カエサルが暗殺されたあと、
3月16日にカエサルの家で身近な者たちだけが集まり、カエサルが書いた遺言状の存在が明かされ、その場で開封することとなりました。
その場に集められたのは、カエサルの近親者に加え、カエサルの側近、そして執政官アントニウス。半年前の紀元前45年9月に書かれたという遺言状が、その人々の前で開封され、読み上げられました。
そして、おそらく多くの人が驚き、だれも予想していなかったその内容とは、下のようなものでした。
- カエサルの資産の3/4をオクタヴィアヌスに
- 1/4をピナリウスとペディウスの二人に
- もしオクタヴィアヌスが相続事態した場合、相続権はデキウス・ブルータスに
- オクタヴィアヌスが相続した場合の遺言執行責任者をアントニウスとデキウス・ブルータスに
- 相続後オクタヴィアヌスはカエサルの養子となり、カエサルの名前を継ぐ
- 首都在住のローマ市民にひとりにつき300セステルティウスを贈り、カエサル所有の庭園をローマ市民に寄贈する。
第一相続人のオクタヴィアヌスは当時18歳、カエサルの妹の娘アティアの子で、カエサルは大伯父に当たる。つまりカエサルにとってオクタヴィアヌスは「姪っ子の子」。
第二相続人のピナリウスとペディウスは姉の子であり、カエサルにとって「甥っ子」の二人。
第一相続人オクタヴィアヌスが辞退した場合の相続人に指名されたデキウス・ブルータスは血縁関係はありません。
最高権力者となった後も、借金はあっても資産は大してなかったカエサルなので、相続するとはいっても財産はほとんどない。あったとしてもそれはローマ市民にひとり300セステルティウスずつ配られてしまうわけなので、遺言状で相続されたのは「財産」ではありません。この遺言状でカエサルが相続させたかったのは国家ローマの舵取りの役目であったと言えます。「ローマの舵取りをオクタヴィアヌスに託す」と宣言しているに等しかった。
◾️希望
カエサルはこの「姪っ子の子」である当時18歳にしかならないオクタヴィアヌスの資質を見抜いて、自分の後継者としました。遺言状が公開された当時は、おそらく親戚一同は驚き、側近たちはのけぞり、ローマ市民はオクタヴィアヌスが何者なのか、すら誰も知らなかったでしょう。しかし、カエサルの選択の正しさは、その後のオクタヴィアヌスの成したことによって歴史が証明するのです。
◾️失望
そして、この遺言内容を知って深く失望したのはアントニウスとクレオパトラでした。
内戦時にはカエサルの右腕として働き、紀元前44年はカエサルと共に執政官を務め、カエサルの後継者を自認していました。そのアントニウスにとって、第一相続人がオクタヴィアヌス、もし辞退した場合はデキウス・ブルータスであるという内容は、アントニウスを絶望の縁に追いやった。ただカエサルはアントニウスの政治家としての資質の低さを認識しており、軍団は率いることはできても総司令官(imperatol)にはなれない、国政など任せられる器ではないと早くからわかっていた。だからカエサルからすれば、また当時の周囲の人々からすれば当然の内容ではあったのだけど、当のアントニウスにはそれを理解することはできませんでした。
クレオパトラは、
カエサル暗殺の当日、カエサルの実子とされるカエサリオンをともなってローマに滞在していました。クレオパトラはカエサリオンと自分に対して何らかの相続があると信じていました。しかしカエサルの遺言状には何も触れられてないことに失望します。カエサルがクレオパトラについて遺言しなかったのは、カエサルには相続するような資産はなかったこと、遺言状自体がローマの国政にまつわる内容であるためで、そこにクレオパトラの何をも記さなかったのは、「エジプトの女王」クレオパトラに対するカエサルの配慮だったわけですが、当時のクレオパトラはそれを理解することはできなかった。クレオパトラは3月16日にカエサリオンをともなってアレクサンドリアへ去っていきました。
