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旅行の記憶と何気ない日常を

ヴェルサイユ

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ヴェルサイユ宮殿(Palais de Versailles)は国王ルイ14世の嫉妬によって生まれました。

ときの大蔵大臣ニコラ・フーケ。その館であるヴォー・ル・ヴィコント城はバロック建築の傑作として誕生することになります。その完成度があまりに高かったため、ルイ14世は「自分よりすばらしい屋敷に部下が住むことが我慢ならん」というおかしな嫉妬によって、フーケは投獄されてしまったといいます。フーケにしてみれば自分の思う様に、家を建てただけなのに。。。理不尽な話です。

しかし、このことによってバロックの傑作としてヴェルサイユ宮殿が生まれることになるのでした。ルイ14世は投獄したフーケのヴォー・ル・ヴィコント城を設計した3人、建築家のルイ・ル・ヴォー、室内装飾家のシャルル・ル・ブラン、造園家のアンドレ・ル・ノートルを自分の宮殿建設のために招聘し、1668年から半世紀をかけて自らの住処をフランス・バロックの傑作として創造させました。

かつてないほどの規模で紡がれたバロックの結晶。それがこのヴェルサイユ宮殿

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宮殿の敷地へはこの門から入ります。この門は主人であるルイ14世(太陽王)にちなんで「太陽門」と呼ばれます。フランス革命の時にこの門は破壊されています。

現在太陽門は全て金箔に覆われている模様。
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太陽門を抜けて少し歩くと、施主であるルイ14世の騎馬像が立っている(現在どうもこの騎馬像のいちが変わっている模様)。

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庭園側から宮殿を眺めます

f:id:fukarinka:20210106012043j:plain 宮殿建築としてはバロック様式、それもフランス式のバロックを極めたもの。でも3層構造で400mもつづくファサードはひたすら広大すぎて、外観上のフォルムとしての特徴はあまりみられない。

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 南庭園の端からの眺め

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北庭園の端からのながめ。シンメトリ(左右対象)のデザインなので、鏡をみている様。

 

凸の字のような建物の周囲にいくつもの区画が区切られて、いろいろなテーマで庭園がデザインされています。

宮殿に隣接する庭は、6000Haという想像もできないような広大な面積を誇ります。

造園家ル・ノートルはここにフランス様式庭園を作り上げました。

ル・ノートルは他にもチュイルリー庭園やフォテーヌブロー、リュクサンブール宮殿の庭園などを手がけたフランス様式庭園を確立した人物でもあります。

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Google Mapより

広大な敷地を区画して様々なテーマで庭、運河、池、泉水を配置、そして水面、斜面、生垣の高さ、噴水を取り囲む木立、全てが「魅せる」ために計算され配置され、置かれる彫像の色あいも自然になじむような色を使用しています。

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Google Mapより

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 ここは「ラトナの泉水(Fontaine de Latone)」。


ヴェルサイユ宮殿の敷地はさらにその向こうへとつづき、その先には国王が狩猟を楽しむための森や水遊びのためにつくられた十字の運河がかすんで見える。

 

 

 

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ラトナの泉水から伸びる緑の帯。「ロワイヤル通り(Allée Royale)」写真はロワイヤル通りを振り返って、宮殿の方をみています。

そして、ロワイヤル通りを行った、その先にあるのがこちら。

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Google Mapより

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 太陽神アポロンの泉水(Apollo Fountain)

もともと「白鳥の泉」と呼ばれた場所に、ルイ14世がこの泉水を作らせ、「アポロンの泉水」と名前も変わりました。

天馬に引かれた戦車に乗って水面から上り行くアポロンルイ14世を表しています。

 

ラトナの泉水からアポロンの泉水には由来があります。

ラトナはギリシア神話の女神で、ゼウスの子であるアポロンとアルテミスの母。ラトナはアポロンを出産したときに、ゼウスの正妻ヘラによりさまざまな妨害をうける。ある村に逃れたときに、その村人たちがヘラに執拗な嫌がらせをした。必死にアポロンを守るためラトナは村人たちをカエルやトカゲに永遠に変えてしまった。ラトナの泉水はその場面が表現されています。

そしてロワイヤル通りを降った先にあるアポロンの泉水は、ラトナに守られ生まれたアポロンが天に向かって飛び立つ場面。

ルイ14世は10歳のとき、貴族達に命を狙われた経験がある(フロンドの乱)。その時の恐ろしい記憶とその時に身を挺して自分を守ってくれた母の記憶。これがラトナとアポロンの泉水として現れたのでした。ルイ14世はその治世でフロンドの乱の経験から貴族たちをヴェルサイユに強制的に住まわせ、コントロールしました。ラトナの泉水のトカゲやカエルに変えられた村人はこの時の貴族を表しているのです。

 

 

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Google Mapより 

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オランジェリーと呼ばれる庭園。南国を思わせるこの風情、果樹園として使われていたといいます。



今までいろいろな街を訪ねて気の遠くなる様な距離を歩き回ってきたけれど、ヴェルサイユだけは「もうだめだ」と歩いて回るのをあきらめました。

 

 庭園の構成は、道幅、区画、池の大きさ何をとっても巨大で「人間サイズではない」と感じてしまうのです。

しかもここに車が通るわけでもない、飛行機が飛び立つわけでもない、言ってみれば国王一人が歩くために造られた空間。そのことも僕が歩き続けるのを諦めさせた理由の一端でした。

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ルイ14世ヴェルサイユの庭園を一般公開して、民衆の誰でもが中に入って庭園を見て回れる様にしていました。そして、この見事な庭園をいかに美しく見るかを記したガイド「ヴェルサイユの庭園の見せ方」も用意してこの庭園の美しさを訪れた国民に伝えようとしました。そしてもう一つ、自分の威厳と権力の大きさを刷り込むためもあったでしょう。 

 

 

バロックの傑作として完成したヴェルサイユ宮殿の内部は驚くほどきらびやかで、ドアの取っ手に始まる家具調度、柱や壁、天井、床の装飾、何もかもがきらびやかで豪華。「これではゆっくり休まらない」と思うほど派手なつくりの寝室。とにかく自分とはかけ離れた世界がそこに広がっていた。ここにあるのは芸術なんだけど、でも芸術であるよりも「権力の誇示」であるように思えてしまったので、僕は宮殿の内部の写真はほとんど撮っていませんでした。

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わずかに残る写真の中から、鏡の間です。

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 ヴェルサイユ宮殿でもっとも有名で、豪華なのが、この「鏡の回廊」。長く広い廊下に豪華なシャンデリアが下がり、庭園を望む窓の反対の壁に大きな鏡の窓が並ぶ。長さ75m、600枚ほどの鏡は当時、国民、貴族はもとより周辺諸国に対してフランス王家の力を示すのに十分過ぎるほどの仕掛けとなりました。

 

 

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 ここに来ると思うのです。
これだけの規模のもの、宮殿の豪華な建物、巨大な庭園、運河や森、これら全てはたった一人の人間のためだけに作られたんだなあ、と。

実際、国王はここに貴族を強制的に住まわせ、ここで国政の全てを決めた、言ってみれば絶対王政の象徴でもあるわけで、この宮殿を見るとフランス王政のその後の運命も容易に想像ができる。バロック建築の傑作、ル・ノートルによる見事な庭園ではあるのだけど、ここは僕の感性とはあわない場所だなあ、と。

後味の悪い終わり方で申し訳ありませんです。

 

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