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旅行の記憶と何気ない日常を

カエサル30 Idus Martiae再び

Idus Martiae(3月15日)、カエサルは暗殺されました。

シェイクスピアは「ジュリアス・シーザー」で元老院議会の会場に到着したカエサルと、「3月15日の不吉」を唱え続けた占い師にこんなやりとりをさせている。

シーザー:「3月15日は来たぞ」

占い師 :「でもまだ過ぎ去ってはいません」

「3月15日になっても何も起こらないではないか」と占い師を嗜めるカエサルと、「いやいやこれから何かが起こるのだ」、という占い師のやりとりです(「ジュリアス・シーザー」より)。

歴史の中では、この3月15日には他にも不吉な兆候がいろいろ記録されているのだけれど、その多くは後世に想像力によって書き加えられたものであって、実際の紀元前44年3月15日の朝はいたって普通の1日の始まりだったというのが事実のようです。

そう、3月15日はいつものように始まりました。普通に1日が始まり、カエサルは普通に元老院議会場へ向かう。当時は「元老院」という建物がなかったため、議会はローマ市内のいろいろなところで開催されていたと言います。この3月15日に議会場に選ばれたのは、「ポンペイウス劇場」。先の内戦でカエサルに敗れたポンペイウスが建てた劇場でした。

かつてのポンペイウス劇場の一部、現在のローマのアレア・サクラ

この時カエサルはパルティア(現トルコ東部〜イラン)遠征を控えていました。これは9年前に三頭政治の一頭だったクラッススが現役執政官としてパルティア遠征を行い、大敗して殺害された戦役で、この結果多くのローマ人が捕虜としてパルティアに捉えられたままという、ローマにとっては放置できない問題が残っていました。今日はこの解決にカエサルが遠征に向かう承認を得る日であり、この遠征自体、市民の期待も大きかったと言います。

そんな日に、十四人の元老院議員がカエサル暗殺を実行したのでした。

この日、カエサルは紀元前44年の執政官として、終身独裁官として議場に入り、何人かの議員と言葉を交わします。暗殺者たちは、腕っぷしが強いもう一人の執政官アントニウスカエサルから引き離すように図る。

次の瞬間、カエサルの元に集まった十四人の元老院議員がトーガの中に隠し持っていた短剣を振りかざし、カエサルをめった刺しにした。半狂乱状態となった暗殺者たちは、我を失い仲間も傷つける羽目になる。のちに判明するのですが、刺し傷は二十三箇所、カエサルの命を奪ったのは、そのうちのたった「ひと刺し」だったと言うことからも、その場の異常な空気が想像できます。

暗殺者たちの半狂乱とは対照的に、カエサルは死の間際に、自分の死に姿が醜くならないように、血に染まり乱れた自分のトーガを整えてから息を引き取りました。

 1867年フランス人画家 ジェローム(Jean-Léon Gérôme) によるカエサル暗殺直後の様子 

 

首謀者であるカシウスとブルータス、そして暗殺者たちは議場の外に出て「暴君は死んだ!」「自由を取り戻した!」とローマ市民に向けて叫んで回ったのですが、市民は何も応えなかった。内戦がようやく終わり、これからのローマ作りや兼ねてからの「パルティア問題解決」に向かおうとしていたカエサルに期待を寄せていたローマ市民は、暗殺者たちの声には耳を貸さず家に引きこもり、ローマの街は人っこ一人いなくなってしまったと言います。

元老院派がカエサル暗殺を記念して発行されたローマのコイン。首謀者ブルータスの横顔、3月15日を意味する"EID-MAR"。その上に暗殺に使用した短剣プギオ(Pugio)と自由の帽子「ピレウス(Pilleus)」が模られています。

 

実はカエサル殺害までしかシナリオを書いていなかった暗殺者たちは、ここで初めて自分たちがカエサル暗殺後の準備を何もしないまま、ことに及んでしまったことに気づき、ローマ市民やカエサルの軍団兵たちの反応を恐れ、逃げ隠れてしまったのでした。

カエサルが暗殺されたことによって、当然ローマ市民やカエサル側の人々も不安と混乱に陥ります。しかし、当の暗殺者たちも同様に、いやどちらかと言えば、もっと大きな不安と混乱の渦に飲み込まれていたと思われる。しかし、おそらくカエサルだけは、こういう事態も想定していただろうし、その準備も進めていた。カエサルの死に際というのは、そういうことも含めての死に際だったことを強く感じるのです。

首謀者の一人「ブルータス」は、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」の主人公。カエサルが死の間際に舞台で「ブルータスよ、お前もか」と呼びかける人物です。ブルータスは、長い間カエサルの公然の愛人であるセルウィリアの息子。カエサルは軍人としても政治家としても一流ではなかったブルータスを取り立て、保護して、支援してきました。しかしブルータスは共和政主義者として生き、内戦ではポンペイウス側に立って戦い、カエサルに敗れた。内戦時には勝敗決すれば敵であっても完全な自由を許したカエサルは、ブルータスも同様に許し自由にします。そのブルータスがカエサル暗殺の首謀者(の一人)だったわけですが、カエサル自身、そこは全く意に介することはなかったと思います。むしろこう言うことがいつか起こるかもしれないことを想定していたといってよいと思う。

 

カエサルは、ローマの壮大な再構築をはかろうと準備をしてきました。ガリア遠征から内戦を経て、その準備がほぼ完成したので、パルティア遠征に踏み切ることにした。帝政のレールは敷かれ、あとはカエサルの設計図に従って動いていけばローマには再び大きな繁栄が待っている、ところまでが見えた。この後公開される遺言でも、そのレールの上をローマが走っていくための指針が記されている。あとは自分がいつ死んでも大丈夫だけど、生きている間に後継者にしっかり引き継いでいこう、という状態だった、そう思います。刃を受けた瞬間、「流石にちょっと早すぎた」、とは思ったかもしれませんが、もうカエサルとしては準備万端な状態であったのは間違いない。

だから、カエサルは突然の暗殺劇にも取り乱すことなく、冷静に自分の「死に姿」を整え、あらゆる準備を終えて息を引き取ることができたといえます。

 

元老院主導の共和政」だけを信じて守りたかった元老院派議員たちは、聖地であるカピトリーノの丘の上に引きこもってしまった。ローマの街からは人が消えてゴーストタウンのようになってしまった。誰もが突然訪れた「カエサルの死」を理解できずに戦々恐々としている中、カエサルの遺体はしばらくの間ポンペイウス劇場に放置されたままとなっていました。この状況下でカエサルの家の奴隷たちは、自主的に敬愛する主人の亡骸を回収に動きます。当時の状況からは文字通り「命懸け」の行動でした。ポンペイウス劇場から救い出されたカエサルの亡骸は、当時のカエサルの住処であった最高神祇官の公邸ではなく、カエサルの実家に運び込まれたのでした。

 

紀元前44年3月15日はこうして過ぎていきました。

カエサルは暗殺された。カエサルは風のようにローマの人々の前からいなくなってしまった。でもカエサルはまるでそれを予測していたように、すべての準備を整えていました。

3月16日、カエサルの遺言状が開封されます。

 

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