cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

カエサル34 エピローグ

カエサルを書き出して、気がついたら1年半ほどが過ぎていました。さらっと書こうと思って、ここまでずいぶんはしょってきたつもりでしたが、カエサル関連の記事は50、カエサルだけで8万字くらいの文字を費やしたみたいです。

正直とても驚いているのです。なぜかといえば、今になって僕は、20代でカエサルに出会ってから、知らず知らずのうちに30年ほどカエサルと共に過ごしてきたことを、今更に気づいたのです。

何度もローマ人の物語を読み返し、ローマやカエサルに関する書籍や資料を読んだり見たり、いろいろなカエサルと接してきました。「とてもあんな風には生きられない」と、特に意識してきたわけではないのだけど、振り返ってみると実生活で遭遇する様々な場面で「今、カエサルのあの時の状況に近いな」とか「カエサルだったら今なんて言うだろう」とか「どう考えるだろう」とか。。。気づけばそうして過ごしてきました。

もちろん僕はカエサルのように5万の軍勢(人の集団)を束ねるインペラトール(総司令官)でもなく、地中海をすっぽり包むコスモポリタン国家を統率するわけでもない。でも人間社会とは結局人間の集まりでしかないから、カエサルコンスル(執政官)として、インペラトール(総司令官)として行う思考も行動も同じく参考にできるから本当に面白い。そのせいか、僕はエンジニア(技術者)畑の人間だけど、他人には「そのまま政治家か、国家官僚になれる」と言われる。これはあまり嬉しくないし、褒め言葉とは思わないけど、そんなふうに言われるのは政治家カエサルと過ごしてきたおかげ?かもしれない。そして今まで数々の危機や困難になんとか対処してこれたのも、またいくつかの会社わたり歩いて、それぞれでそれなりに結果を残して来れたのは、インペラトール(総司令官)のカエサルと過ごしてきたおかげかもしれない。

熱狂的に崇拝するのではなく、付かず離れず程よい距離感を保った30年。気がついたら本当に多くのことをカエサルから学んできました。20代では全然、30代もまだまだ、40代でも理解しきれなかったカエサルの生き様みたいなものが、今、カエサルが死ぬ1年前の年齢になって、ようやく理解できるようになった気がするのです。

 

過去様々な時代の人々がカエサルを評してきました。その中でも僕は「ローマ人の物語」の冒頭で紹介されるうちのひとつ、モンテスキューの評がとても秀逸に思えます。

それは、

カエサルは、幸運に恵まれたのだと人は言う。だが、この非凡なる人物は、多くの優れた素質の持ち主であったことは確かでも、欠点がなかったわけではなく、また、悪徳にさえ無縁ではなかった。

しかし、それでもなお、いかなる軍隊率いようとも勝利者になったであろうし、いかなる国に生まれたとしても指導者になったであろう」

 

これからも僕はカエサルと対話し、参考にしながら、小さい単位ではあるけれど人間社会を生きていく。とてもカエサルのようにはいかないけれど、少しでもその生き様に近づけるように、これからも僕はカエサルを手本にしていくだろう。

そして、いつかまたローマに行ったら、フォロ・ロマーノをふらっと尋ねて、道端に咲いてる小さな花を摘み、カエサル神殿のカエサルが火葬された場所へその花を手向けたい。「またきますね」という言葉と共に。

 

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