ブルータスよ、おまえもか。。
カエサルの最後の言葉とされるのが、この言葉「ブルータス、お前もか(Et tu, Brute?)」。1599年、シェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー(The tragedy of Julius Caesar)」でこのセリフが使われ有名になったと言われ、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を知らない人でも「ブルータスよお前もか」というセリフは知っている、という人も多いのではないかと思います(若い頃の僕がそうでした)。そしてこの言葉は、世間一般に裏切り者に対して放たれる「軽蔑」や「怨み」が込められた言葉として知られています。
このセリフで名指しされる「ブルータス」は、マルクス・ユニウス・ブルータス(Marcus Junius Brutus)。このブルータスはカエサルの長年の、そして公然の愛人である女性セルウィリアの子。カエサルは最愛のセルウィリアの息子であるブルータスのことを常に気にかけて、支援も救済もしてきたのだけど、ブルータスは共和政主義者たちに担がれカエサルに敵対し、最後はカエサル暗殺の首謀者(の一人)となってしまった。先の内乱時には敵として戦ってカエサルに敗れ捕らえられる(保護される)。その後、自由の身として解放されたブルータスでしたが、3月15日カエサル暗殺を実行してしまいます。
3月15日当時、14人もの暗殺者の中からその顔を見つけ、カエサルが放ったとされるのがこのセリフ「ブルータスよ、お前もか」。ただ、記録によっては「息子よ、お前もか」だったとか、実はもう一人のブルータス(デキムス)に向けられた言葉だったとか、いくつか説がある中で真偽のほどはわかりません。一方で、そもそも騒然とした暗殺の現場でそんなセリフがあったとしてもちゃんと聞き取れた人間がいたのか?など諸説飛び交い、これもまた現代に至るまで議論が絶えることがないようです。
このセリフの真偽の程はともかく、シェイクスピアの戯曲とは違い、カエサルは恨みや怨念をもって死んでいったわけでは決してない、そう確信します。そう思う理由は二つ。
一つ目 こうなることを予測していた
カエサルは内戦で戦った相手(敵)を全て許して無条件に自由にしています。カエサルは10代の頃のスッラとマリウスの抗争からローマ人同志の悲惨な殺し合いを目の当たりにしたことで、できるかぎり内戦は避けたいと考えていた。ところが元老院最終勧告で国家反逆者と認定されたことで、内乱に踏み切る決断をルビコン川を前にするのですが、その後内乱を戦いながらも「人間世界の悲惨」をさけるように、勝負決した後は全ての敵(元老院派)を許して自由にしました。
カエサルは、許せばそれで自分への反意が消えるなどと思う訳もなく、3月15日の出来事は、おそらくカエサルの中では想定していた事のひとつだったと思います。
それは以前も紹介したカエサルからキケロへ書いた手紙から伝わってきます。
「私が自由にした人々が再び私に剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもまして私が自分に課しているのは自らの考えに忠実に生きることである。だからほかの人々もそうであって当然と思う。」
こうすることで自分の身に危険が及ぶことになろうとも、カエサルは「自らの考えに忠実に生きること」を選んだのでした。
二つ目 作品は完成していた
カエサルは3月15日の時点ですでに、「ローマ帝国のグランドデザイン」は完成させていました。内戦直後に矢継ぎ早に繰り出された改革の数々、用意されていた遺言にもすでに後継者が指名されていた。3月15日の時点で、計画は練り上げられ、あとは自分のグランドデザインを忠実に実現するだけ、という見通しがすでに立っていた。もちろんカエサル自身が生きて、より盤石な状態で後継者へ引き継ぐのが理想だったけど、おそらくカエサルには自分がいなくなったとしても、帝政に移行してローマ帝国という「作品」が完成する様が見えていたと思います。遺言で指名された後継者が、カエサルの期待に完璧に応えていくところもはっきりと、カエサルには見えていた。
天才と呼ばれる人たちは、頭の中で作品が完成してしまうと、実際のプロセスには興味がなくなると言います。すでに「ローマ帝国」の完成が見えていた当時のカエサルは、「自分はいつ死んでもいい」くらいに思っていたと想像するのです。
おそらくカエサルの情報網は、マルクスもデキムスも両方のブルータスが不穏な動きをしていたことは察知していたであろうし、近々何かが起こることも情報があっただろう。直前に元老院派の議員たちに書かせた「カエサルの命を守る」とした誓約書だって信じ切ってはいなかっただろう。その気にさえなれば、暗殺そのものも避けられたかもしれない。しかしカエサルは護衛すらつけずに過ごして3月15日の出来事は起こりました。
そんなことにも思いを馳せると、カエサルは当時、比較的冷静に暗殺者たちの剣を受けたし、怨念や軽蔑の感情など持たなかっただろうという仮説が確信に近づいていくのです。
「ブルータスよ、お前もか」の霞
実は「ブルータスよ、お前もか」という言葉は、そもそも「無かった」とする説のほうが有力だそうです。それは僕もそう思います。
でももしこの「ブルータスよ、お前もか」というセリフをカエサルが死の間際に言っていたとしたら、それは「裏切り者への軽蔑」ではなかったと思うのです。それはその対象がセルウィリアの息子のマルクスでも、デキムスであっても「不出来な息子(同然の者)への愛情」ではなかったかと。
*ローマ人の物語(塩野七海著)によれば、シェイクスピアは「ジュリアス・シーザー」を執筆するにあたって、後世に書かれたある一つの文献を参考にしたと言われ、その結果史実とはちょっと違う架空の物語となったらしい。
カエサルはほとんど登場しないこの作品に対して、塩野さんは近代劇作家バーナード・ショウの言葉からこんな引用をしています。
「人間の弱点ならばあれほども深い理解を示したシェイクスピアだったが、ユリウス・カエサルのような人物の偉大さは知らなかった。『リア王』は傑作だが、『ジュリアス・シーザー』は失敗作である。」
この暗殺の場面が天才シェイクスピアの手によって「ブルータスよ、お前もか」という、裏切り者に対する「怨念」や「軽蔑」を表すとても印象的なセリフが生まれ、時代を超えて世に広く知られるようになるのですから、シェイクスピアの影響力はやはりすごい。