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カエサル小話 王とカエサルと皇帝

ローマ最高の力を持って終身独裁官に就任したカエサルに対して、ローマの人々は、カエサルが「王」になるのではないかと疑いを持ち始めます。歴史的に「王」や「独裁」に強烈なアレルギーをもつローマ市民は、「終身独裁官」となったカエサルに対して心のアラームが鳴ります。

元老院派の残党はカエサルに許されてもなお、共和政に固執しました。カエサルが示す方向を理解しようとせず、半ば狂信的に共和政の復活を信じて疑わない彼らは市民のアレルギー反応に漬け込み「カエサルが王になろうとしている」という噂を流布してローマ市民を不安に陥れ、カエサル失脚を狙うのでした。

まあ、確かに終身独裁官となったカエサルの特権を並べてみれば「カエサルが王になろうとしている」と考えてもおかしくはない。あるとき、群衆からカエサルに向かって「王!」と呼びる声が響いた。そのときカエサルはこう返します。

「私は王ではない、カエサルである」

当時のローマの同時代人たちの視点からは、カエサルが目指した「帝政」は想像することはできなかった。カエサル以外の誰にも想像ができなかったと言っていいかもしれない。反カエサル以外の共和政に固執しない元老院議員たちですら理解ができないのであれば、一般のローマ市民がわからないのは仕方ない。カエサルが向かう帝政とはなんなのか、当時ローマに属する人間の大半がわからなかっただろう。だから反カエサル派の元老院残党の煽りとは関係なく、ローマ市民の心のどこかに「カエサルが王になろうとしている」という疑いは燻ることになる。ただ、カエサルとしては、これから実績を積み重ね、新しい帝政のローマという現実を見せることで、その疑いは晴れることもわかっていたと思う。

 

紀元前44年、毎年2月に盛大に行われた祭典でのこと。祭典に沿って行われた競技会の最中に、チルコマッシモに何万人といるローマ市民の前で、この年カエサルと共に執政官となっていたアントニウスが軽率な行動に出る。カエサルの側近として、将軍として活躍したマルクス・アントニウスは軍事の才は優れていたけど、政治はからっきしダメ、「深慮」という言葉とは無縁の人物だった。そのアントニウスは大勢の市民が集まる前で、カエサルに王冠を模した冠を差し出します。そのとき会場にいたローマ市民の多くは驚き静まり返ったと言います。カエサルはその冠を受け取らず、アントニウスを退けましたが、ローマ市民の深刻な空気を感じ取ったカエサルは、フォロ・ロマーノの大理石の公式掲示板に「執政官マルクス・アントニウスは終身独裁間ユリウス・カエサルに王位につくよう願ったが、カエサルは拒絶した」と刻ませたと言います。カエサルが暗殺されるひと月ほどまえの出来事でした。

 

カエサルは、

内戦を通して「寛容(Clementia)」を貫き、新しい国作りでも「寛容」を掲げます。

「寛容」はローマ人カエサル生涯の信条であり、カエサルの人生に貫かれる柱でした。ルビコンを超え内戦が始まるその時に「ここを越えれば人間世界の悲惨」と嘆いたカエサルは内戦になるにせよ、「人間世界の悲惨」をできるだけ避けたかった。その結果、内戦の最中ついさっきまで剣を自分に向けてきた相手でも、勝負決した後は許してその瞬間から完全な自由を与えました。

そして反対派の元老院議員ですら許したのは、カエサルが考える新たな国づくりのためには官僚組織は重要で、そのために元老院議員という優秀な頭脳を持った人材は必要だったからでもある。優秀な頭脳をもっているならいずれ自分の考えを理解するという期待もあっただろう。こうしてカエサルは多くの反カエサル派=元老院派の人間を許し温存しました。カエサルは純粋にこの先のローマの行く末を考え、行動した。「王位」など露ほども頭になかった。

 

カエサル元老院派の人々は、

カエサルが言う「見たいと思う現実しか見ていない」人々の典型であり、彼らが見た現実は「共和政再現」「元老院復権」で、それが全てでした。そこに国家ローマの将来という視点はなかった。「元老院体制を破壊するカエサル=悪」ただその構図があっただけではなかったか。

こうして「Idus Martiae」紀元前44年3月15日は訪れるのでした

実際カエサルは王にはならなかった。皇帝にすらならなかった。

でも、カエサルがこの世から消えた後、その意志を継いだ皇帝たちが代々「カエサル」を名乗り、後世「カエサル」は「皇帝」を意味する言葉となりました。この事実を知ると、以前ローマ市民の前で放った「王ではない、カエサルである」という言葉が、とても秀逸に思えてきます。

さて、僕がヨーロッパを旅したときに、イタリア以外でもあちこちで見かけた「カエサル(CAESAR)」の文字。カエサルに興味を持つきっかけとなった、ヨーロッパ各地で見つけた、この「カエサル」の文字は必ずしも「ガイウス・ユリウス・カエサル」のことではなかったのでした。このことに気づいたとき、より一層「ガイウス・ユリウス・カエサル」の凄さを思い知りました。

 

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