なった歴史のぎっしり詰まった廃墟は、僕の想像力を激しく掻き立てるのでした。

*トロイの9つの街の重なりを説明する現地のパネル。右に飛び出しているのはホメロスのトロイと考えられている第6市の想像図。

◾️伝説の木馬

トロイの遺跡の入り口に立つ「木馬」は1974年にオリジナル(?)に忠実に復元されたもの。材質は伝説に従い、イバ山の松の木を使用して、形は古代の記録や陶器に描かれた絵を参考にし、大きさは当時の城壁の規模を参考にして作られたといいます。

この木馬、中に入って古代ギリシアの兵士が見たのと(多分)同じ景色を見ることができ、そこでは木馬作戦に参加したギリシア兵の気持ちを推し量ることができます。夜がふけるまで息を殺して静かに籠る木馬の中、まんまと城壁内に木馬が引き入れられた時の高揚感と、ラオコーンが「これは罠だ」と騒いで訴えていた時の戦慄、それをトロイの市民の誰一人信じななかった時の安堵の気持ち、トロイの人々が飲んだくれて泥酔する様子と眺めながら、外に出る機が熟すのを待つ。木馬の木材の隙間からわずかに見える下の様子から、その当時の心情が伝わってくるようです。

ここに来る前は、ちょっとコミカルなこの実物の「トロイの木馬」の姿を、正直ちょっと馬鹿にしていたのですが、実際に目の前にして、また中に入って当時の事情を想像すると、とても威厳に満ちて見えるから不思議です。

 

◾️9つの都市

おとぎ話と史実のはざまにあるトロイの遺跡。この場所は昔は海岸線がもっと近くにあったために時代を跨いで要衝として発展してきました。その結果、さまざまな時代に都市が築かれ、今ここには第Ⅰ市(紀元前3000年の青銅器時代 の集落)〜第Ⅸ市(紀元後400年 ローマの都市)までの9つの街の遺跡が折り重なるように存在します。

それを象徴するような場所がここ。

この場所は第Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅵ市の遺跡が一度に見ることができる場所。所々に見えるナンバープレートがどの時代の遺跡かを示しています。

第Ⅰ市 BC3000-2500 初期青銅器時代の街。火災で焼失。
第Ⅱ市 BC2500-2200 初期青銅器時代の街。侵略者によって破壊。
第Ⅲ市 BC2200-2050 初期青銅器時代の街。城壁が石造りに。
第Ⅳ市 BC2050-1900 初期青銅器時代の最後の街。エーゲ海貿易の痕跡が
第Ⅴ市 BC1900-1800 中期青銅器時代の街。街づくりに進化が見られる。
第Ⅵ市 BC1800-1275 ホメロスのトロイ。街としての最盛期。
第Ⅶ市 BC1275-1000 こちらがホメロスのトロイという説もある
第Ⅷ市 BC700-350 ギリシアの街
第Ⅸ市 BC350-AD400 ローマの街

 

 

◾️なぜトロイは実在から空想の街になったのか

今でははるか遠くに見えるエーゲ海。かつてはトロイアの街のすぐそこに海岸線があったという。

トロイの街は第Ⅵ市(BC1800-1275)のころ最盛期を迎えました。ホメロスの叙事詩に登場するトロイアの街はこの第Ⅵ市だったと言われていたのですが、第Ⅶ市の遺跡に街が焼かれた跡が発見されたとかで、実は第Ⅶ市がホメロスのトロイアではないかという説もあるそうです。ローマ帝国の大帝コンスタンティヌスは首都移転先として、現在のイスタンブル(コンスタンティノープル)の他にトロイアもその候補地として挙げていたといいます。それほどここは有利な地勢にあったということでした。

しかし海岸線の後退がトロイを衰退させ、やがて歴史から忘れ去られることになってしまった。ギリシア、ローマの立派な都市インフラさえも意味をなさないほどに忘れ去られていつしかトロイは実在する都市から、御伽噺の空想の街になってしまった。

 

◾️伝説から史実へ:トロイの発見

近代になって、トロイの街が実在することを疑わない人物が現れます。しかし歴史から忘れ去られたトロイの街を見つけるのは至難の業でしたが、のどかなシモイス平野の田園の中、ヒッサルリクの丘に最初に目をつけたのはイギリス人のカルヴァールト。1865年のことでした。でもいろいろあって結果的に歴史に名を残したのはドイツのシュリーマン

見渡す限りのどこにでもある田園風景のように見えるこの場所を、カルヴァールトやシュリーマンは「このヒッサルリクの丘がホメロスの語るトロイアの地勢によく似ている!」とピンと来たといいます。

現地で周りを見渡し、見れば見るほど、よくぞここを掘り当てた!と関心してしまう、現在のトロイの遺跡がある場所というのはそういう場所なのです。

トロイア戦争の舞台、トロイの木馬作戦を生み出した第Ⅵ市。次は「ホメロスのトロイ」に迫ります。

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