cafe mare nostrum

旅行の記憶と何気ない日常を

カエサル32 大彗星

カエサルが亡くなって遺言状が公開されたとき、第一相続人のオクタヴィアヌスはローマにはいなかった。カエサルのパルティア遠征に同行するためにカエサルがつけてくれた忠実で有能なアグリッパと共にギリシアのアポロニアにいました。オクタヴィアヌスは忠実なカエサルの軍団兵と共にカエサル暗殺の報を聞き、おそらくこの地で遺言の内容も聞いたと思われます。18歳のオクタヴィアヌスは「しばらく自分たちとともにここアポロニアの地に留まるように」というカエサルの軍団兵達の忠告を振り切ってローマへ戻ります。

オクタヴィアヌスカエサルの遺言通りに第一相続人となることを宣言します。そしてカエサルの誕生月である7月に、7日間にわたるカエサルを記念する競技会を大々的に開催しました。そこに全てのローマ市民を招待して、カエサルの遺言通り市民全員に300セステルティウスを配ります。これによってローマ市民は3月15日を改めて偲び、カエサルを暗殺した者達への怒りを思い出すのでした。

 

この競技会の最中、ローマの空を巨大なほうき星が覆います。これを見たローマの人々は皆一様に、「このほうき星はカエサルである」と思うのでした。「派手好きなカエサルが、派手な装いでローマに帰ってきた」「カエサルが競技会を見物しにきた」とか、カエサルが天に昇ったのだ」とか、死んでもなおカエサルローマ市民を楽しませてくれる、と語り合ったといいます。

このコインはこの時オクタヴィアヌスが発行したカエサル記念競技会を記念した銀貨。左面は オクタヴィアヌスの横顔、右の面はこの時夜空に現れたカエサルのほうき星を表しています。

このほうき星は当時、夜空を大きく覆い輝いて、昼間でも見ることができるほど明るかったと言います。こういうタイミングで大彗星が大接近するということは単なる偶然なことのはず。しかしカエサルという人物を思うと、この世を去ったカエサルが最後にローマ市民を楽しませるために大彗星を演出した、カエサルならそんなことくらい朝飯前にするかもしれない。あの巨大彗星を出すのにいったいどれだけの借金をしたのだろう、と想像膨らんでしまいます。カエサルを知るローマ市民達もこの巨大彗星の到来に恐れることなく、「カエサルへの親しみ」をもって眺めたのでしょう。

 

ローマ市民はこれでカエサルが天に昇ったと考えた。カエサルのいないローマが始まってしまうのです。

 

*お詫びと言い訳

カエサルを記念した競技会中に現れた大彗星がハレー彗星であることは、20年以上前に本やテレビの特集などで取り上げられたのを記憶していて、あまりにドラマチックなつながりに、その事実を疑ったことがありませんでした。なので僕は30年近くもの間「この彗星はハレー彗星だ」と思い続けてきた。しかし今回、改めてカエサルの彗星を取り上げるに当たって、もう少し詳しく記述しようと思って調べたら、、、、違うではありませんか。。。紀元前44年の12年前にハレー彗星は観測されたらしいとかで、この大彗星は「 カエサル彗星(Comet Caesar)C/−43 K1」と呼ばれている別のものだそうです。そしてこの彗星は非周期彗星と呼ばれる、言ってみれば「2度とこない(かもしれない)」珍しい彗星とのこと。そう思うと余計にカエサルがもつ「何か」に、さらに畏怖の念を抱かずにはいられなくなります。

この彗星はとても明るく、昼間でもその姿を見ることができた、そしてもう戻ってこない。カエサルそのものです。。。

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