cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

カエサル小話 言葉の選択

忘れられない、忘れてはいけないカエサルの言葉たちを。

「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちででしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで、避けねばならない」

塩野七生著「ローマ人の物語Ⅳ ユリウス・カエサル ルビコン以前」冒頭に紹介されるカエサルの言葉です。僕はこの言葉を知ってからもう30年、ものを書くときは常に頭に唱えていても、やはり実行するのは難しい。さらに塩野さんは著作の中でカエサルの文章をこう讚えます。

「簡潔、明晰、洗練されたエレガンス」

僕も死ぬまでにはもう少し、これらに近づくことができるだろうか。

 

「私がお前たちの命よりも、自分の栄光を重く見たとしたら、指揮官として失格なのだ」

内戦の最中に、勝利を急ぐカエサルの軍団兵に対して語った言葉。もちろん僕は軍人ではないけど、結局「人間の集まりが、目的に向かって活動する」ということでは現代社会も会社組織もローマの軍団組織も同じでなので、事の大小の違いはあれど起こる問題の本質は今も昔も似たようなものです。だからカエサルの考え方や行動や言動は、この例に限らず参考にすることができる。どんな状況にあって、この言葉が発せられ、どんな結果をもたらしたか、この一節もずっと心に留め置いてきた言葉です。どこの組織にいてもこういう上司に恵まれたいし、自分自身はこういう上司でありたい。

 

「市民諸君!」

肉体的にも精神的にも過酷な内戦の最中、カエサルの軍団兵たちが「給料アップ」を求めて従軍拒否(スト)を行いました。「要求が叶わなければ即時帰国」を求めた軍団兵を前に、カエサルが最初に放った一言がこの「市民諸君!」でした。

通常カエサルは自分とともに戦う軍団兵に語りかけるときは必ず、「戦友諸君!」と呼びかけていました。軍団兵はカエサルにこう呼びかけられる時、カエサルの軍団兵である誇りを感じる瞬間でした。

だからストを起こした軍団兵たちは、カエサルから「市民諸君!」と呼びかけられた瞬間、我にかえります。これはこの時点でカエサルが軍団兵たちを解任したに等しく、給料アップを求めて従軍拒否していた兵士たちは一転して「兵士に戻してカエサルの下で戦わせてほしい」と懇願するのです。このときの「市民諸君!」という言葉も、なぜカエサルがこの一言を選んだのか、僕の中に深く刻み込まれています。

文章だけではない、コミュニケーションそのものが言葉の選択で決まるのです。

 

アレクサンドリアで、ポンペイウスの死を知った」

内戦の終盤、アレクサンドリアに到着したカエサルに、その直前に殺されたポンペイウスの首が香油付で献上されました。そのときカエサルは涙を流したと伝えられています。カエサルポンペイウスの首を丁重に火葬し、ポンペイウスの妻の元に送ったといいます。

この時ポンペイウスの死によって、実質的に内戦の勝敗が決しました。しかしカエサルにとってポンペイウスが死んだことによる影響は計り知れず、そこに渦巻く様々な私的感情も、政治的な作用も、ローマの将来への影響も、普通ならたくさんの言葉を尽くして、この「ポンペイウスの死」を語り記述するところです。しかし、カエサルはこのことについて内乱記にこの一文だけ記すのみでした。

その結果、時代を超えて、多くを語るより多くのことを伝えることになったこの一文に、カエサルのすべてが込められていると感じずにはいられません。僕の中でも深く刻まれているカエサルの言葉です。

 

「私が自由にした人々が、再び私に剣を向けることになるとしても、そのようなことに心を煩わせたくない。何ものにもまして私が自分自身に課していることは、自分の考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうであって当然と思う」

内戦の最中、キケロに送った手紙のなかに記された一文です。カエサルが生涯貫いた人生の軸「自らの考えに忠実に生きる」。この言葉も出会ってからずっと僕の心の真ん中にあります。

 

「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと思う現実しか見ていない」

人間そのものを的確に捉えた一文。洋の東西、時代を超えて当てはまる、人間という生き物の本質を表したと言われる一文です。そしてこの言葉を知って以来、自分は見たくない現実も見ようと努力を続けてきたわけですが、これがなかなか難しい。例外なく僕も人間。みんな人間。人間である以上この言葉からは逃れられませんね。

僕はすべての現実は無理でも、ほとんどの現実が見れるくらいになりたいものです。

 

 

カエサルラテン語で話し、記録を残しました。ラテン語の原文は僕には読めないし、ましてやその行間、文字間にただようニュアンスをたどることなど到底できません。けれど、同時代の人々、後世の様々な人々がこれらカエサルが残した文章を解釈して翻訳して、その意味を伝えてくれている。とてもありがたい。僕はそれらを手がかりにカエサルという人物に迫ることができるし、その言葉の的確さや、重さを感じることができるのだから。

カエサルの言葉はこれからも、僕の頭の中で多くを占めることになるだろう。

 

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