この数年後、この二人の失望者アントニウスとクレオパトラはこの後、紆余曲折あって結婚し、続く内戦でオクタヴィアヌス相手に共闘しますが、最後自滅することになるのでした。
◾️カエサル後の始まり
3月17日、執政官アントニウスは元老院議会を招集して、次のことを決定します。
・今回暗殺に関わった者も、一切の処罰はしない。
・カエサルが生前準備していた要人配置人事によって、カエサルの方針に従い国政を進める。
これにより、暗殺者十四人も再び国政に携わることが許されました。
しかし、カエサルの遺言を知った市民はそれを許さなかった。
3月18日、フォロ・ロマーノでカエサルの追悼式と火葬が行われました。
フォロ・ロマーノに集まったローマ市民を前に、演壇に横たえられたカエサルの遺骸の横で、アントニウスはカエサルの遺言を読み上げ、ローマ市民全員に300セステルティウスが配られ、テベレ川沿いにあるカエサルの私有庭園が市民に贈呈されることを伝えます。そして暗殺者十四名はカエサルを守る誓約書を交わしていたこと、カエサルの業績を簡単に語り演説を終えました。カエサルの遺言内容、暗殺者の誓約の裏切りを知った市民はカエサルへの哀悼も、暗殺者に対する憎悪も最高潮に達することになります。
オクタヴィアヌスが相続を辞退した場合の相続人に指名されたデキウス・ブルータスはガリア戦役から内戦を通じてカエサルと共に過ごし、カエサルからの信頼がもっとも厚かった。しかしカエサル暗殺グループに取り込まれて十四人のひとりになってしまった人物であり、市民の怒りは暗殺の首謀者であるカシウスとマルクス・ブルータスよりも、このデキウス・ブルータスに向けられたとも言います。
ローマ市民の反応を見た暗殺者たち元老院派議員たちは、ローマから逃げ出します。
第一相続人が辞退した時に相続人に指名されたデキウス・ブルータスは、カエサルが彼に託した任務を果たすために静かに北イタリア属州へ向かうためローマを去りました。
これはローマの内戦が再び始まったことを意味しました。この内戦はまた複雑で、まずはカエサル派 vs 反カエサル派による帝政と共和政最後の決着、それが終わるとオクタヴィアヌス vs アントニウス・クレオパトラのカエサルに指名された後継者と後継者になりたかった者の戦い。ローマ市民にとってはやっと終わったと思った内戦が、カエサルの死によってまた始まることになり、まだしばらくの間不安を抱えながら生活をすることになるのです。
◾️火葬
カエサルはフォロ・ロマーノの一角、この場所でローマ市民に惜しまれつつ火葬されました。
カエサルの体が灰となった直後、突然降ってきた雨によってカエサルの遺灰は流されてしまった。よって、カエサルの墓は存在しません。亡くなった後もカエサルらしいという出来事のひとつです。
*ここは上の建物の中央、カエサルが火葬された場所とされています。女ったらしのカエサルは今でもローマの女性達に愛され、この場所は花がが絶えることはありません。
カエサルは亡くなる前、半年前に遺言を書いた直後に、オクタヴィアヌスに有能な若者を補佐につけます。カエサルはオクタヴィアヌスに対して政治センスに限りない可能性を見出した一方で、軍事の才能は相当に不足していることも見抜いていました。そこで同年代で軍事的な才能に溢れたアグリッパという青年をつけるのです。アグリッパは最初軍事面でアウグストゥウスを見事に支え、平和な時代となってからは建築などに溢れるばかりの才能をもってオクタヴィアヌスを支えます。
オクタヴィアヌスは帝政ローマの初代皇帝アウグストゥスとなり、75歳で亡くなるまでの約40年もの間、皇帝としてローマを支え発展させます。アグリッパはアウグストゥスが亡くなる2年前まで、オクタヴィアヌス(アウグストゥス)を支え、ともに新しいローマを作っていくのです。
この二人の若者を選んだカエサルにだけ、ローマの未来が見えていたのです。