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カエサル20 賽は投げられた

元老院最終勧告

ガリア戦役が終わると「反」元老院が明らかになったカエサルに対し、元老院派は攻勢を強める。三頭の一角ポンペイウスを取り込んだ元老院派はクラッススも失ったカエサルに対して、様々な妨害を仕掛け、露骨にカエサルを失脚に追い込もうとします。

元老院派はローマ市民に向かって気勢を上げる。「カエサルが現体制を破壊して、王になろうとしている」「カエサルが十個軍団を率いて、アルプスを超えてローマへ南下を始めている」。嘘なのか、元老院派が真剣にそう信じたかはわからない。いずれにしても首都ローマのカエサルへの不安を煽り、カエサルのいない議場ではカエサルを失脚に追い込む数々の議案を連発する。カエサルは理不尽な議案に対しては子飼いの護民官クリオ、アントニウス等が拒否権(VETO)を行使して対処していく。やがてなかなか思い通りにことが進まない元老院派は、紀元前49年1月7日、ついに伝家の宝刀を抜くのです。元老院最終勧告」ガリア戦役を勝利してローマに大きな利益をもたらしたカエサルを「国家の敵」「反逆者」の烙印を押して国家非常事態宣言を発したのでした。

この時、

元老院派は、これでカエサル元老院最終勧告に屈して失脚し、元老院体制が安泰となる、と考えただろう。自分たちに寝返らせたポンペイウスには大権を渡してあるし、これではカエサルは軍を動かせず静かになる、と。

カエサルは、これでまた元老院体制の機能不全が鮮明になり、国家体制の変革を急ぐ必要をより強く感じただろう。そして人生を通じて納得することのない「元老院最終勧告」が自分に向けられたことを知った時、焦ることも、恐れることもなく、ただ呆れ、深いため息をついたに違いない。そして怒りでも、憎しみでもなく、ただただ呆れて、「あーあ。。。」とため息をつく、というニュアンスがこの時のカエサルの思いとして、僕にはしっくりくる。

なぜため息だったのか、それは3つほど理由が想像できる。

ひとつは国家の中枢である元老院がローマの置かれた現状を理解できなかったこと。

ふたつ目は、結局、元老院派は自分たちの既得権益のために「元老院最終勧告」を発令してしまったこと。そして三つ目はもう「内戦」しか解決策がなくなってしまったこと。

内戦への道

元老院最終勧告がカエサルに向けられたこと自体には、カエサル本人はまったく意に介することがなかった。カエサルはそんなことより、この後、とれる選択が、ローマの衰退と自分自身の破滅か、内戦か、しか無くなってしまったことを憂慮していた。

カエサルは10代の頃に凄惨なローマ人同士の殺し合いを体験している。叔父のマリウスとスッラの抗争からスッラによるローマ人の粛清、それはローマの街で市民同士が殺し合い、広場にローマ人の知人や友人の生首が並ぶ。カエサル自身も当時処罰者名簿に名前がのり、スッラに殺されていたかもしれなかった。そんな体験はカエサルの心に「内戦は避けるべきもの」という強い思いを根付かせた。そして今、その内戦を自分が始めなければならない状況にある。

国土を地中海をすっぽり包むほど領土拡大したローマを統治するには、元老院主導の体制は仕組みとしても人材的にも機能不全に陥っていた。しかし元老院派はそれすら理解することもができなかった。あるいは理解できたとしても既得権を手放すことができなかった。

カエサルはローマの混乱を避けるために荒療治は避けようと考えていたが、元老院が一線を超えてしまった以上、カエサルも決断するしかない。

ルビコン

カエサルルビコン(Rubicon)川の前にいた。

ルビコン川はローマの軍事境界線と決められていて、軍団率いた最高司令官(Imperator)もルビコン越えてローマに入る時は軍団を解散、武装解除しなければならなかった。

カエサルは最後まで、このルビコンを越えることに躊躇します。

軍団を率いてルビコン川を渡れば、それはカエサル自身がローマに悲惨な内戦をもたらすことになる。またそれはガリア戦役を共に戦った軍団兵たちも国賊とされてしまうかもしれず、さらに部下の兵士たちに同胞のローマ人殺戮を強いることになる。

ルビコン川は浅く、歩いて渡れるほどの小さい川。しかし、国家ローマにとって、カエサルとその軍団兵にとっては大きく深い意味のある川。

ルビコン川の岸に立ち、自らへ最後の決断を迫ったカエサル。この時ルビコンの向こうに広がる景色はカエサルにはどんな風に映っただろう?

 

その場面を、ローマ人の物語Ⅳから引用します。

ルビコン川の岸に立ったカエサルは、それをすぐに渡ろうとはしなかった。しばらくの間、無言で河岸に立ち尽くしていた。従う第十三軍団の兵士たちも、無言で彼らの最高司令官の背を見つめている。ようやく振り返ったカエサルは近くに控える幕僚たちに言った。

「ここを越えれば人間世界の悲惨。越えなければ我が破滅」

そしてすぐ自分を見つめる兵士たちに向かい、迷いを振り切るかのように大声で叫んだ。

「進もう、神々の待つところへ、我々を侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」

紀元前49年1月12日の朝、カエサル50歳の出来事です。

「賽は投げられた」ラテン語で ”jacta alea est!”

この後カエサルカエサルの第十三軍団は、静かに、全軍でルビコン川を渡り、首都ローマへ向かうのでした。

 

「賽は投げられた」現代の辞書には「行動を開始した今は、ただ断行あるのみ」とある。

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