
「トロイの木馬」この言葉を知らない人はいないのではないでしょうか。何年か前に世界を席巻したコンピュータウィルス「トロイの木馬」を記憶してる人は多いとおもいますが、本家「トロイの木馬」は御伽話のように子供の頃に触れる物語だったように僕の頭の中に記憶されている。多分世界中で同じように知られているんだと思う。
「トロイの木馬」の物語は10年に及ぶ壮大なトロイア戦争の中の最後のほんの一瞬の出来事。神々と人間が混在する、事実のような、ただの作り話のような不思議な物語として伝承されてきている。
その「トロイの木馬」のお話とは、、、
昔々、女神たちにそそのかされて、トロイの王子パリスがスパルタの王妃ヘレネを誘拐してしまいました。王妃を奪われたスパルタはギリシア連合軍を編成してへレネを奪還するために大軍勢をトロイに送ったことで、トロイ対ギリシアの全面戦争「トロイア戦争」の火蓋が切られたのでした。大軍勢を率いたスパルタはトロイの街を完全に包囲し、トロイを陥落させるべく攻撃をするが、強固な城壁に守られたトロイの街を落とすことができない。そんな攻防が10年も続いたある日、ギリシア軍は守り神アテナにささげる巨大な木馬を城壁のすぐ外側に残し、突然船に乗り撤退、城壁の外を埋め尽くしていたスパルタ軍はトロイアの攻略をあきらめたかの如く、忽然と姿を消してしまったのでした。

トロイア人は戦争に勝ったと大喜びして祝祭を催します。そしてギリシア軍の残していった「木馬」は戦利品としてトロイアの城壁の中に引き入れられたのでした。大きな木馬は城門を通ることができなかったため、城壁の一部をを壊してまで、やっとの思いで街に引き入れられた。木馬を前に浮かれてどんちゃん騒ぎをしているトロイア市民の中、神官のラオコーンだけはこの木馬が危険な罠だと気づいて市民に警告するのですが、戦勝に沸く市民は誰一人耳を貸さなかった。
1日中祭りに華やぎ、夜にはほとんどのトロイア人は酔いつぶれてしまいました。するとその夜、城壁内に引き入れられた木馬の中からたくさんのギリシア兵が這い出し、まず城門を開放しました。
すると船で去ったと見せかけて隠れていたギリシアの大軍勢が再び忽然と現れて、一気にトロイアの街になだれ込み、酔いつぶれたトロイア人を皆殺しにして、街に火を放ったのでした。こうしてトロイアは陥落し、歴史から姿を消す。
以上が「トロイの木馬」のお話(ダイジェスト)。
トロイ人にしてみれば、
ギリシア軍が忽然と消えた、ただそれだけで戦争が終わったと勘違いして、木馬を大した確認もせずに城壁内に引き入れてしまった。そして戦勝(かどうかもわからない状態で)の宴を催す。普通そんなことをするだろうか、と思うのだけど、10年にわたる攻城(籠城)戦で、トロイの人々には長期間、極度のストレスがかかり続けていたはずで、そこで10年間見ることのなかった城壁の外のギリシア軍がいない風景、佇む木馬を見たときに戦争が終わったと大半のトロイ人が思ってしまったのも仕方ないことかもしれない。神官ラオコーンだけは、そんな状況下でも判断力を失わなかった。でもラオコーンの至極真っ当な声は誰にも届かなかった。それほどトロイ人は極限状態によっておかしくなってしまっていたのかもしれません。

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*女神アテナの逆鱗に触れて双頭の蛇の魔物に喰われるラオコーン
ギリシア側からの視点では、
撤退を装って木馬だけを残すことでトロイ人は木馬を城壁内に引き入れることを予測した。10年籠城戦によるストレスを受けたトロイ人の行動を予測しての作戦だったのでしょう。これがものの見事に想定通りの展開となり、大軍勢で10年攻めても全く突破することができなかった城壁を、木馬によってトロイ人自らの手でギリシア兵を城壁に内に引き入れ、城門を開くことに成功したのでした。城門が開いてしまえばあとは圧倒的な兵力でトロイの街を陥落させることは容易かったでしょう。
この話には続きがあります。
トロイア陥落での皆殺しから逃れた人たちがいました。その生き残りを導いた人の名は「アエネイアス」。
父と何人かのトロイ人を連れて逃げ延びたアエネイアスはやがてラティウム(イタリア)へたどり着き、ラヴィニウムという国を建国します。そしてラヴィニウムはやがてローマへと変貌していく。つまりローマ人のルーツはアエネイアスであり、伝説のトロイ人であるということになる。
どこまでが史実でどこからが作り話なのか、神話の中で語られるこの頃のことはさっぱり判断難しい。でも今でもローマの人は自分たちの祖先はトロイ人である、と真剣に思っている。僕はそれで良いと思う、その方が良いと思う。本当にそうかもしれないし。それによって前向きに誇りを持って生きていけるなら多少の脚色があってもいいじゃないかと。
このトロイアがあった(ある)場所は、現在のトルコのアジア側の西の果て、ダーダネルス海峡の端、エーゲ海に面した立地で紀元前3000年頃から人が住み始めていたと言い、それから何度もこの場所には都市が興きては衰退し作りなおされたこともわかっています。よほどの好立地であることが想像されます。