cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

小話 カエサルとクレオパトラ

カエサルアレクサンドリアに到着したころ、ちょうどクレオパトラ7世は弟王とその取り巻きによってアレクサンドリアから追放されていました。

逆境に立たされたクレオパトラはローマ内戦の勝利者カエサルに賭けました。退路た絶たれた21歳が、会ったこともないローマの将軍を相手に命懸けで一世一代の大勝負を仕掛けるのです。

カーペット(諸説あり)に包まれてカエサルの部屋に運ばれ、解かれグルグル回りながら転がり出た様はよほどコミカルだったでしょう。しかしクレオパトラは大真面目にカエサルの前に現れて、自分の窮状を訴えた。突然の侵入者ではあっても全く殺気のないことがわかるくらいコミカルなクレオパトラの登場に、カエサルは大爆笑はしないまでも、声をあげて笑ったに違いない。おそらくこの時点でクレオパトラはこの戦の勝利を手に入れたと言えるかもしれません。

その夜、カエサルの部屋でどんな言葉が交わされたかはわからない。でも、明るく利発的で頭がよく、数ヶ国語を自在に操り、天文学、数学、哲学、弁論など広範な知識と共に、ユーモアのセンスに溢れるクレオパトラとの会話をカエサルが心底楽しんだであろうことは容易に想像できます。

クレオパトラはこの時、自分の窮状を訴えて、自分への支援をカエサルに懇願したと思います。しかしカエサルは公式な裁定では先王の遺言通りとして、決してクレオパトラに有利な裁定は下しません。カエサルクレオパトラは程なく愛人関係となりますが、ローマ最高位の権力をもっていても公私混同しないのがカエサルでした。

ミケランジェロによるクレオパトラ

アレクサンドリア戦役が終わるとカエサルクレオパトラを伴ってナイルの船旅に出ます。「ナイルの源流探し」という名目だったのですが、その経過や成果は何も残されておらず、実質休暇であったことは明白です。実際カエサルには休養は必要でした。ガリアでのアレシアの戦い以来5年間、ローマを駆け巡り対処の難しい同胞との駆け引きや戦いに息つく暇なく過ごしてきた。状況としてもポンペイウスがいない今、逃げた元老院派の残党に慌てて対処する必要はない。アレクサンドリアのゴタゴタも無事収まった。カエサルは思い切って?2ヶ月もの休暇をとり、クレオパトラと共にナイルを遡ることにするのでした。この船旅の中で、カエサルはローマ内戦を記録する「内乱記」全3巻を書きあげました(これも名著「ガリア戦記」とともにカエサルの著作として現代の本屋さんに並んでいます)。

船旅を終え、内戦の後処理ともいううべく元老院派の残党とのいくつかの戦いを無事に終えて完全にローマ全土を掌握した後の紀元前46年夏にカエサルクレオパトラと、二人の間に生まれた男の子カエサリオン(プトレマイオス15世)を伴ってローマに帰国します。クレオパトラ親子はテヴェレ川に面したカエサルの別荘に滞在して、エジプトの女王としてローマの高官たちと会談も精力的に行ったらしい。エジプトの女王としての高慢に見える振る舞いと、カエサルとの関係が邪魔してローマの知識人に対するウケはすこぶる悪かったと言います。

ローマの最高司令官であり、内戦を勝利したカエサルとエジプトの若き女王のロマンスは、当時はもちろん時代を超えて現代に至るまで、良くも悪くも話題を提供し、酒の肴として、国際政治のケーススタディとして、また嫉妬の対象として扱われる。クレオパトラは一瞬にしてカエサルを虜にするほどの魅力を持った「絶世の美女」として現在に至るまで語り継がれることになります。

 

カエサルは、

クレオパトラとの関係とその時間をとても大切にしたけれど、ローマの執政官(コンスル)であり総司令官(インペラトール)であることと、クレオパトラと関係は切り分けていた。私人カエサルと私人クレオパトラ、ローマの執政官カエサルとエジプトの女王クレオパトラという関係は区別していた。

 

クレオパトラは、

エジプトの女王としてローマの第一人者カエサルとの関係を築いていると思っていた。

 

この二人の関係は、この3年後、紀元前44年3月15日にカエサルが暗殺されるまで続きます。そしてカエサルが残した遺言状には、クレオパトラのことも息子カエサリオンのことも触れられていなかった。これに「カエサルに裏切られた」と感じたクレオパトラは、カエサル暗殺後のローマは非常に不安定で治安が悪いこともあって、早々にカエサリオンを伴ってエジプトに帰国しました。

 

この遺言状にクレオパトラが入っていなかったことはローマの中でのエジプトとクレオパトラの立場を考慮したカエサルの配慮であったわけだけど、それをクレオパトラは理解できなかったのかもしれない。または聡明なクレオパトラは理解はできたかもしれないけど感情的にそれを許すことができなかったのかもしれない。

カエサルがいなくなって以降のクレオパトラはそれまでの聡明さを失ってしまった。クレオパトラにとって、カエサルは公私に渡りとても大きな存在となっていたから、カエサルがいなくなった時、クレオパトラには悲壮感と喪失感と、女王としての政治的な立場の問題とエジプトの運命と一度に多くの感情が押し寄せて、それに対処しきれなかったのかもしれない。

カエサルの暗殺は、聡明だったクレオパトラをおかしな方向へと導いていくのでした。

 

カエサルクレオパトラは言ってみればともに天才肌の似たもの同士。ともに誰にでも明るく接し、多くの知識と経験と才能を持つ。歳は30歳も離れていたけど、気の合うもの同士、話題に事欠くことない、打てば響く公私共に共鳴し合う良きパートナーとなっていたかもしれません。カエサルがそのまま生きていたら、このローマ世界の中でエジプトがどんなふうになっていたか、興味が尽きない。そして何よりクレオパトラはそのまま聡明な女性として生き続けたのではないかと、もしそうだとしたらどんな人生を送っただろうかと思いを馳せてしまいます。カエサル亡き後のクレオパトラの辿った道を思うと、なおさらに。

 

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