僕が初めて見たパリがここ、コンコルド広場だった。初めてパリ来て地下鉄から地上に出た最初の場所。
以来、なんどかパリに来ては、最初に地上に出る場所をここに選んできました。
ここはエジプトから来たオベリスクを中央に、ぐるっと一周するとパリ全体が見えたような気になる。東にはカルーゼルの凱旋門とルーブル宮、西に伸びる華やかなシャンゼリゼとその果てには凱旋門。南にはマドレーヌ寺院、北の豪華なコンコルド橋の向こうにブルボン宮と、ここに立って目に飛び込むものは皆、豪華。ここはパリの中でももっとも華麗な広場といって良いでしょう。
もともとここは1755年に国王ルイ15世を称えるために作られ、「ルイ15世広場」と呼ばれていました。ほどなくフランスを包んだ革命のうねりは国王を讃える広場を、国王を処刑する「革命広場」に変えたのでした。当時ここに断頭台が置かれ、ルイ16世やマリーアントワネットがこの場所で処刑されました。1800年前後あたりからここはコンコルド(調和)広場と呼ばれるようになり、今にいたります。
中央にそびえるのは1836年にエジプトから寄贈された、ルクソール神殿のオベリスクで、パリでは「クレオパトラの針」と呼ばれています。
奥にみえるのはギリシアの神殿を模したマドレーヌ寺院。古代エジプトと古代ギリシアと近代フランスが融合する不思議な景観。
僕はエジプトのルクソール神殿に行ったとき、正面ファサードのなんとも言い難い違和感を感じた。本当は2本あるべきオベリスクが1本しかないのだから。ほんとうは2本で左右対象の建造物として設計されたものが、あとから1本抜かれてしまったのだから。
コンコルド広場のデザインは好きなのだけど、その生い立ちを知るとなんとも悲しい気持ちになる。
そしてエッフェル塔も顔を出す。こちらは古代エジプトと20世紀の鉄の芸術の共演。これもコンコルド広場ならでは。
はるか彼方に凱旋門。
夕暮れ時のコンコルド広場。広場の街灯とオベリスク、エッフェル塔の不思議な景色です。
今のこの広場の華やかさと賑わいからは、その昔この場所で王ルイ16世とマリー・アントワネットはじめ1000人を超える人々が断頭台の露と消えたことなど、少しも感じることはできません。あのとき本当に命を断たなければいけない人がいたのか。そんな凄惨な歴史に因んでか
「コンコルド」という名にこめられた祈りとともに、この広場はあるのでしょう。
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