初めて期待を込めてヴェルサイユに行った時、煌びやか過ぎる室内と、広大過ぎる庭園があまりに自分とかけ離れ、まるで共感できませんでした。一つひとつを切り取って丁寧に見ていくと、その時代の優れた装飾や調度品なのはわかるのだけど、ここにはこれでもか!これでもか!と強制的に見せられているような気がしてしまい、バロック、ロココの洪水に巻き込まれ溺れた様な錯覚に囚われてしまいました。そして、ここはいったい何のために作られたのかと、一気に我に返るのです。
ヴェルサイユ宮殿は国王ルイ14世の嫉妬をきっかけに優秀な建築家、室内装飾家、造園家によって生まれました。建築家のルイ・ル・ヴォー、室内装飾家のシャルル・ル・ブラン、造園家のアンドレ・ル・ノートルによるバロック建築の傑作として誕生し、その後絶対王政による強大な権力の象徴へと、市民の憎悪の対象へと変わっていってしまった。
フランスの絶対王政の歴史はアンリ4世に始まるブルボン王朝の歴史。そして現在フランスが芸術大国であるという事実はこのブルボン王朝と寄り添っています。ブルボン王朝の功罪、それを静かに今に伝えているのがヴェルサイユ宮殿なのでしょう。
アンリ4世の先代フランソワ1世は戦争でイタリアに攻め込み、その戦いの最中にルネサンスの圧倒的な芸術性、素晴らしさを目の当たりにして、自国を芸術大国にすると心に決める。その象徴的な出来事は、あのレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスへ招聘したこと。当時イタリアにおいてはいろいろな意味で不遇だったレオナルドはフランソワ1世の招きに応じて、3枚の名画を携えてアンボワーズにやってきた。ご存知「聖アンナと聖母子」「聖ヨハネ」そしてあの「モナリザ」です。このことはフランス美術史の大金星であり、イタリアにとっては最大の汚点と言えるでしょう。そしてレオナルドはフランスの地で余生を送り生涯を終えることになるのです。
*レオナルド・ダ・ヴィンチの死(アングル 1818)
フランソワ1世の腕の中でレオナルドが息を引き取る場面
アンリ4世はフランソワ1世の意思を継ぎ、フランスは芸術大国へ突き進む。以降、収集方法に難はあるものの、たくさんの優れた芸術がフランスに集まり、フランスの人々の感性を養い、やがて19世紀以降のフランス発の芸術ムーヴメント産む土壌となった。
芸術大国、これがブルボン王朝の功。
一方でアンリ4世は絶対王政の基礎を作った人物でもある。でも権力を王に集中させ貴族を従え国政を営む「絶対王政」って言葉はなんだか歴史の記録としては負のイメージしかないのけど、その統治システム自体は決して悪いことではないと思うのです。その仕組みを正しく使って国や国民のための統治を行えば、合理的なシステムであると言えるのです。だけど、歴史的に殆どの人間は大きな権力を持ってしまうと、それに固執してしがみつこうとして、やがて自分の権力を維持するために行動し始める。そして私利私欲を貪り始める。高尚な動機でスタートしても結局、時代も場所も組織の大小も関係なく、同じ様なことが繰り返される。悲しいかなこれは人間の本質なんでしょうね。
アンリ4世も絶対王政にもっと美しい理想を描いていたのではないだろうか?でも世代を追うごとにだんだん、絶対的な権力は国のためではなく国王自身のための仕組みに変化してしまった。国民を蔑ろに富を独占する王家や貴族、これがブルボン王朝の最後姿。そしてこれがフランス革命につながっていく。ブルボン王朝は、アンリ4世にはじまってルイ16世に終わる。
フランス絶対王政は、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットと一緒にコンコルド広場の断頭台で公開処刑され、終わった。絶対王政はその理想を果たすことなく、欲と嫉妬にまみれ、市民の憎悪によって露と消えた。
ヴェルサイユは執着、欲、嫉妬、憎悪といった人間の本質の渦巻に上に建っている。ヴェルサイユがあまり好きになれないのは、そういうことなのかもしれません。